とうらぶ | ナノ
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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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彼と言う存在


雪解けた後の春の季節は、なんと可愛らしいのだろうかと小狐丸は思った。

屋敷の中庭に誂えられた池の、傍に立つ桜の木からは桃色をした小さな花弁たちがヒラヒラと舞い踊り、池の水面に浮かんで景色に色を添えている。
日柄も良く、早朝な時分ではあるがとても温かく、過ごしやすい一日となることだろう。肌触りの良い風も吹いてきた。耳や、尻尾の毛が、ふるりと震える。すごく気持ちがよい。



「あれ? なんだ小狐丸、もう起きてたのか!」

「お早う、獅子王。少し目が早くに冴えてしまってな」
「それで早くから庭先の掃除してんのか? ひえ〜偉いな、お前!」

ふわ、と欠伸をした獅子王は寝間着にしていたジャージ姿のままだ。厠で顔を洗おうとして、庭に立っていた小狐丸を見つけて声をかけに来たらしい。
「やっぱちょっとさみぃな〜!」
獅子王はそう感じたようだ。小狐丸からしてみれば、とてもそんなことは無いのだが。


「 ぬしさまはもっと早くに目覚めていたご様子。私が起きた時には、もう布団は片付けられていたんだ。何かあったのだろうか?」
「んー。 あ、アレじゃね?昨晩の鍛刀の成果を見にさ…………








「タカシーーーー!!!!」











…………なんだぁ?」
「さあ…………」


突如響き渡る主人の大きな呼び声。
一つ確かなのは、この屋敷内に「タカシ」なる名を持った者は存在していないと言うこと。大声ではあるが、事の重大さと叫ばれた単語が反して危機感が生まれて来ない。
何かあったのだろう、様子を見に行こう、と獅子王と小狐丸は顔を見合わせ、声のした方――鍛刀中の工房へと向かった。


案の定、そこには 何故かワナワナと慄いている様子の主人と、
そんな主人からの視線に居心地悪そうに立っている茶髪で、長い槍を持った一人の男
男は入室してきた子狐丸と獅子王の存在に気がつくと、「よかった、助けてくれ」開口一番そう言った。


「……なーにやってんだよ大将」

ともかく、「タカシ」と声高に叫んだ主人から直接事情を説明して貰わなければ話が分からない。
今にも泣き出しそうな顔をした主人は、感極まった声でこう言った。



「俺が高校ん時のクラスメートのタカシにめっちゃそっくりな刀が……槍か?来たんだよ!!どう見てもタカシ!一見イケメンなのに哀れ女子からは「いいお友達って感じなのよねー」って言われるレベルに草食系男子っぽいこの顔立ちは正しく俺のダチのタカシ!ファッションセンスは可も無く不可も無く!なので寝る時や家にいるときはいつも高校のジャージを着て過ごしてたタカシ!ださい!でも悲しいまでに似合っているから切ない!タカシー!!会いたかったぞおおおお!!」



「…いや俺、"御手杵"っつーんだけどさ……」
「タカシじゃあねぇんだな…」
「その上、何やら失礼なことを言われているようではないか?御手杵とやら」
「出会って早々の熱烈な抱擁を、こんな微妙な気持ちで受け取ることになるとは思わなかったぜ……」




その後、どう言い聞かせても「こいつはタカシだ」と言い募る主人と、来て早々にやつれた顔をしている御手杵のことを見かねた小狐丸が

「良いですか、ぬしさま?彼の名前は"御手杵"です、おてぎね。さん、はい」
「タカシ!」
「不正解です」

辛抱強く言い聞かせ、その傍らでは
「俺は…タカシだったのかも知れない…これからはタカシとして生きることにしてみっか…」 己のアイデンティティが崩れそうになっている御手杵に対し、「しっかりしろぉ!お前はタカシじゃねぇ!ただ一人の御手杵だろ!ゆーあーおんりぃわん!」と励ます獅子王の姿があった麗らかな春の朝。


ようやく全ての自体に収束がついたのは、「そうだ…そうだよな……此処は俺の生きていた現代とは違うんだ…タカシがいるわけないよな…へへへ…」主人の現実逃避からの帰還によるものであった。


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