03
『それでは特集です。プロ棋士目前の高校生に密着しました』
「!」
華の金曜日、通称華金と言われる夜。給料日を迎えた週ということで、職場で一番仲のいい後輩と共に焼き肉屋で盛り上がっていたときだった。天井に下がっているテレビに、心を震わすような美しい翡翠色が現れたのは。
「あ。この子、このあいだ駅前で見ましたよ。プロ棋士なんだ〜」
「…………、」
三つ年下の後輩、というよりももはや友達レベルで仲のいい成子ちゃんが冷麺を突っつきながら言った。私はと言うと、画面に映るその少年から目が離せずにいた。職場の近くにある公立高校の学ランに身を包んでいる少年。長い黒髪だというのにその表情は涼しげで、大人っぽくて。
「…先輩?どうしました?」
「あ、いや…、うん」
惹かれた、というのとは少し違った。その感覚は、何度か目にした覚えのあるような"既視感"に近かった。しかし思い切り首を傾げて記憶を辿るも、出会った覚えはない。
「なーんか会ったことあるような…」
「知り合いです?」
「でもぜんっぜんわかんない…。気のせいかな」
「えぇ?アレ、一度見たら忘れなくないですか?」
アレ、という指示語と共に、控えめなネイルの施された指先が四角い画面に向く。確かに、あんなにも綺麗な容姿と長髪なら、一度関わったら忘れることはないだろう。
「私も駅で見かけたのかなぁ」
「適当ですねー」
「さっきからきつくない?」
ニュース番組が流していたその少年の特集も、私たちの興味もすぐに終わり、締めの食事は再開した。仕事の愚痴、成子ちゃんの彼氏の話、将来について、様々な話題をダラダラダラダラ語り合う。翌日が休みという事実は、時間の感覚を忘れさせる。
「甘いものでも食べに行きます?」
「いいねー!あ、あの居酒屋のパフェ美味しいって言ってなかった?」
「私も今それ思ってました。行きましょう」
「予約なしで行けるかな?」
「二人だし大丈夫じゃないですか?」
焼肉屋での会計を終えて、すっかり暗くなった夜の街へと繰り出した。世の中の就寝時間まで三時間ほどだろうが、華金の夜はまだまだ終わらない。私たちは甘いものを求めて、とある居酒屋へ足を向けた。その店は、居酒屋だというのにパフェが美味しいというギャップが、巷で話題になっていた。
駅に近い、且つ人気店なので入れるかどうかイチかバチかだったものの、外の二人席がたまたま空いており、入店することができた。なんてラッキーなのだろう。話題のパフェは出てくるまで少し時間がかかるとのことだったけれど、このあとの予定も特に無いので、大人しく待つことに。
「えっ、別れたんですか」
「そー」
その時間に、ついこのあいだ彼氏と別れたことを切り出すと、成子ちゃんは驚きに目を見開いた。
「またフラれた!」
「そんな笑顔で言うことじゃないですよ…。理由も同じですか?」
「うん」
成子ちゃんは、私がいつも彼氏というものとどういうふうに終わりを迎えているかを知っている。何度か相談したことがあるからだ。
「今回は大丈夫かも、って思ったんだけどね。やっぱり無理だった」
言葉のとおり、先日まで付き合っていた彼は、すごく優しいひとだった。出会いはどこにでもある普通の飲み会。年上で余裕があって、口調も仕草も落ち着いていて、このひとなら身を任せられるかも、なんて思って、交際の申し出を受け入れた。けど、やっぱり、その手が伸びてくることだけは受け入れることが出来なかった。
「まあ、そういうのは無理してすることじゃないですからね」
成子ちゃんは冷静に言いながら、お冷に入っている氷を口に含んで咀嚼し始めた。彼女は私より三つも年下だけれどすごく落ち着いていて、いつだって冷静に物事を見ている。それに辛辣さを感じてたまにグサッとくることもあるけれど、冷静な答えに救われることもある。今回は圧倒的に後者だ。
「そうだよね。無理しても虚しいだけだし」
「虚しいというか、自分が傷つきますよ。絶対無理してするのだけはやめてくださいね」
「しないよー、そこは大丈夫!」
さすがにその一線は、自分に嘘をつくつもりはない。そこだけは自信があるので胸を張って言ってみたものの、成子ちゃんは少し怒った表情のまま続けた。
「…先輩は優しすぎるから、たまに心配になります」
「……!!!」
表情と裏腹な気遣いの言葉に、むぎゅううと胸が締め付けられる。なんて可愛い後輩なのだろうか。普段は冷たいし、遠回しに馬鹿にしたようなことを言ってきたりもするのに。これがギャップ萌えってやつだね、成子ちゃん!
