審神者の手によって顕現した明石国行が一番最初に落胆した事は、当本丸においての「蛍丸の不在」だった。
人間の身体を手に入れ、慣れない自らの足で本丸内を隈なく歩いて探し回ったが、やはりどこにも蛍丸はいない。蛍丸がどのようなヒトの形を取っているのかは知らなかったが、霊力を感じ取れば分かるだろうと思い、割りと集中して擦れ違う刀たちを調べて周ったが何処にもそれらしい"蛍丸"はいなかった。落胆の溜息を吐いた直後に、「そうだ、わざわざ歩いて探し回らんでも、主はんに直接訊けばええんやったわ」と無駄骨を折ったことに気付く。しかし実地調査の結果はもう出ている。訊いたとて、「いない」と答えられるのは目に見えていた。ならばわざわざ審神者のところに戻る必要はない。
晩秋、木枯らしの風が吹く、縁側で寝るには心許ない気温となった季節。
新入りである明石は明日の出陣から、他の刀剣たちと共に練度上げのための出陣があるらしく「今日のところは休んでいてくれ。身体を慣らしたいのであれば修練場を使ってくれて構わない」と近侍である薬研藤四郎から仰せつかっていたが勿論ご免被った。なのでこうして一人、中庭の見える縁側で寝転びながら、冬に向け作物の収穫を急ぐ面々や、夕刻になったので放牧させていた馬たちを厩に戻している面々の働きぶりを眺めては、此処に蛍丸がいればなぁと欠伸を漏らす。明日の出陣用に、と渡された刀装を手のひらで転がしていると、厩の方から賑やかな声が聞こえ、声の主たちが近づいて来るのが分かった。馬を戻し終え、本日の内番を終わらせた、鯰尾藤四郎と、愛染国俊の二人だ。
「それでさぁ、望月が三国黒の分の餌まで食べちゃってー」
「足が速いと食う量も増えんじゃね…… って、あー!国行ー!!」
「 あ、新入りの刀だ」
「どーも。 なんや国俊、えろう険しい顔なんかしてどないしたんや」
肩に担いでいた掬鋤を手に持った愛染は「あっったりまえだろうがー!!」と吠える。寝転がっていた明石の腹を軍手を嵌めた手で殴りながら、「さっき何で俺の挨拶を無視したんだよ!俺だって分かってただろ!目ぇ逸らしやがっただろ!」 蛍丸を捜していたときに愛染がいたことには気がついていた。だが、他の短刀たちと何やら楽しげに話していたし、こちらからかける言葉も特に無かったから反応しなかっただけだ。元気そうにやっているみたいなので安心はしていたが、これも別に伝える程のことはない。
「分かった、分かった、痛いわ。やめぇ」
「あはは、愛染の練度高いから明石さんまじで痛そう〜。…あ、そうだ。じゃあ愛染、道具は俺が片付けておくから明石さんとお話しなよ。」
「えっ! いやでも悪いだろ?」
「別に自分も話すことなんかありま…」
「いいって、いって。そう冷たいこと言わないで明石さんも、結構 話は弾むものですよ?知った刀との再会って」
じゃ! 掬鋤を受け取って、鯰尾はニコニコしながら去って行く。「今日の夕飯は、主も手伝って現代のお料理を作ってくれてるそうですよ〜」と言い残して。
後に残された両名の間には微妙な空気が流れたが、最初に沈黙を破った愛染が「…まぁ、元気にやってるみたいで何よりだぜ」と同派を労う。
片手を挙げ、はいはい。と流そうとした明石だが、曲がりなりにもこの本丸で一番話しかけて気が安いのは彼だったので、気になっていた事と、あとどうでもいい事を訊ねてみることにした。
「ここに蛍丸がおらんかったってのは辛いわぁ。てっきりおるもんや思うとったから楽しみにしよったのに。未だ蛍丸に会えてへんとかあの主はん、運がないお人やとか言う?」
明石が「蛍丸」と名を口にした時、愛染の表情が俄かに険しくなったことを見逃さなかった。
