聖夜の幸せ


※いずれ本編に入れ込む予定のクリスマス番外編










 肌が痛くなるほどの猛烈な寒波に見舞われている屋外とは裏腹に、人工的な温風によって快適に過ごせる温度となった小さな1LDK。狭くもない、かと言って広くもないキッチンに並ぶは、牛肉、チーズ、トマトにレタス、玉ねぎやら何やら、その他諸々。

「本日のメニューを発表します!」

 一番近くにあったモッツァレラチーズを手に取り、掲げてみせる。隣で突っ立っていた無一郎くんが、ぽけっとっした様子で「テレビみたい」と呟いた。火曜七時にやってる家事バラエティ番組か。悪くない。

「カプレーゼ!」
「おぉ」
「オニオンスープパイ!」
「わぁ」
「ローストビーフプレート! 以上!」
「わあ〜」

 ぱちぱちぱち。リビングから響くテレビの音に混じって、一人分の拍手が広がる。音の主である無一郎くんは、控えめに合わせた手のひらを自分の腹部へと持っていって苦笑いを浮かべた。水色のニットの袖からは細い指先が覗いていて、なんだか可愛らしくも見える。

「聞くだけでお腹空いてきた。全部作るの?」
「うん! 作るって言ってもカプレーゼは並べるだけだし、ローストビーフもほぼ出来てるから、がっつり作るのはスープくらいだけど」
「へぇー。楽しみ」

 興味があるのかないのか、イマイチわからない反応だ。けれども一緒にキッチンに立っているということは、手伝う気はあるのだろう。というかこちらは手伝ってもらう気満々ではあるが。

「今日は無一郎くんにもお手伝いしてもらいます」
「はい」

 普段彼から聞くことのない業務的な返事に、思わず笑いが漏れた。手伝ってもらうと言っても、そこまで大々的なことはしてもらわない。無一郎くんは基本的に料理というものが出来ないからだ。それはもう、壊滅的なくらい。火を扱うのは以ての外、炊飯器だって高校に進学してからやっと扱えるようになったらしい。彼がひとりで作れるものと言えば、カップラーメン一択。そのくらいのレベルだ。そんな無一郎くんには、火も包丁も扱わない簡単なものを作ってもらうことにした。せっかくのクリスマスに黒焦げのディナーをいただくというのはさすがに避けたいので。
 キッチンに転がっていた赤色と薄い黄色の二点を手に取り、彼の前にズイ、と差し出してみる。さながら、テレビ番組のように。

「こちらがトマトとモッツァレラチーズになります」
「それくらい知ってるよ」
「ふざけましたすみません。私が切るから、この画像のとおりに並べてくれる?」

 事前に検索しておいたカプレーゼの画像を見せると、無一郎くんは素直に頷き、棚から大きめのプレートを取り出した。元々、将棋の大会で優勝するほど頭の良い子だ。画像のとおりに並べるくらいなら、さすがに出来るだろう。
 トマトとチーズを薄く切ってボウルに入れ、無一郎くんへと渡す。彼が大皿に丁寧に並べ始めたのを確認してから、私も残りのメニューへ取り掛かった。玉ねぎをスライス状に切る、炒める、下拵えしておいたローストビーフを取り出す、レタスを切って洗う、ソースを作る、などなど。普段の自炊とそこまで変わらない工程。けれども、隣には無一郎くんが居る。それだけで、いつもの作業がこんなにも楽しく感じるなんて。
 一緒にキッチンに立ち、クリスマスの準備をしているというあまりにも幸せすぎる現実。一生忘れないでいたいな、なんて、アラサーらしからぬ少女のような願いを抱きながら、玉ねぎを炒めること数分。

「できた。どう?」

 どこが自信のある声と共に見せられたトマトとモッツァレラチーズは、画像のとおり美しく並べられていた。ぐっちゃぐちゃのメッタメタになる未来も想像していたのだけれど、そんなことはなかったようだ。一安心である。

