千年先の雨のにおいがした | ナノ
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後日談

膜の張っていた両目では視認することが出来なかったが、膜を拭い去り改めて確認すると男の体は最後に見た四年前の時のものよりも"はり"がなかった。身につけていた外套はくたびれており、その下から覗く腕や脚の筋肉には衰えが見える。長期間の間、両手足を使わずにいたのだろう。やはり暫く寝たきりの生活を送っていたと言うモガ村の女将の話は本当だったようだ。
一振の大きな太刀を杖代わりにつき、片足を庇うようにして立っている様子も視界に嫌でも飛び込んで来る。呆けたような表情を見せた後、状況把握から立ち直った男は

「……泣くなよ、リーダー」

そんな言葉を 四年越しの再会に対して、口にするのだった。



「……っ! 泣いて、など…!」


川のせせらぎと、山から聴こえてくる風の涼やかな音を除けば、船着場には二人だけがいるという静かな空間だった。船の船頭は次の仕事があるからと数刻前に川を下り、後に残される形で二人――かつての筆頭リーダーと、彼の探し人である我らの団ハンターは、正しく対峙と言っていいような面持ちで対面を果たした。

来る日も来る日も ハンターズギルドから下される任務の傍らで、情報を集めた。
数少ない目撃情報の中から特に信憑性の高いものを洗い出し、合間を縫って情報元に赴き、誤情報だったと落胆したり、足取りの一端を掴めたと歓喜したりもした。とうに打ち切られていた捜索任務の継続を受け持ちながら、ギルドの仕事に追われ、やはりもう生きていないのではという絶望を押さえ込みながら続けた、この四年間。

しかし全くもっておかしなことに、これまでの日々が報われる時がようやく訪れたというのに、夢にまで描いていたような気持ちの高揚がやってこない。
半ば呆然とした様子になっている自分自身を鑑みるに、未だ脳が状況把握に努めていないのかもしれなかった。
目の前にいる人物が本当に本人なのかも、いっそ疑わしくなってくる。

「………君は ほんとうに、」

ようよう搾り出せた声を 目の前の人物はいとも容易く受け入れる。

「やっぱり、お前もあの約束を覚えてたのか?」

会話が噛み合っていない。だが、"あの約束"とは、あの日ドンドルマで交わしたソレのことを指しているのだろう。もちろんだ、と頷いて返す。男は「そっか」と、それは嬉しそうに笑った。笑った顔は、今も変わっていないのだと思った。

「もしかして、あの日からずっと俺のことを探しててくれたのか?」

それこそ、当たり前だと返すしかない。
いやもしかすれば口調に少し怒気を混じらせてしまっていたかもしれない。相手に向かって怒りをぶつけるのはお門違いだと思っているのだがどうしてもその言い草に多少の苛立ちを覚えたのだろう。当然だ、探すに決まっている、だって、君はとても大切な――……

「ありがとう……って、言いたいんだけど」
「…?」
「……実はあのな、俺、あんまりあの日のことを覚えてないんだ」

とても大きなセルレギオスを みんなで追っていた。それは覚えている。戦った。何度も何度も死ぬような思いをしながら。追い詰め、追い詰められ。やがて己の武器が相手を捉え、巨体を裂いたような感触は今も手に残っている。

「そこからだ。リーダーや、ランサー達と一緒に"アイツ"を倒したところまでは覚えてる。でもそれからの記憶が曖昧なんだ。ただやけに熱くて、暑くて、しんどくて。フラフラしてたのは覚えてる。でもどうして俺は一人で、こんな怪我まで負って、何年間も我らの団に戻れないような体になってしまったのか、その原因を覚えてないんだ」

男は……我らの団ハンターは。
居所が悪そうにもぞもぞと動いた後、困ったように微笑した。視線から逃れようとしたのかも知れなかったが、彼の性格を考えるにただ単に……。


「お前や団の皆のところに帰りたいなっては思ったんだ何度も。でも、その度に"じゃあ何で俺はこんな怪我を負ってるんだ?"って考えて、不気味になった。こっ酷い迷子になったもんだ。いつも通りクエストを終わらせて、いつも通りに帰還するはずだったのに」

