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▼ あたたかな赦し


久しぶりに会った彼女は結婚していた。左手の薬指に光っている指輪は少し銀が褪せていて、それがもう何年も前の代物であることが窺えた。お互い年を食った筈なのに、彼女は昔と同じく綺麗な女性だった。自分ばかりが――いや――男ばかりが老いて変化して行くのに、女はいつまで経っても女のままだ。「…久しぶり、ナマエ君」変わらぬ呼び名で呼ばれ、「…ああ、本当に」懐かしくなってついそんな声が出た。指輪のことを指摘すれば、始まる旦那との馴れ初め話や結婚話、日々の生活の愚痴 話す彼女の顔が本当に幸せそうで、あぁ良かったな なんて安堵した。もうそんな立場にもいないくせに、やはり昔の恋人のことだ。我が事のように喜ばしいではないか。今は冬島の方に旦那共々暮らしていて、今は旅行目的でこのアラバスタの国に滞在中だと言う。「ナマエ君はこの国に住んでいるの?」と問われたが、難しいところだ。アラバスタに自らの意思で腰を落ち着けているわけではない。必要があれば、――恋人が拠点の移動を求めればそれに自分もついて行くだけ。そう伝えると、彼女も顔を綻ばせる。「ナマエ君にも恋人がいたのね!」やはり女は色恋話が好きならしい。だれ?どんな人?なんと言うお名前?なにをしている人?可愛らしい?それとも美人さんかしら。 彼女の質問にはどれも答えることは出来なかった。不用意に情報を漏らしてはならないのだ。ただ、何も答えないのも訝しまれるだろうと一つだけ伝えることにした。



「――とても、嫉妬深い人だよ」



すると彼女はあら、と口を手で押さえた。「それはいけないわね。こうして私と話してるところをもしその方が見たらさぞ悲しまれるでしょう?」その通りだ。恋人はとても気難しい性格をしているから、きっとこの場面を見ると怒るに違いない。そもそも自分もまた仕事の帰り道だと言うことを思い出した。雑踏の中に彼女の姿を見つけてからそれなりに時間が経過している。恋人は社長室でさぞかしご立腹のことだろう。そろそろ別れの挨拶を……と思っていると、彼女がまたフフフと笑う。なんだ? 「でも、いいわね嫉妬深いって。それって、それだけナマエ君のことをその方が愛してるってことでしょう?」 ―――どうなのかな。嫉妬は、愛し愛されてのことに繋がるのだろうか。どうも自分の恋人の場合、それを上手く思い描けない。もしかすると恋人ではなく、所有物扱いなのかも。「…そうだといいな」弱気になって答えた言葉に、彼女は「きっとそうよ!」と太鼓判を押す。…やはり変わらない。明るくて、優しい女性だ。自分が好きになったままの頃の彼女とそっくりそのままだ。嬉しくなった。今日は良い再会を果たせれた。「それじゃあ…旦那さんと末永くお幸せに」「ナマエ君も。お二人で仲良くね」じゃあまた――振られた手 去って行く背中をじっと見送っていた。アラバスタの 埃と、砂 が混じった生暖かい風に攫われる彼女の長い髪が、やけに眼に焼きついた










「―――おい ナマエ」


「え……? あ 」


豪奢な鰐の屋根飾りが見える位置にまで帰って来たとき、不意に背後からかけられた声に反応して振り返る。立っていたのは 恋人の――サー・クロコダイル 驚いて目を見開いてしまった。どうして此処に?一人なのか?訊ねようとしたことは多々あったが、言葉を遮るようにして向こうが先に口を開いた。 「さっきの女は、誰?」 ―――見られていた ぶわっと背中に嫌な汗が吹き出る。何もやましいことはしていないのに。


「…どこから見ていたんだ?」

「質問に答えろ あの女は、何者だ?」


『とても、嫉妬深い人だよ』大丈夫だ。クロコダイルの質問に答えるだけでいい。クロコダイルが彼女とのあの現場を見ていたのならそれを好都合と捉えよう。何の誤魔化しもせず伝えるのみだ。だって彼女と自分は、クロコダイルが怒りを覚えるようなことはなにもしていないのだから。



「……昔の恋人だよ」

「昔? いつだ、昔って」

「10代の…終わり頃かな。その頃に付き合っていた人だ」

「………やけに親しそうにしていたが?」

「…初めての恋人だったんで、俺の方は彼女に思い入れがあったんだ。 俺だけだよ、彼女の方にはそう言うのはなかったと思う」



クロコダイルは気付いてるだろうか。周りにいた通り人たちが、あれはクロコダイル女史ではないか?と噂を交し合い好奇の目で見てきていることを。 だがしかし当の本人は押し黙ったまま、じっくりと俺の言葉を脳に取り込んでいるようだ。どんな返答が返ってくるだろう。ドキドキしながらそれを待つ。 するとクロコダイルは、驚くほどか細い声で一言だけ


「…………何故」

「……なぜ?」

「羨ましい」

「!」



聞いた。確かに聞いた。あの、クロコダイルと言う人間の口から、"羨ましい"と他人を羨む言葉が出たのを。「え、え?」焦って声が喉に引っかかる。クロコダイルへと伸ばそうとした手は払い落とされた。「触るな」じっとりとした砂漠の気候に負けないぐらいねっとりとした声音で吐き捨てたクロコダイルの目に、薄っすらとだが透明の膜が張っているのが見えて驚きが百倍になる。な、泣いている?クロコダイルが?嘘だろう



「わたしには、ないのか」

「…な、なにがだ? と言うかクロコダイル、君は泣いて…」

「答えろナマエ わたしには、ないのかって訊いてんだろうが」


何、が。クロコダイルが今何を欲しているのかが分からない。
誠意か?弁解の言葉か?それとも抱擁?キス?愛の告白?
どれだ。どれなんだ、一体。



「……どんな言葉でもいい わたしを示せ、ナマエ」

「示す…?」

「あの女を称したように わたしのことも、何なのかを言ってみろ」



ここで間違えば、きっと自分はこの砂漠に流れる砂の仲間入りだ。そんな気配が辺りを漂っている。

スゥ、と深呼吸をして、じっと見てくるクロコダイルの目を見つめ返した。



「――貴女は、今の俺の、大切な恋人です」



だらしなく声は震えていた。学もないから気取った言葉も使えない。それでも、クロコダイルは――



「―――許してやる」



…初めてではないだろうか。彼女から、許されるのは。「帰るぞナマエ まだ仕事はある」コートを翻しカジノの方へと歩き出したクロコダイルを通そうと、人垣が避けて行く。慌ててその後ろに追いすがった。 本当に、あんな言葉で満足してくれたのか?自分の中にあった小さな疑念は、どこか晴れ晴れとした表情を浮かべるクロコダイルの顔を見て、萎んで消えたのだ