千年先の雨のにおいがした | ナノ
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22

「………、……」
「……」
「………… …」



その場にいた三人ともが、呆けたように事態を 他人事のように眺めていた。
誰しもが当事者であったことなのに、それでも、現実を理解するための時間を要したのだ。


最初に覚醒したのはランサーだった。
体当たりをした直後に転がっていた身体をようよう起こし、自身が仕掛けた罠にかかりその上で絶命している狂竜セルレギオスの姿を視認すると、ジワジワと表情に穏やかな色を浮かべた。


その次が筆頭リーダー。
ハ、ハ、と乾いた息を何度か零した後、砂と、靴の踏み跡で汚れていた自分の掌を眺める。呆然とそれを眺めた後、何者かを探すようにフラフラと視線を彷徨わせ、そしてそこにいた者とその無事を確かめると、今度こそ「……ハ、ハ」とほんの短く、笑い声のようなものを上げた。



そして――我らの団ハンターは、打ち立てていた武器をガッと抜き取り、力は振り絞ったとばかりに身体をよろめかせ、立っていた狂竜セルレギオスの身体から転がり落ちるようにして砂地へと倒れこむ。ぼふっと舞い上がる砂の感触を受け、あちこちに出来た傷や口にそれが入って来るのを気にしさえしなかった。疲れた。ひどく、とても。


「…だい、じょうぶか、君」


倒れたハンターの様子を見て慌てて、脇腹を押さえ、背中を庇うようにヒョコヒョコと近寄ってきたリーダーに、ハンターは無言で首を振る。
けれど何か言わなければと、疲れによるぎこちなさで口角を少しだけ上げ、


「……へへ、つかれた」


そう零す。その言葉を聞いて、筆頭リーダーは形容しがたい気分に襲われる。

――この者が、何かのクエストに対して疲労や疲弊、泣き言を言ったことは、自分が訊く限りでは初めてのことだ。

それ程までに此度のクエストは、通常のものとは違ったのだと、ハンターの様子から察せられてしまう。



「……そっちこそ……」
「…む?」
「せなか、平気なのか?」
「………この程度 君の受けた傷に比べれば、掠り傷だ。……よく、そんな身体でここまで持ち堪えたものだな」


いまだ起き上がる気配のないハンターの顔近くに、リーダーは両膝をつくようにして座り込む。
砂埃を被り汚れた顔に、手甲を外した掌で触れてそれらを払ってやる。
それが気持ちが良いのか、ハンターは緩く眼を瞑り、


「……ああ こうして、人肌に触られるのは、気持ちがいいんだな」


と言って笑った。
とても気恥ずかしかったが、今はこうしていても許されるような気がしたので、リーダーは己の手を止めなかった。


「おやおや」とにこやかな笑みを浮かべながらランサーが近づいて来るまでは。



「!!!」
「 ハハハ、なんだ、別に手を止めなくても構わなかったのだが」
「……りぃだあ、手が離れてったぞ……」
「も、ももももう充分だっただろう! まだ周囲の状況確認は終わっていない、ガンナーやルーキーたちとも合流をしなくてはならないし、クエストが終了したと連絡を……」


「――あれ。 団長の鷹だ」


仰向けに寝転がっていたままのハンターが、上空を飛ぶ鷹に気がついたようで「おーい」と掌を振る。
旋回していた鷹は呼びかけに応じ、すぐさまハンターの腹の上へと降り立って来た。

キュルキュルと喉を鳴らし、パチパチと目を瞬かせ、首を傾げたり覗き込んだりしながら、ハンターの様子を見ているようだった。
狂竜セルレギオスに本能から近づけないでいたものの、ずっと心配して上空を飛び続けていただのろう。


「さすが団長の鷹。えらいな」
「クルル…」
「……へへ、ありがとう、団長。お前も、な。俺は生きてる。帰るよ、皆のところに」


頭の毛を撫でてやると、しばらくは気持ち良さそうに手に擦り寄っていた鷹だが、ふと何かが気になるようで頻りに顔をあちこちへと回し、視線を彷徨わせ、バサバサと羽音を立てながら斃れている狂竜セルレギオスへと近寄った。
「おい?」
行動に疑問を感じたハンターは痛む身体を起こし、鷹に近づく。その様子を、リーダーとランサーも背後から見守っていた。


