ナルガクルガは長時間滞空するのは体の構造的に不可能だった。
いつも背の高い木々の上に巣を張り、外敵からの目を欺き、自分の安全地帯で夜を待つ。ナルガクルガの狩猟時間はもっぱら夜だ。月が無ければもっといいだろう。ナルガクルガに狙われる者達からすれば、それは地獄のような夜であろうが。
さてここに、不運にも三頭のファンゴに襲われている行商人がいた。名前はナマエ これから山奥にあるユクモ村にまで商売に行くところだったのだが、残念なことに共に行動していた旅の一座と逸れてしまい、立ち往生していたところを腹を空かせたファンゴたちに見つかったと言う次第である。
「ぼ、僕なんて美味しくない…です、よー………」
惨めにも涙声になり抜けた腰のせいで立ち上がれもしなくなった正に絶対絶命と呼ぶべき展開に、いつもヘラヘラ顔で旅一座の仲間たちから「もっと真面目に生きろ」と称されるナマエでもさすがに人生の終わりを覚悟した。
太く大きく硬いファンゴの牙がナマエの体を貫かんと狙っていた。
人間の背丈ほどもある草や穂や、乱立する木々のせいで辺りには死角がゴマンとある。これでは旅の一座たちもナマエに気付いてはくれまい。
――嗚呼 天国のおっかさん、おとっちゃん ナマエも今そちらに向かいます……
フガッとファンゴたちが一鳴きし、強く前足を掻いて駆け出した。
物凄い速度で襲いかかって来る牙の到達を眼を瞑って待っていると、
『フゴッ!?』
『プギュァ!』
『ギャイン!』
「……奇妙な三重奏が……」
空気の抜けるような、言ってしまえば間抜けきわまりない音が三つ聞こえて来た。
閉じていた目をちらりと開いてみる。すぐにナマエの眼には紫暗色のナニカが飛び込んできた。硬質の毛に覆われた一体のモンスターが、ファンゴたちを下敷きにしたまま地面にのびていたのだ。
「……ナルガクルガ…?」
そうだ 確かこのモンスターはナルガクルガと言う、渓流に主に出現する迅竜だ
それが一体どうして、ファンゴたちを敷いて倒れているのだろうか。
はて? 腰を抜かしたまま、ナマエはゆっくりと上空を仰いで見る。……何てことはない晴れ空が広がっているばかりで、全く状況が掴めない。
『――フーッ!』
「うわぁっ!? う、動いたァ!!」
いきなりジタバタと手足を動かし悶え始めたナルガクルガ その下で哀れなファンゴがプギャプギャと鳴いて重みに苦しんでいる。
空を掻くように動かされるナルガクルガの手足 起き上がれずに困っているのだろうか? ナマエは四つん這いになりながら、恐る恐るモンスター達に近付いてみた。突然牙を向かれたらどうしようかとは思ったが、好奇心の方が勝ってしまった。
「お、おーーい……?」
『!!』
ナマエの呼びかけに反応したナルガクルガは、そこで漸くナマエがいることに気付いたらしい。見開かれた赤い目は、言葉で表せば『何故ここに人間が!?』となるだろう。
仰向けていた自分の体を反動と一緒に持ち直したナルガクルガ ファンゴたちは漸く重荷から解放されたことで蜘蛛の子のように去って行ってしまった。
後に残されたのは、未だ腰を抜かしたままのナマエと、ナルガクルガのみ
『…………』
「………」
今度は危機がこっちになっただけ……と思っていたのだが、ナルガクルガの方が少しずつ後ずさりを始めているのだ。
何故なんだろう?ナマエに恐れなければいけない要素など微塵もない。その鋭い爪や牙でスパッとやれる存在であるのにも関わらず、ナルガクルガはどうにも早くこの場から立ち去りたがっているようだ。
「……もしかしてお前さん」
『………』
「……空を飛んでいて、うっかり落ちて来てしまったのかい?」
『!!!』
「あっ!!」
ピャッ!と言う音が聞こえるような速さで、ナルガクルガはナマエの体を避けながら茂みの奥へと去って行ってしまった。
何が起きたのか一瞬理解出来なかったナマエだが、ナルガクルガのあの慌てようで図星をついてしまったことに気がついた。
「……恥ずかしいことを指摘しまったようだ」
やはりどんなモンスターにでも、そんな瞬間があるんだ。
遠くから聞こえる自分を呼ぶ複数人の声を聞きながら、ナマエは出会ったナルガクルガが誤って空から落下してくる時の光景を想像して、一人で笑っていた
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