「…………」

――あの時の記憶を喪失しているのか。セルレギオスに囚われ、空中を彷徨い、そして深い谷底へと放り投げられるようにして落ちて行った、あの時の記憶を。


「…………君はそれを」
「…ん?」
「不気味だと、捉えているのかも知れないが、」

声が震える。これほどまでに声帯に力を込めようと試みたことはかつて無い。

「私から言わせてもらえば、そんなことはもう、"過ぎたこと"だ」

「…過ぎたこと? どういう意味だ?」

我らの団ハンターはきょとんとした様子で問いかける。大柄な体格に合わないその幼い表情もまた好ましく、また見られてよかったと目頭が熱くなるのを感じる。しかし今はどうしても、この四年間の積年の あらゆるものを言葉にしなくてはならない時だ。

「……失礼を承知で言わせてもらう。 君が覚えていない間の記憶が不気味であるとか、原因だとか、私にすればどうでもいいことだ、そんなことは」
「ど、どうでもいい…」
「ああ。なにせ、今こうして君が私の目の前にいるからだ」

言わせて貰うがと前置いた上で、リーダーは一歩前に歩み出た。相手との距離を詰めて、手を伸ばせば体に触れるところまでやって来ると、四年前よりも少しだけ増えた目尻の皺をキッと寄せて、変わらない蒼穹の色した双眸が強く相手を見据える。

「君を思い悩ませて苦しめるような記憶のことなど考えるに値しない。たとえ君がそのことでまた心を痛めるのなら、無意味だと断言する。 この四年の間、君と関わったどれだけの人々が、どれほど君の不在を嘆いたと思っている?皆が心を痛めた。心配し、何も手につかない日もあったことだろう。しかしそれは、皆が君のことを大切に思っているからだ。 お人よしで、他人のことが大切な君のことだ。君が抱いていたと言うその"不気味"だという感情は恐らく、不安とも言い換えられるのではないだろうか。己がいないことでもたらされる他への影響を 無意識のうちに考えてそれに押し潰されていたのでは?君の不在の間、人々が抱いていたのは絶望ばかりではない。きっとハンターさんは生きているはずだという、希望も共にあった。そのことを少しでも念頭に置いていれば、そのようなものに君が参ってしまうこともなかったはずだ」

他人が聞けば、「もっと他にかけるべき優しい言葉があるだろう」と言うようなことを口にしているが、

君のそれは間違っている、そう言いたいのだ 筆頭リーダーは。


「……そうだな。

…もしかしたら本当は、"不気味"だったんじゃなくて、みんなに"申し訳ない"って、思ってたのかもしれないな……」


力なく笑ったその顔は、筆頭リーダーの言葉に打ちのめされているわけではない。
水滴混じりになっていく二つの眼を瞬かせ、いくつかを地面に染み込ませた。
泣き顔を初めて見てしまった、と場違いに精神だけをあたふたとさせている筆頭リーダーに対して、彼は先ほどよりも見て分かるほどに晴れ晴れとした顔で、

「じゃあやっぱりここで俺が言うべきなのは、"ありがとう"ってことだな」

そう言うと我らの団ハンターは杖代わりについていた太刀を地面に落とすと、震える両手を差し出した。フラフラと立つ彼に慌てて駆け寄り、自分の両手を差し出して支えてくれた筆頭リーダーの顔を真正面に見据えながら、


「わけの分からないことで皆と離れ離れになってしまってずっと不安だった。また会えるのかとか、どうやってこっちから会いに行けばいいんだとか色々分からなくなって、すごくつかれた。
でも、そんな俺を探し続けてくれて、見つけてくれて、本当にありがとうリーダー 逢いたかったんだ、お前にずっと」





――やはりもう、限界だ。


長年、内に溜め込まれていたものがついに堰を切ってしまうように。
ボロッと音を立てるようにしてリーダーの目から零れた涙を見て、ハンターはギョッと驚く。


「な、なななんで泣く!? どっか痛いのか?疲れたのか?」
「わ、分からない…自分でも理解不能だ…! どうしてか、とても、嬉しいはずなのに、何故だか止まらない…!」
「…、……へ…」

間の抜けた声を出したあと、ハンターは支えてくれていた手をパッと放し、次の瞬間には顔をカーッと真っ赤にさせた。

「!? 君、顔が突然真っ赤になったぞ!熱でも出たのか!」
「や、その、別にこれは、人体に別状はないかなっていうアレだけどさ」

途端にしどろもどろになった受け答えに怪訝そうな顔をした筆頭リーダーは、ふらついて倒れそうになっているところに「ほら、ちゃんと掴まっておかないか!」と叱咤し自らの手をもう一度差し伸べる。
赤ら顔のままその手を受け取ったハンターは、それでもまだちゃんと視線を合わせられないのか空中を何度か彷徨わせた後、リーダーの顔を見下ろしてまた「ははは…」と曖昧に笑った。


