狂った人間に愛されてしまった者が取る行動の代名詞と言えばやはり鬼ごっこなのでしょうか。


自分でも異常だと思う台詞を投げかけてみますとやはりと言いますか恐怖心を掻き上げてしまったようで、壁に寄り掛かっていた身体が一層跳ね上がりました。
もう無意味で不可能な場所だというのに、それ故に逃げようとするものですから可愛らしいとしか言いようがない。


「名前様。壁にのめり込んでお逃げになるつもりですか。もしそうお考えのおつもりならば貴女様の弱々しい身体つきでは無謀なことですのでお止めになった方が賢明かと。ギアステーションは自然災害、ポケモンを使用した凶悪なテロリズムなどに備えまして通常、地上などで使用されるものより秀逸なコンクリートで固められております。ですので逆に壊れるのは名前様、貴女様ですよ」


馬鹿ではない貴女様ならご理解いただけるでしょう?とあくまで宥めるつもりで申し上げたのですが彼女はそれを聞くなり、まるで化け物を視界に映り込ませてしまったかのように目を見開いてしまわれました。その拍子にご自身を支えていた足の力が入りきらなくなってしまわれたようで背中を壁に伝わらせながら座り込んでしまいました。それでも尚、歯ぎしりを立てながら私を見上げて抵抗をする。私からすればまだ懐いていないチョロネコのようで痛みも痒みもございません。嗚呼、いえ。流石にここまで自身を拒まれてしまうと精神的には堪えてしまいそうですが、その分は後で埋め合わせの際にじっくり調整できると考えれば苦には思えませんでした。


「先程も申し上げましたが、狂った人間に愛された人間が取る行動の代名詞と言えば鬼ごっこでございましょう。鬼ごっこのルールはきっと名前様もご存じの通り、至極簡単にございます。鬼役となった1人の人間からそれ以外者が捕まってしないように逃げ回るだけ。その証拠に貴女様は私から散々逃げ回ってくださいました。……逃げ回ってくださいましたが、鬼ごっことは言わば体力勝負。女性として生まれてきた名前様と男として生まれてきた私では最初から結果は見えておりました。貴女様はまさに今、捕まる寸前。鬼ごっこは鬼役に捕まれば役割は交代してしまうのです。鬼役は逃走者。捕まった者は鬼へ。けれど名前様は鬼になりたくてこの逃走を開始した訳ではない様子。鬼になる覚悟はないのでしょう。それではいつまでもこうして私が鬼でいなければなりませんので、残念なことに貴女様に触れられない。ねえ、名前様。心優しい貴女様なら助けて下さる案をくださいますでしょう?」


何とも長ったらしい、自己中心な発言を自分は彼女に投げかけているのだろうと思いました。しかし名前様に状況を把握させると同時に、自分にこうでも言って聞かせないと今よりも過激に、自己の意のままに行動してしまうのではないかと思ったのです。例えば、そう。震えて怯えていることは百も承知だというのに名前様の首筋に鉄でできた細長い銀を宛がってしまっている現状より。


「……やっ!…やめて……くだ、さい…」

「嗚呼、やっとここに来て喋ってくださいましたね!名前様、どうかどうか。良い解決法を教えてください!」


しかし名前様は折角、口を開かれたというのに私の問い掛けには答えて下さらず、意味もない譫言を呟きながらついには泣かれてしまいました。大切な女性を泣かせてしまうとは男として最低なのでしょうが、私は精一杯名前様に尽くしたはずです。
そのはずなのに、どこに悲しませてしまう要素があったのでしょうか。5分前に胸の内を曝け出してしまったからでしょうか。それとも4分前に駆け出した名前様に高ぶりを覚えて、抜刀して追いかけてしまったから?いや2分前に追い詰めてしまった瞬間でしょうか。はたまた45秒前に今の状態に仕上げてしまったから?――なんて思い当たる節はいくらでもあるのですがどう考えても結論には辿り着くことが出来そうにございません。主観で分からないのであれば私の行動を客観的に見てくださっていた名前様にお尋ねする他ないのですが、それも叶わず。

それならばもう仕方ないと野蛮で外道、鬼畜で悪行の類に入ってしまうことを覚悟で、私は名前様を飼い殺すことに致しました。ええ、もしこれより良好的である方法があればそちらを手段として選ぶのですが、それを待つには私、既に限界でございました。


「それでは名前様、こう致しましょう。今さら前言撤回させていただくのは大変申し訳なく思うのですが、私と名前様が行っていたのは”鬼ごっこ”ではなく”追いかけっこ”。そうしましたならば私は鬼役ではなく、単なる追いかけるだけの人間でございます。こうすれば私は貴女様に気兼ねなく触れることも出来ますし、名前様もなりたくもない鬼役をする必要はないのです。一石二鳥とはまさにこのこと!名前様、貴女様も喜んで頂けるでしょう?」


少しバトル敗戦直後に似た感覚を味わいながら高揚した気でそう言ったのですが、相も変わらず、いえ少し苦しげに顔を顰めた名前様。一瞬どうしてか思い悩むものがありましたが、すぐに柄を握る力と愛しい首筋への押し付けを強めていたことを思い出しました。
が、私はもう自己解釈してしまった上に自身で解決してしまったものですから、もう名前様が逃げようと私を拒否しようとも関係はございません。追いかけっこは彼女をここに追い込んだ時にもう終わりを告げていたのです。


「大丈夫ですよ名前様。命を取ってしまうなんて不道徳な真似は致しません。少しだけここで楽しんで、後は私の自宅にご案内するだけですから」


ですから名前様。少しだけ鮮血を見せて頂きますねと今日最初に彼女と出会った時に申しました頼みを今度は安堵させるような笑みでしかし、有無を言わせないような冷酷さを纏わせた笑みで吐き捨てます。
それでも名前様はがたがたと身体だけ音を鳴らすものでしたから、無言は肯定とみなして有り難く刃を前に滑らせていただきました。

ジャムが足りない

言葉にならない悲鳴が私の耳に届くと同時に顔を出したさらさらの赤が流れ落ち、満足感を勿論満足感を覚えたのです。
覚えたのですがもっと見たくなってしまった次第しないと約束致しましたのに、私はいつか返り血を浴びれる唯一の方法を取ってしまうかもしれませんね。