▼ イイ声に沈む
始まりは、クルー達で賑わう食堂の場にシャチが転がり込んできたのが最初だった
「慌しいなシャチ 埃が舞うだろ」
「キャ、キャプテン!た、大変です!!」
「なんだ?大型の海王類にでもぶつかったか」
「ナマエが、 喋りました!!!」
カラーン、と誰かの手からスプーンが滑り落ちた音が食堂内に響き渡る。
水を打ったような静けさに包まれた一同に、シャチが呼吸を整える音だけがよく聞こえた
ナマエが、あの男が、喋っただと…!?あの、ナマエが?いつから仲間になったかも不明で、仲間になってから一回も地声で喋ったことのないナマエが?いつもスケッチブックを持参して筆談で会話するようなナマエが?食べ物のことにだけは異様に食いつきを見せるナマエが、ってこれは関係のないことか
誰もが疑問に思ったことをローはシャチに説明させようと急いた
「どう言うことだ、詳しく説明しろ」
「は、はい! さっき、見張り番をしてたナマエに、『飯の時間だぞ』って呼びかけたんです。 で、アイツその時は番してたからいつものスケッチブック持ってなくて、まずそこで珍しかったんすけど、でも一応返事をしなきゃって思ったんですかね、『分かった、今行く』って、言ったんです!地声です!!」
「間違いないのか。お前の空耳とか」
「いいえちゃんとこの耳で聞きました!!し、しかもですねアイツ!」
「まだ何かあるのか?」
「めっっちゃめちゃ!声がいいです!!おれ、腰がやばいです!」
「………」
ガチャッ
「………?」『お取り込み中ですか』
「「「ナマエー!!!」」」
『!?』
スケッチブックをわざわざ取りに行ってたのだろう。シャチの後から遅れて入室してきたナマエに、全員で飛び掛った
シャチの腰を砕けさせた、ナマエの地声を聞く為に
「ナマエ!今日はお前の大好物のマグロ丼だぞ!」
『嬉しい』
「これぐらいじゃ駄目か!」
『?』
「ナマエ、見張り番してた時に何かなかったか!?」
『異常なし』
「くそっ」
『??』
「これなら行けるだろ!ナマエ!早口言葉を披露してみてくれないか!」
『隣の客はよく柿食う客だ』
「うわー速記じょーず」
クルー達が挑み、悉く打ち返されて終わる
そもそも何年もダンマリを通してきたナマエが、こんな柔なことで喋り出すわけがない
今までは、「本人が喋りたがらないんなら無理して喋らせる必要もないだろ」と言っていたローも、あのナマエの声を聞いたのがシャチだけ、と言う状況にとても腹が立っていた。船長として、クルーに出し抜かれていてはメンツが立たない。ローは真面目にそう考えていた。だから船長権限で奥の手を出すことにする
「ふん……ナマエ、おれは今から酷なことを言うぜ?」
『さっきから何なんですか?』
『オレ、早く飯が食いたいんですけど』
「ナマエ、船長命令だ。何でもいい、好きな食べ物の名前でもいいから喋ってみろ」
そうだキャプテンにはその手があった!とクルー達は手を打った
無口のナマエでも、キャプテンは立てている。
そのキャプテンからの命令ならば、たとえナマエだろうとも
ナマエはウッ、と詰まる。長いながい沈黙が降りた
「………………………」
「……………」
「……………」
「……………………………………ブリの、煮付け」
「はぁ…っ!」
「うわ…!」
「な、なんだこれ…!!」
「な?な!?聴覚通り越して下半身に直接響いてくるだろ!?」
「シャチ、おまえヤバイことになってんぞ」
「しょうがないだろ!2回目なんだから!!」
「て言うか、キャプテンが、やばいぞ」
「至近距離で聞いたからだ…!キャプテーーン!」
食堂に崩れ落ちたローとクルー達の姿に、ナマエは無表情で、多用している『?』のページを見せながら、自分用に用意されていたマグロ丼を手に取って席に着いた。醤油を垂らして貪り食っているナマエの姿を尻目に、一同は暫く起き上がることができないでいる
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