「オッケー! 完璧!」
「ありがとうございます」

 職場の上司のように言ってみせると、いやに丁寧な敬語で返されて、二人でクスクスと笑い合う。

「似合わないねぇ、敬語!」
「よく言われる」

 そんな会話を交えながら、無一郎くんが盛り付けてくれたそれらにオリーブオイルをサッと掛けて、コショウを振れば、一品目の完成だ。

「カプレーゼのかんせーい」
「美味しそう。簡単なのに」
「ねー、見栄えいいよね!モッツァレラチーズなんて久しぶりに食べるから楽しみー」
「あとなにかやる?」

 小さく首を傾げた無一郎くんからの質問の答えを、キッチン周りをぐるりと見渡しながら探す。
 手の込んだクリスマスディナーといえど、大体の仕込みは済ませてあるので、残っているのはローストビーフプレートの盛り付けと、スープのパイ付けくらいの簡単な作業だ。しかし、さすがにこれは無一郎くんにやってもらうのは難しいだろう。それこそローストビーフは分厚い塊肉となり、スープのパイは黒焦げパイになってしまうかもしれない。

「んー、ひとまず大丈夫かな。そっちでゆっくりしてて!」

 リビングを示して答えると無一郎くんは納得したように頷き、キッチンカウンターの向こう側へと移動していった。スマホでゲームでもして待つのだろう。それとも何かテレビを見るか、持ってきていた将棋の本でも読むのかな。素直にキッチンを出た彼の背中をチラリと見たつもりが、そこには背中ではなく、誰もが振り返る美しい御尊顔がありまして。

「見ててもいい?」

 カウンターに肘を掛けて寄りかかったことで自然と上目遣いとなり、可愛らしさが増している。どうして、こう、心の奥を擽るような仕草をこうも簡単にやってのけるのだろうか。羨ましいことこの上ない。

「…聞いてる?」
「あっ、ごめん。いや、うん、見てるのはいいけど、特に楽しくないと思うよ?」
「そんなことないよ」

 にこにこ。非常に上機嫌な様子で言ってのけたとおり、無一郎くんは私が色々と準備している様子をカウンターで眺めていた。途中で口を出すこともなく、かと言ってつまらなそうにすることもなく、ただただ静かに微笑みながら、ずうっとそこにいた。

「……楽しい?」
「うん。楽しい」

 頬杖を付いて目を細める姿に、心臓が小さく跳ねる。無一郎くんはたまに、十個も年下とは思えないほど大人っぽい仕草をすることがあるのだ。こんなの年の近い学生たちからしたらたまったもんじゃないだろう。こんな素敵な男の子を、アラサーのおばさんが独り占めしてしまってごめんなさい。手放す気もないですが。そんな意味のない謝罪を頭の中で繰り広げてから少し。テレビで、クリスマス特番が始まる頃。

「できましたぁー!」
「わあ〜」

 三品全てが完成し、無一郎くんの小さな拍手がリビングに響き渡った。
 トマトの赤色と、モッツァレラチーズの淡い黄色の絶妙な色合いが美しい、カプレーゼ。マグカップの蓋代わりにパイ生地を使用し、特別感満載な見た目となった、オニオンスープパイ。炊き立てのご飯が見えないほどのたくさんの赤色で包まれたローストビーフ飯、その周りを彩るサラダ、極め付けは味変用の卵黄という、私の気合いの一品であるローストビーフプレート。我ながら見事なクリスマスディナーだ。

「美味しそう。お腹空いた」
「あったかいうちに食べよ食べよー!」
「うん」

 華やかな料理たちを炬燵型のローテーブルへと運び、無一郎くんのグラスにはお茶を、自分のグラスには近所のスーパーで買った安いワインを注いで、二人揃って手に取る。

「メリクリー! いただきます!」
「いただきます」

 かちん。控えめに合わされたグラスが、軽い音を鳴らした。聖夜のパーティーの始まりは、ここ数年で火の入れ具合や寝かせる時間などを研究した結果、私の得意料理となったローストビーフから。