「成子ちゃんのツンデレ〜!やっさし〜い!」
「真面目に言ってるんですけど…」
「お待たせしましたー」
両手の指先で彼女を指しながら言ってみせると、不満そうな表情をより一層深くした。そこで私たちの会話を切るように、若い女性店員さんの高い声が響く。小さすぎず大きすぎずの、ふたつの抹茶パフェが目の前に置かれて、私たちの意識は見事にそちらに移った。
「おいしそー!」
「結構大きいですね」
「いただきますっ!」
「え、早」
甘い物を欲していた体は正直だ。すぐに手を合わせ、通常より少し小さめのスプーンを、器のてっぺんに君臨している抹茶アイスに差し込んだ。夜と言えども世間は真夏。熱帯夜に見舞われた体を、口から入ったアイスが冷ましていく。続いてこぼれ落ちそうになっている白玉と餡子も掬って口に放り込んだ。
「んまぁ〜」
「美味しい」
ついさっきまでムスッとしていた成子ちゃんも、味に納得してウンウン頷いている。話題になるのも頷ける味だった。アイスや餡子、生クリームに羊羹など、甘い物がたくさん乗っているというのに、全く味がくどくないのだ。生クリームの甘さが控えめなのが決め手のひとつなのだと思う。これならいくらでも食べてしまいそうなほどだ。こんな夜更けにパフェを食べている、という背徳感も美味しさのひとつなのかもしれないけれど。
「あと一杯食べれるよね!?」
「それは難しいかもです」
「えっ」
同意を求めて成子ちゃんのほうを向いたのにスッパリと切られてしまった。わ、私だけなのか…。自分の食欲というものに呆然としたときだ。成子ちゃんの背中の向こう、通りの奥から大所帯な団体がやってくるのが見えた。それが「テレビの撮影」というのを判断する前に、その中から手足の長い綺麗な女性がこちらに小走りでやって、きて。
「あのー、すみません。お隣いいですか?」
「「………えっ」」
漫画やドラマでしか聞いたことのない「お隣いいですか」という言葉に驚いたけれども、もっと驚くべきは、そのひと。長い手足に小さなお顔、笑うと細くなる目元、飾らない話し方。彼女はテレビで何度も見かけたことのある、有名な女性モデルさんだった。
「えっ!?さおりちゃん!?ですよね!?」
「わあ!私のこと、ご存じですか?うれしい〜!」
「ご存じどころか!ねぇ、成子ちゃん!!」
「テ、テレビ?テレビです…!?」
「はい!朝までハシゴの旅です!」
「「知ってる!!」」
いつだって冷静な成子ちゃんも、こればっかりは大声を上げていた。まさかまさかの、今まで何度も見たことのあるバラエティ番組の、「朝まで居酒屋を回って飲み明かす」という企画の撮影が私たちに降りかかったのだ。予想もしなかった出来事に開いた口が塞がらない状態になりつつも撮影を了承して、芸能人と呑むという、人生に於いてかなり貴重で珍しい体験をした。
そしてこの貴重な体験が、私の人生を大きく変えていくことになる。