「どうした?」


鷹はやはり頻りに首を動かし、忙しなく翼をはためかす。トットット、小さな脚でジャンプするように狂竜セルレギオスの周辺を移動し、そしてちょうど腹部辺りで立ち止まる。
コツコツと嘴で腹を突き、首を回しては翼を動かす。そしてまた嘴で突いての繰り返し。
明らかに、そこが気になって仕方が無いようだった。

「?」

ハンターもセルレギオスの腹部に手を当ててみるが、特段何も感じない。それでも、鷹は一連の行動をやめないでいる。
「何かあるのか?」
鷹はじっと見つめて来る。そのようだ。

「リーダー、ハンターナイフ貸してくれるか?」
「構わない」

腰から抜き去ったハンターナイフを手渡される。「腹を捌くのかい?」ランサーが問う。頷くと、「では捌きやすいように体勢を変えようか」そう言ってセルレギオスの身体の下から、身体全体で持ち上げる。筆頭リーダーもそれに手を貸し、ほんの少しだが腹部がよく見えるようになると、ハンターは借りたナイフを慎重に突き立てた。二人と一羽がそれを注意深く見つめている。


硬い鱗と柔らかい皮の表層を突き破り、硬く食用には適さない肉と、肥大した内臓器官と胃袋にあたる大きな器官が見えてくる。溢れてくる血でリーダーのハンターナイフを汚さないように、ゆっくりとそこに刃を立てる。
袋部分の薄い皮膜を破り去ったところで、そこで"なにか"が動いているのが分かった。


「……?」


明らかにそれは生き物だ。狂竜セルレギオスの胃袋に対してとても小さい。


―――まさか。


ある考えが脳を過る。まさか、まさか、まさか。まさか!

殊更慎重に刃を立て、胃袋の側面に穴を開け、ハンターはその器官の奥へと躊躇なく両方の手を差し込んだ。
後ろで見ていたリーダーが驚き、肩に手を置いて「やめるんだ、狂竜状態だったモンスターの内部に生身の手を突っ込んでは何があるか…!」と制止の声を上げたが、今は構っていられない。


ぐちゅりと嫌な音を立てながらも、伸ばした手と感覚だけで"それ"を手にしようともがく。
そして、指先がそれに触れた。
血で汚れるのも厭わずにグッと肩を押し付け、完全にそれ全体を手が掴むと、ゆっくりと引き出す。


掻き出されて来た他の物質と共に、暗い胎の中から出てきたのは……



「―――!?」
「な……」

「――相棒ッ!!」


それは、確かにあの時、狂竜セルレギオスに食われたはずの相棒――オトモアイルーだった。
怪我だらけで血と胃液に塗れぐったりとした様子だが、ふさふさの毛がある胸はわずかに上下している。
「相棒!」
もう一度声をかける。優しく頬を撫で、「起きろ!」と呼ぶ。


「………」
「なあ頼む、おきてくれ相棒!」
「… …、…」
「っ」
「………… にゃ…」
「は…!」


ぼんやりと瞼が開く。
鮮やかな緑色した焦点の合わぬ目が、ふらりと揺れてハンターの顔を捉えた。


「………旦ニャさん、かニャ…?」
「っ! そうだ!分かるか!?」
「ニャ……どうして……」

不思議そうに問いかける。そう、それはハンターも同じだった。
背後から興味深そうにしていた筆頭ランサーが「これは一体どういうことかな」と問いかけて来た。
相棒のオトモアイルーが狂竜セルレギオスに食われたときの一部始終を話すと、「ふむ」ランサーは顎に手をやり、

「恐らく、"丸呑み"にされたことで助かったのだろうねオトモは。セルレギオスは基本的に咀嚼という行為はあまりされないとされているし、これだけの巨体を持ったセルレギオスだ、口内で噛み砕かれずに、そのまま胃へと直結されたんだろう。オトモの身体はこのモンスターに比べると赤子同然だしね」