それでも指摘せずにいると、明石の言い分を聞き終わった愛染が、言おうか言わまいか、口篭るような様子を見せる。
「なんや。ちゃんと蛍丸おるんか? ……あ、出陣とか遠征とかか。アカン、それを考慮せんかったわ。今は出てるんかいな、どっかに」
「…いや、そうじゃねぇ。蛍は、いねえよ」
なんだ、やはりいないのか。
ならばもう訊くことはなかった。「内番で服汚してるんやろ、はよ風呂入って来ぃ」自分は夕餉が出来上がるまでは暫くここで寝ているから、と。掛けていた眼鏡を外して、目を瞑る。愛染に背を向けると、小さくか細い声が寄せられた。なんだ、これ以上。もう話は済んだのだから、あとは寝かせてほしいのに、
「蛍は、いない」
「今は」
ああ、もう
然もあらばあれ
今日の献立は短刀たちが前に食べてみたいと言っていたから"オムライス"を作った。味付け自体も美味く出来、戦果は上々と言ったところだが、本丸にいる刀剣分の卵を割り続ける作業をしていた長谷部と宗左の表情が、時間の経過ごとに死んでいくのが愉快だった。汁物と副菜を作っていた歌仙リーダー率いる面々の方も終わったようで、後は運んで食卓に並べるだけだ。
「 主はん」
「 おお、明石か。呼びに行くべきかと思ってたんだが自分から来るとはな!ひょっとしてお前、卵好きなのか?だったら新入り祝いに大盛にしてやろうか」
「蛍丸が今はおらんって、どういう意味でっしゃろ」
カラン べしゃっ
審神者の手から取り落とされた茶碗は、木目の床に味噌汁をぶちまけた。両者の裸足の足に、熱い液体がかかる。しかし両名とも、そのことに気付いてはいなかった。
手近にあった布巾を投げて寄越そうとした宗左が、「うわ…」とつい顔を顰めさせるほど、二人の形相は凄まじく歪んでいたのだ。
明石は審神者の表情を真っ直ぐ見据えていた。見ているとある考えに思い当たる。悍ましく、出来れば口にはしたくないこと。
「……まさか、」
「……」
「まさか、蛍を 折ったんとちゃいますやろなぁ? せやったらアカン、そんな腕のない主はんところでなんか命かけられまへん、戦いたくありませんわ。 どうしたんです?黙ってないでなんぞ言うてみてくださいよ。蛍を折ったんやったら、折ったって…!」
「……う」
「…はぁ? すんまへん、声が小そうて聞こえまへん。もっと大きい声で喋ってくれませんと」
「…違う」
「何がちゃうんでしょう、アレは俺の過失やない、折ったんは俺やないとでも言うつもりですか?」
「違う!! 蛍丸は、いなくなったんだよ!!」
騒ぎを聞きつけて、刀たちが集まってくる。
心配していた物や、不安げに見ていた物たちは、審神者のその叫び声を聞いて何のことで言い争っているのかを悟ったようだった。明石には、まだ、解らない。
「……おらんようになったって……まさか、独りでに蛍が何処かへ行ったと言うんちゃいま、」
「その通りさ。大当たりだよ明石国行。蛍はな、いなくなってたんだ。あるなんでもない、普通の日に、突然!ぱったりとな!」
あまりのことに取り乱しまくってたから、こんのすけが俺の代わりに政府へ掛け合ってくれたんだ。そうすりゃお前、他所の本丸でも同じような事例が幾つか挙げられてると来た。何の前触れもなしに本丸から刀剣が消えているんだと。刀種も、時期もバラバラ。まったく発生条件の分からない謎の事象。そのせいで政府も対策案が立てられていないって逆に御怒りを喰らったわ。帰っては来ないのか、もう戻ってこないのか、縋りついてみた結果、何て言われてあしらわれたと思う?
「俺 は 運 が 悪 か っ た ん だ と よ」
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