冷静沈着。鉄仮面。あんまり笑わない。
このようなことは昔からよく言われていた。私としては全く持ってそんなつもりはないのだけれど、それをあまり良く思わないひとも居て、何かと文句を言われることが多かった。決まった友達が居たので、寂しいと感じることはなかった。中学校を卒業し、高校へ進学。高校でも部活に属さず、帰宅部で、ゆったりと自分の好きに過ごすつもりだった。その頃だったか。同じクラスの、腐れ縁の男に声をかけられたのは。
「マネージャーやんない?」
空に浮かぶ太陽よりも眩しくて、夜空で笑う星たちよりも輝かしくて、どうしようもなく切なくて、心の底から楽しいと思える日々の全ては、この男の一言から始まったのだ。
▽▽▽
ざわざわとたくさんの生徒が行きかう校舎内。そのなかで、一際生徒が集まっている場所があった。
「あきら!早く早く!」
人混みの向こうで急かす友人の元へ急ぐ。今日は年度始めの始業式の日。そして、各学年のクラス発表の日。高校最後の一年の行く末を決めるクラス発表だ、みんな気になって仕方ないのがよくわかる。その証拠に、我先にと人が次々に押しかけ、掲示板はあっという間に見えなくなってしまった。そんななかを必死で掻き分けて、無数の文字が羅列された掲示板の正面へ、やっとの思いで辿り着いた。人混みは得意ではないので、密集地に来ただけでも息が切れる。生粋の東京人が何を言っているんだという感じではあるが。
ふう、と一息ついて、友人と共に視線を上げた。この数字と文字の羅列のなかから自分の名前を見つけ出すために、普段の授業態度からは考えられないレベルで目を凝らす。眉間が痛くなってきたところで、友人の歓喜に沸いた声が響いた。
「ね、ねえ!私達ふたりとも、4組!」
「えっ、あ、ほんとだ」
「やった!今年もあきらと一緒だー!!」
がばりと横から抱き着かれて一瞬よろめきかけたけれど、寸でのところで耐えて崩れ落ちるのは免れた。私の無駄に良い反射神経に拍手である。
「あきら、4組?」
と、そこへやってきたのは、見上げるほどの背丈のある、とても高校生には見えない大男。今日もトサカ、もとい黒髪が元気に空を向いている。
「黒尾は?」
「5組」
頭上にずっしりとした重み。頭上を肘置きにされるのにはもう慣れたものだ。そんなことより、横で掲示板を眺めている大男──黒尾鉄朗から放たれた、自分とは違う数字に、肩ががくんと大きく下がる。新しいクラス。私は4組。黒尾は5組。つまり、別だ。
「なんだ、クラス違うのか」
「何、一緒が良かった?」
「うん。事務連絡が楽だから」
「…珍しく可愛いこと言うと思ったらコレだよ」
はぁーあ、というわざとらしい溜息。黒尾が人を小馬鹿にするときによくする仕草である。
「おーい黒尾ー!教室行くぞー!」
「おー。じゃ、ホームルーム終わったら部室な」
「ん」
頭上の肘を退けた代わりとして軽く私の脳天を小突き、黒尾は人混みの中へ。その先の男子の集団に紛れるも、高校生にしては高すぎる身長のせいで、その姿はやけに目立っていた。
▽▽▽
「ねえ!神田さん神田さん!」
新しいクラスである教室へ移動し、出席番号順に席につく。数分前に自販機で買った、果汁100パーセントのオレンジジュースにストローを挿したときだ。可愛らしい女の子三人組が、私の机の前に現れた。興味津々、といった顔で迫ってくるふたりと、その後ろには気まずそうに目を逸らしている大人しめの女の子がひとり。
「神田さんって、黒尾くんと付き合ってるの!?」
投げかけられた質問に、心の中で溜息をつく。もはや新学期恒例となりつつあるこの質問。答えるのももはや面倒だけど、ここで蔑ろにして誤解が生まれるのはもっと面倒くさい。大体、質問する前に名乗るのが先じゃなかろうか。私とあなた達、初対面では?
「付き合ってないよ」
「じゃ、じゃあ何で黒尾くんは神田さんのこと名前で呼ぶの!?」
「なんでなんで!?」
「ちょ、ちょっと、2人とも…!」
「…中学の時に名字一緒だった子がて、その子と区別するために名前呼びになって、そのまま来てるだけ。深い意味はないよ」
「中学校一緒なの!?」
「え、うん」
「そ、そっかぁ…!わかった!いきなり変な質問してごめんね!ありがとう!」
怒涛の質問ラッシュに、わかりやすく、至極冷静に返答すると満足したのか、3人組は私の席を離れて教室の外へと姿を消した。結局名前はわからぬまま。
「もはや新学期恒例だねえ」
「本当にね…。黒尾に聞けばいいのに」
「それが出来たら苦労しないってもんよ」
「へぇ…」
先程クラス発表を共に確認した友人──伊藤愛が、後ろの席から笑みを交えて声をかけてきた。愛とは中学時代からの付き合いだ。一度だけクラスが一緒になり、出席番号が近いことをきっかけに仲良くなった。同じ高校へ進学し、1年ではクラスが離れてしまったものの、2年、3年と、連続で同じクラスとなった。大変嬉しいことだ。今では何を言わずとも昼食を共にする仲である。補足、サッカー部の彼氏あり。
「ていうか、ホントありえないよね。信じらんない、勿体ない」
「何その三拍子」
「だって、男バレのマネージャーだよ?少女漫画のヒロインじゃん。羨ましー!」
そう。愛が言ったように、私は音駒高校男子バレーボール部(通称"男バレ")のマネージャーを務めている。一年生のときからやっているので、かれこれ三年目だ。そして先程話題に上がった黒尾は、その男バレの主将であり、私と黒尾は、マネージャーと主将という関係である。しかし、その関係を勘違いして質問攻めしてくる輩がわんさかいるのだ。特に新学期は。
「主将とマネージャーが付き合うって、少女漫画の王道だよ?ホントに何もないの?」
「残念ながら皆様が期待しているようなことは一切ございません」
「えー」
ずずず、とオレンジジュースを最後まで啜り切ったところで、タイミングよく新しい担任が教室へとやってきた。強制的にこの話題は終了となり、私と愛の意識は担任へと切り替わる。
「少女漫画、ねえ」
黒尾と私は、バレーボール部の主将とマネージャー。ただの同じ部活の仲間だ。それ以上でもそれ以下でもない。私達の間には、それ以上のものは生まれない。残念ながら、私は少女漫画の主人公にはなり得ないのだ。