「なるほど…」

確かにランサーの言うとおりかも知れない。
こうして生きていてくれた事実が幸運だと思っていたが、オトモ自体の生命力の高さもあってこそだったのだろう。
今一度、オトモの身体をぎゅっと抱きしめる。「い、いたいニャ…旦ニャさん」そう言われた時、泣きそうになった。

暫くそうしていると、背後からおずおずと出てきた筆頭リーダーが手を差し伸べる。

「彼をこちらに」
「どうするんだ?」
「酷い衰弱状態なんだ。簡易の応急手当はした方がいいだろう。まして、セルレギオスの血液で汚れているのだ。何を発症してしまうか分からない」
「それもそうだ……頼めるか?」
「ああ。……君に関わることならば、たとえアイルーであろうと、成し遂げてみせる」
「なんでそこで、そんな決意を堅くしてるんだよ…」

笑いながら、オトモアイルーをリーダーに託す。するとそこで、「ようやく出番が回ってきたか」とばかりに、鷹がピョンっと、ハンターの膝の上に乗りあがってきた。

「ああ、そうだ。お前を一番に褒めなくちゃだったな」

「なんでアイツがいるって分かったんだ?」問いかけながら、頭を撫でてやる。やはりバサバサと翼をはためかせていた。動物にしか分からない、生物的な感覚やらが作用したのだろうか。

「ともかく、ありがとう。お手柄すぎだよお前は。帰ったら、団長にちゃんと報告しておくから、めいっぱい褒めてもらえよ?」

鷹が鳴く。
そしてランサーがハハハと笑った。


「気付いていないかも知れないが、君の姿もなかなか壮絶だよ。戦っていたときよりも血だらけではないかね?」
「え?……ああ、本当だ」
「血をそのままにしていても、あまり良いことはないな。血の臭いに釣られて、何が寄ってくるかも分からない。増してやその血はかなりの異臭を放っているしね。やれやれ、一体このセルレギオスは何を食べていたらこのような臭いの血になるのか……」


研究者としての血も騒ぐのか、ランサーの瞳に知的探究心が垣間見えている。

ともかく、事は収束した。早く観測班と連絡を取り、クエスト終了を継げて帰りの手配をしてもらわねばなるまい。



ハンターは膝に力を込めて、立ち上がる。リーダーもオトモアイルーの手当てを終えたようで、ランサーも、ガンナー達が来ていないかと遠くに目をやっていた。


しかし。
血まみれであるハンターの肩に飛び乗って来た鷹が、ふと丸い目をキュッと見開いた。

「どうした?」

ハンターが問いかけるが、反応を示さない。ソワソワとした様子で、モゾモゾと身体を動かし、キョロキョロと首を振る。
オトモアイルーを見つけてくれた時のような、先ほどまでの様子と違う。
何かが来る。それに対して、怯えのようなものを見せている――……


「………」


疲弊し憔悴しきっているハンターにも、"それ"をなんとか感じ取る事ができた。

何かがくる。 なにかは分からない。 しかし。この空気は。


心臓のざわめきは気のせいではない。
冷や汗が流れてくる。

リーダー。リーダーは。
気付いていないか。この感覚を。


縋るように向けた視線の先、筆頭リーダーは大きく声を上げていた。



「―――ガンナーだ! ルーキーも見える!」


視線を向ければ、遠くの方から駆けて来る二人の様子が見えた。
これで安心だ。ガンナーがいれば、きっと観測班と連絡がとれるだろう。しかし。








……ああ、目が霞む。足元がふらつく。疲労が、消耗が激しい。感覚が鈍っている。武器が重い。頭が痛い。吐きそうだ。冷や汗が止まらない。暑い。熱い。あつい。あちこちの火傷が痛む。だいじょうぶだ。疲労困憊状態だから、神経が昂ぶりを見せて過剰に反応を示しているだけだ。鷹が気付いたのはきっとガンナーとルーキーのことだ。そう、何もかも終わったのだ。これで帰れる。俺は我らの団に、そうだ。筆頭ハンターたちと共にきっと。俺は。