「ご飯と一緒に食べるの?」
「うん、巻きつけて食べてみるといいかも。ソースも絡めて、そうそう」

 無一郎くんと共に、美しい赤色の肉を特製ソースに絡めて白飯と共に口に運ぶ、と。カッ、とお互いの目が見開き、視線が合わさる。目で感想を伝えながら咀嚼し、飲み込み、第一声。

「「うまッ!」」
「あはは! ハモった!」

 感想が全く同じ、かつ同じタイミングで出たことが面白くて声を上げると、無一郎くんも楽しげにケラケラと笑った。
 なんということだろう。自分で作ったとは思えないほどの美味しさだ。ソースは作ったときに味見もしていたのでわかっていたけれども、肉と白飯と合わせて食べることでこんなにも美味しくなるなんて思っていなかった。
 無一郎くんが食べる手を止めずにもう一口食べて、また一口食べて。三口目を咀嚼し終えてからやっと、「うん、美味しい」と最初の感想とは違う静かな言葉を発して、また笑った。

「美味しいね。肉は勿論だけど、ソースがすごく美味しい」
「ね! 我ながら!」
「本当に美味しい。お店出せるよ」
「またまたぁ、御冗談を!」
「いたいっ」

 その後も楽しい食事の時間は続く。無一郎くんはモッツァレラチーズというものの存在は知っていても食べたことはなかったようで、その美味しさに目を丸くしていた。
 スープパイは味こそとても美味しかったものの如何せん、パイの部分を食べようとするたびにパイの一部が散乱し、その都度テーブルが悲惨なことになっていった。でも嫌な気分になんて一切ならず、むしろそれがどうしようもなく面白くて、私たちは散らかるたびに笑いながら台拭きで綺麗にしてを繰り返した。そうしているあいだにスープは冷め切ってしまったので、とろけるチーズを入れて温め直してみたら、これまた絶品で。美味しい美味しいと二人で言いながら、ゆっくり味わった。

「ふふ…、ふふふ」

 そんなこんなでクリスマスディナーが終盤へと向かい始めたとき、蚊の鳴くような小さな含み笑いが聞こえ、首を傾げる。声の主は一人しかいない。
 無一郎くんはスープの入ったマグカップを両手に収めたまま、堪えきれないといった様子でクスクスと笑っていた。私、何か笑えるようなことをしているだろうか。それともBGM代わりに流しているテレビが面白いことをやっているとか?いやいや、私は同じようにスープを飲んでいるだけだし、テレビもこれと言って面白いことはしていない。笑い声の意図がわからず呆けるも、彼は変わらず口を抑えて目を細めるだけだ。

「ふふ、どうしよう。笑い止まんない」
「え、なんで。どうしたの?」
「幸せすぎて」

 てっきり、私自身が気付かないところで何か間違いをして無一郎くんがそれにコッソリ笑っているものだとばかり思っていた。でも現実は全く違って、それどころか、胸が痛くなるくらいの優しい言葉が返ってきた。まさかそんな改めて言葉にされるとも思っておらず、私は固まるばかり。

「…本当にありがとう、歩」
 ゆるく細められた翡翠色の瞳には、涙が滲んでいるようにも見える。
 ありがとう。感謝の言葉は、こうしてクリスマスを共に過ごせていることへか、それとも、この世界で再び巡り会えた奇跡へか。いや、きっとそのどちらも、ひいては再会してから今までの全てへの思いが込められているのだろう。

「こちらこそ。一緒に居てくれて、ありがとう」

 死別という形で離れ離れとなった過去を乗り越えた今となっては、こうして共に過ごせることすらも奇跡のように感じる。願わくば来年も、この先もずっと共に在りたい。どこまでも、彼の隣で笑っていたい。

「来年は僕ももっと手伝えるように練習しておくね」
「うん! 来年は何にする?」
「うーん…、ステーキ五百グラムとかどう?」
「どんなチャレンジよ」

 来年は、どうしようか。当たり前にやってくる次を期待しながら、二人だけの部屋で未来を想像して、笑い合った。心温まる聖夜は、神様がもたらした大きな奇跡に包まれている。

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