05



「あれ!?ハシゴの旅、駅前に来てたんだ!?」
「あ、それ先生が言ってた」


 リビングのソファに転がっている父さんと兄さんの会話を、ダイニングテーブルでスマホのゲームを操作しながら小耳に挟む。そういえばうちの担任も、帰りのホームルームでそんなことを言っていた気がする。多分。
 手の中にある小さな世界では色とりどりのブロックがせめぎ合って、消えては増え、消えては増えを繰り返している。特に何も考えずに指先を動かしてゲームを進めていると、キッチンのすぐ近くにある給湯器のリモコンが愉快な音楽を鳴らした。風呂場からの呼び出し音だ。母さんがバスタオルでも忘れたのかもしれない。


「なんだなんだ」
「バスタオル忘れたんじゃないの」


 さすが双子の兄、とでも言うべきなのだろうか。兄さんは僕が心の中で思っていたことを、僕と全く同じ声で言葉にしてみせた。風呂場へと足早に向かう父さんの背中を見ながら、僕も言葉にしてハモったほうが面白かったかな、なんて思いながら再び手元へ視線を落とす。あ、コンボ決まりそう。


『えっ!?さおりちゃん!?ですよね!?』


 今の今まで、テレビの音なんて何も耳に入らなかったのに。不意に意識に入り込んできた声が、スマホに触れていた指を止めた。視線が勝手に動いて、四角い画面へと移る。


『わあ!私のこと、ご存じですか?うれしい〜!』
『ご存じどころか!』


 駅から少し離れたところにある路地裏の居酒屋。未成年だから通ったことこそ無いけれど、遠目に見たことはある屋外座席で、ひとりの女性がシンプルな半袖から伸びる細い腕をバタつかせて慌てた様子を見せている。焦茶色の短い髪と瞳、そして、その奥に光る橙色。





"無一郎くん"





 鮮明な音が、脳裏に響き渡った。瞬間、いくつもの映像が頭のなかで再生される。
 僕の手を引く後ろ姿、折り紙を示す細い指先、輝いて見えた白い御守り。古い病室、長らく閉じていた瞳と、小さな手の傷跡。夕陽で光るふたつの銀色、繋がり合っていた手と触れ合う肌、飛び散る赤色と、大粒の涙と、温かな笑顔。





"……う"、ん…!やぐ、ぞく…!"





「っ、!」


 意識が何かと繋がり合ったような感覚がして、思わず勢いよく立ち上がる。リビングに椅子が倒れる音が響き渡り、それに驚いた兄さんが「うわっ」と声を上げた。広がる沈黙と、『かんぱーい!』という高らかな声。こちらを振り返って目を見開く兄さんの後ろ、四角い画面の中で、彼女が、大きな口を開けて笑っていた。


「無一郎…?どうした?」


 兄さんの心配するような声も耳に入らない。彼女の笑い声だけが鼓膜を通って、脳を揺さぶる。胸の真ん中が急速に縮こまったのがわかる。それから懐かしい気持ちと、泣きたいような気持ちが生まれて、気が付いたら体が勝手に玄関へと向かっていた。


「おい、無一郎?」
「ちょっと…、ちょっと、出かけてくる…」
「は?」
「すぐ戻るから!!」
「あっ、おい!」


 後ろから掛かる静止の声に従えるわけもない。操作を怠ったことでゲームオーバーになったままのスマホを片手に、すっかり暗くなった住宅街へ飛び出した。自転車の鍵を取りに戻る時間すら惜しくて、駅までの道をひた走る。制服での全力疾走は想像以上にキツかったけど、そんなことも言っていられず、必死で走った。なんで今日に限って部活が午後だったんだろう。こんなことなら帰宅してすぐ、動きやすい服に着替えておけば良かった。


「っ、はぁ、はぁ…!」


 住宅街を抜けてからしばらくすると、明かりと人が増え、ざわざわとした喧騒も広がり始めた。辿り着いた最寄駅には、仕事を終えたサラリーマンやOL、他にも近くの学校の制服に身を包んでいる少年少女がチラホラ。しかしその中に、求めていたひとの姿は無い。乱れた呼吸を整えることもせず、辺りを見回した。トータルで何回、視線を右往左往させただろう。額から流れた汗が目に染みて、僕はやっと、自分の間違いに気付いた。この人混みに彼女がいないなんて、当たり前じゃないか。あの番組は収録だ。生放送じゃない。


「………はぁぁぁぁ〜…!」


 これが所謂、気が抜けた、というやつなのだろう。盛大な溜息と共に、駅周辺案内板のすぐ傍にある植え込みに浅く腰掛ける。…疲れた。感情が揺れに揺らされ、頭がぼうっとしている。何か飲み物でも買って心を落ち着けてから、次の策を考えよう。アプリにお金、入ってたっけ。手に握ったままだったスマホを開いて残高を確認しようとした、その時。


「!」


 ふわりと香った、夏の匂い。反射的に顔をあげたのと同じタイミングで、一人の女性が目の前を横切った。重い足取りで進む後ろ姿は、記憶にあるそれとは少し違った。通り過ぎてしまったので、顔も見れていない。別人の可能性は大いにある。それでも何故か僕の心臓はうるさく鳴り響いている。まるで、「あのひとだよ」と、知らせるように。
 でもやっぱり、この人混みだ。人違いだったらかなり目立つし、相手にも不快な思いをさせてしまうだろう。近くに知り合いがいようものならそれこそ大事になる。でもここで逃したら、もう手がかりが無くなるかもしれないし。声を掛けるべきか、否か。確信が持てないまま見つめていた彼女の後ろ姿が横断歩道に差し掛かり、横を向く。


「っ、!!」


 ばくん、と大きく鳴り響いた心臓が、彼女への想いを呼び覚ます。疲労困憊な自分は何処へやら、僕は再び立ち上がって、走り出していた。大した距離もないのに、大切なそのひとがそこに居るという現実が心臓をより一層速く動かしていて、彼女の元に辿り着く頃には、先程よりも息が切れていた。信号が青色へと変わる。白と灰色の道を進もうとしたそのひとの手首を、がっしりと掴む。その反動によりバランスを崩したものの、なんとか耐えた様子で、彼女が振り返った。


「………え?」


 聞こえた声も、疑問の音も、間違いなかった。胸の真ん中が締め付けられて、目頭が熱を持つ。


「やっと…、っ、見つけた…!」


 少しでも油断したら溢れ出そうになる涙をなんとか堪えて、顔を上げる。目の前の彼女は、記憶の中で笑っていた頃より少し大人になっていたけれど、残る面影は間違いなく、あの頃、隣に在ったものだった。
 死と隣り合わせの理不尽な世界。いつ離れ離れになってもおかしくない状況。それでも、どうしようもなく幸せで。共に泣き、共に戦い、共に笑い、いつまでも隣に在ってほしいと願った、唯一の存在。何百年振りだろうか。途方もない時を超えて、紡ぐ。世界中の何よりも大切な、愛おしい、君の名前を。


「歩…!!」


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