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「#幼馴染」のBL小説を読む
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小狐丸


「○○、という」


瞬間、耳を劈くような煩わしい雑音が聴覚のすべてを乗っ取ったかの如く、主の聡明なお声をすべて掻き消してしまった。

伏せていた顔を上げ、恐る恐る「…どうだ?」と問うて来た主に、小狐丸は心の底から落胆の表情を浮かべた。「聞こえませんでした」 心なしか、狐の耳のように見える髪の一房もしょぼくれているようだ。


「そうか、やはり聞こえないか」



――「ぬしさまのお名前を知りとうございます」 そう言ったのは小狐丸だった。

審神者は人の身でありながら、付喪神たちを顕現し従えるという一種の人道に外れた行いに対し、自身の名を神に明かしてはならず。さすれば名を奪われ、縛られ、心ごと喰われ死んでしまうのだと言われている。そういう制約があると言うことは審神者の間では暗黙の了解であるが、当の付喪神である刀剣男士たちにはそれほど浸透していることではなかった。故の小狐丸の発言であったのだ。

決して、名を奪ったりだとか、縛ったりだとかはしない。
主のお心には多大な執着がございますが喰らうという意は一切存在しない。
ただお名前を知りたい。知っておきたい。ただそれだけだと。


自他共に認める、小狐丸を可愛がっている審神者は悩みに悩んだ末、小狐丸のその要望を受け入れることにした。
確かに小狐丸が自分の名を知ったところで、それを悪用することはないと信用していた。それにもしも腹に一物を抱えていて名を奪われようが、それはそれで構わないかとさえ思っていた。そういう人生の終わりだってあるさ。基本的に根が適当なのだと彼の初期刀である歌仙兼定は言う。

しかし。



「うーん、やはり術のせいだな」
「術、ですか」
「審神者としてこの役目を任じられたときに必ず一度は政府側の要望で軽いメディカ……検診のようなものを受けるんだ。まあ検査というか、なんというか。それがまた5時間くらい及ぶもんで俺たちは一旦薬で眠らされる。その間に検査が行われて、起きたときには全てが完了してる」

多分、その過程で特別な術式を体に施されたんだろうな。その一つが、自分の名前を口に出来なくなる、といったところか。 ははは、そう言われてみればそうだ。本丸に配属されてから一度も自分の名を名乗る場面に出くわさなかったせいで、知らずにいたな。

「 ○○、○○、 ○○、どうだ?」
「……雑音しか聞こえませぬ」
「自分ではちゃんと音にしてるつもりなのに、聞こえないのか。不思議なもんだなぁ。この分じゃ、もっと他にも不便になっているところがあるのかも知れんな。怖いこわい」


もしかしたら文字にして書けもしなくなっているやも知れんな。どれ。……あ、本当だ書けん。ははっ、なんだこれおい凄いな!俺はしっかり名を書いたつもりなのに蚯蚓のような線になったぞ。



適当なのか空元気なのか分からない様子で主は言うが、言いだしっぺの小狐丸は殊更残念そうにしていた。
主の名前が知りたかったのは本心だった。
「小狐丸」と呼んでもらえるように、自分も主の名前を呼んでみたかった。
しかし、不可能なことをいつまでも嘆くことはしない。小狐丸は気を取り直したように、「ぬしさま」といつものトーンでいつものように主を呼んだ。


「ぬしさまのお名前を今聞けないのは残念ではございます」
「ごめんな。折角言ってくれたのに」
「いいえ。 ですが、いつまでも口に出来ないということはございませんでしょう?」
「ん? つまり?」

「この戦いが終わったのち……その機が訪れた際に改めて、ぬしさまのお名前をこの小狐めにお教えください」


その日が来るまでは、ぬしさまはぬしさまのままで構いませぬ。この小狐、"待て"も出来る狐であれば。


「…それもそうだ。 よし、では戦いが終わって政府に術式を解く術を教えてもらったら、いの一番に小狐丸に会いに行って名前を伝えることにするか」
「はい。」
「しかしな、そう大した名ではないんだ。あまり過度な期待はせんでくれよ」
「心得ましてございまする。 約束ですよ、ぬしさま?」
「ああ、約束だ」


審神者と神様との間には色々と制約や禁則なんかがあるが、「約束ぐらいなら交わしても構わんだろう」 審神者は小指を出してきた。「指きり、というのは知っているか?小狐丸」


「はい。お互いの小指を、こう絡めて行うのでしょう?」


約束など、主となら幾らでも交わしたい。
小指だけと言わず、手の指すべてを渡したとて足りないだろう。


「じゃあ、指きりげんまん、嘘ついたら針千本だ。ほい、指きった」
「ええ、切りました」





結局、主の名前だって、多くの内の一つに過ぎないのだ。




狐の腹で抱えていた物は、たった一つどころにとどまらない
本心がいくつあっても、足りない

出来るならばあなたのすべてを知りたいのです、ぬしさまあ。



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