「……なんだろ」
「先ほどから一体どうしたと言うのだ」
「や、その……この四年の間さ、」
「ああ」
「ずっとリーダーの顔とか思い浮かべながら過ごしてたから、冷静になってくると目の前にリーダーがいるっていうのがちょっとその……恥ずかしくなったと言うか」
「…………! そ、うか。 この顔は、君に恥ずかしいもの、なのか」
「いや!違うぞ!?べつにリーダーの顔自体がどうこうってワケじゃないからな! お前は昔と全然変わらずに綺麗なままだ!」
「そう………… ……!?」

驚いた拍子で後ろへとよろめきそうになったリーダーを「おい!」と、腕を掴んで引き止める。

「大丈夫か?」
「あ、ああ」
「ここまでの長旅で疲れてるんだろ。ユクモの温泉に浸かって、ゆっくりしろよ」
「そう………いや待て、そう言えば君はどうしてこのような場所にいたんだ?」
「え…?あ、そう言われると何でだろうな……。 いや、別にユクモ村を出ようとしたわけじゃないんだ。脚の運動も兼ねて散歩しようと思って村は出たけど、こんなところまで来る予定じゃなかったんだけどなぁ……。もしかしてリーダー、俺を呼んでたか?」


――なんてな。
イタズラっぽく笑いながら、「呼んでたか?」などと言われてしまえば、


「……君の言うとおり、もしかするとずっと、呼んでいたかもしれない」



「……そっか。じゃあ、気づけてよかった」



ふ、と顔を合わせ微笑みあえば、体験したことのないむず痒さと気恥ずかしさに襲われる。
体の芯から心臓にかけてが何かに揺さぶられるようで、ひどく身悶えをしたくなった。



遠くの山から風に乗り、かすかにだが獣に似た咆哮が聞こえて来た。
ユクモの山々にも棲息していると言う、ジンオウガ種のものだろうか。
音が耳に届くと、「……夕暮れになるとこの辺りにもモンスターが出るらしい。そろそろ行くか」と促した。歩き出す彼の隣をついて行きながら、「ああ」 そう返事をして、こんな何気ない言葉のやり取りにでさえ心を揺さぶられてしまうのかと思う。 どれほど自分自身が 彼に焦がれ続けていたのか。


「……ユクモには、長期滞在するつもりだったのか?」
「ああ。一ヶ月ほどを予定していた。仕事は全て終えて、個人の所用で訪れているから、急な要請でも届かない限りは」
「そっか……。お疲れさまだな」
「ありがとう。……君は、これからどうする筈だったんだ?」
「それを今さら聞かれると、なんだかな。 これからの予定なんて、今日で百八十度変わっちまったしさ」

嬉しそうにそう口にする横顔を見つめ、むくむくと ある感情のようなものが芽生えてくる。

「……君の無事を 報告しなければならない人たちは、たくさんいるんだ」
「? ああ」

ポツリとリーダーが零した言葉は、響きに反してどことなく言いよどむようなトーンを見せていた。

「きっとその誰もが無事の報せを心待ちにしている。 そして私には、彼らに伝えるという義務があるだろう」
「…ああ」
「…………………だが、しかし、その…」
「? なんだ?」


言ってもいいものか、言うまいか 
迷ったような素振りを見せていたリーダーはしかし意を決したようにこう続ける。


「暫くの、間、その、少しだけで構わない、私にだけ、君との時間を共有させては…もらえまいだろうか…」


いっそ憐れなほどに搾り出された言葉と声の様子に、少々の面を食らったハンターは、それでも自身の顔にじわじわと広がっていく喜色をまるで隠すことなく


「当ったり前だろ! 積もる話だってあるんだ。温泉に浸かりながらでもいいし、ユクモの村をぶらぶら歩きながらでも、部屋を取ってそこでのんびりしながらでもなんでもいい、会えなかった分、ずっと隣にいようぜリーダー! それで絶対、これまでの日々が帳消しになるくらい幸せになれるさ!」










しとしとと二人の体を濡らしていた雨はいつしか止んでいた。
空を覆っていた雲は晴れ、蒼穹の空と眩しい日差しで照り付ける太陽が顔を覗かせる。
山間から吹く風は温かく、穏やかなスピードで二人の間を通り抜けて行く。

辺りが仄かに香り立つ。

どこか鼻に残る、雨上がりのあとのにおいがした。





― 完 ―