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▼ 加速する思考


夜番を勤めるクルー以外は眠りに就いた深夜過ぎ。極めて平凡な、雑踏に紛れてしまえば見つけられなくなりそうな程に地味な男と一緒に、ローは船の蔵書室で時間を過ごしていた。

医学の専門書を読むローとは違い、その男は海洋生物の図鑑を延々眺めている。読んではいない。挿絵や図表をただ、眺めているだけ。ローは男ではないがそれが何故かは分かる。男は文字の読み書きが出来ないのだ。 目立つような容姿ではない。黒い髪はボサボサで、眼も、鼻も、口も、輪郭も、どれを取っても平坦な作りをしていて、背丈だって特出して高いわけでも太っているわけでもない。ローも、見た目の良し悪しで人を選り好みしたことは無かったが、もう少しどこかに花があってもバチは当たらないんじゃないかと思わずらしくない気遣いを見せたこともある。それぐらいこの男――ナマエは普通の人間だった。本来ならば、こうして夜半に船長であるローと肩を並べて読書をするような格でもない人間とローがなぜこうして居るのか。それについては勿論理由がある。


「……ローさん」

「………なんだ」

「コレ、何て読みますかね」


分厚い図鑑を開いていたナマエが、ある生物の名前を指差した。渋々、どれ と顔を突き出して覗き込んだ名前に、ローはフッと笑いたくなった。いや、笑った。「…?」そのローの様子を見たナマエは不可解そうに首を傾げる。ローが笑ってしまうぐらい簡単な言葉だったのか、それとも何かこの生物に思い出でもあったのか。しかし理由はそのどちらでもなかった。「この船にもいるだろ」と、ローがヒントを与えて来たからだ。


「……この船、こんな生物を飼ってましたっけ」

「違う。クルーの中に同じ名前の奴がいるだろ」

「え……誰だ?…でしたっけ。ヒントください」

「もうやっただろ」


蔵書室の壁に凭れ直したローはまた医学書に眼を通し始める。これ以上のヒントは教えてくれないようだ。だが会話には引き続き付き合ってくれるようで、「分かんないのか?」と急かして来る。いつもぼんやりとしているナマエが、珍しく眉間に皺を寄せている様子が面白いのだろう。ニヤニヤとした笑みでじっとナマエの顔を仰ぎ見ている。「誰だぁ……?そもそも俺、船長以外の人間の名前をよく覚えてないんだよなぁ…」船長として聞き捨てならない呟きであったが、ローは良い気分だった。この無個性な男を拾って連れ帰って来たのがロー自身であった為に、ローを第一に覚えていることは褒めてやっても良いと思っていたからだ。


「……あ シャチ、ですか」

「…なんだ、一発で当てたじゃねーか」

「おお、当たりましたか そうか、シャチ、か。この字はしゃちと読むんですね」



…一発で当ててきた。面白くない。 当てて喜ぶナマエとは正反対に、ローは不機嫌になる。図鑑の字面を指でなぞり記憶にその字を刻んでいるナマエの眉間に指を一本突き立てた。


「あいたっ …何すんだ……何すんですか、ロー」

「刺したんだよ」

「それぐらいは分かってますよ。理由を訊いてるんだ」


問い詰めるようにしてみたが、しかしローは答えなかった。なんなんだ、まったく。心の中でそう呟いたナマエは、すぐにまあいいかと図鑑を眺める作業に戻る。「おい、船長サマを放置とはイイ度胸してんなナマエ」だがすぐに作業を中断させられた。ローがナマエの左腕を切り落としたからだ。もちろん血は出ていない。人の気を引く方法をこれしか知らないローの常套手段だったので、ナマエも騒がない。ただ静かに「腕返してくれ……ください」と言うだけ。


「左腕が無くてもソレは読めるだろ」

「本を持つのが安定しないでしょう」

「それが狙いだ。精々困れ」

「オーボーな人だ」

「横暴、な」

「それです」


腕の返却を諦めて図鑑を読み始めるところが他の人間とは違うナマエの特性の一つだ。何をそんなに気に入ったのか。ローも、持っていたナマエの腕を蔵書室の隅に向かって放り投げ、医学書に眼を戻す。ごとん、と遠くでナマエの腕が床に落ちる音がした。


暫く二人で黙ったまま読書に勤しんでいると、ナマエが「あ」と声を上げた。その間抜けな音に反応してやろうか迷ったが、一応「…なんだ」と顔を向けてやる。
ナマエは何かを閃いたような明るい表情をしていた。



「"シャチ"とか"ペンギン"ってのは実在する生物の名前なんですよね?」

「そうだな…」

「なら、"ロー"って名前の生物はいないんですか?」



何を言い出したかと思えば、どう言う意味なんだ………。考えてみたが分からず、「…なんで」とだけ答えてやる。


「飼いたいんだよ」


言葉を敬語に直すことも忘れ、言い放ったナマエの冴えない目には力が篭っていた。

飼いたい?相変わらず何を考えているのか分からない男だ。だがつまりそれは、ナマエが"ロー"と言う生物を飼ってみたいと言っていると言うことは



「…つまりそれは、"ロー"を自分のペットにしてやりたいと思ってるってことでいいのか?」

「ああ」


すぐに肯定しやがった。
ローは何とも言えない気持ちでナマエを見ているが、ナマエは更に力を増したらしい。



「"ロー"を 俺の下で飼って、可愛がりたい」

「な……!? かわいが、る…?」

「それで、どうなんだロー "ロー"と言う生物はいるのか?いないのか?」


熱く問いかけてくるナマエのこの愚かさはなんだとローは頭を抱えたくなった。相変わらず頭のネジが一本抜けていると言うか、感性が人一倍おかしいとか思ってしまうが、そんなナマエに言い寄られながら在らぬことを考えている己もまたおかしい人間なのかも知れず、ローは熱くなった。



もしそんな生物は存在していないと言えば、ナマエは 自分を飼うのだろうか、と。



なにを莫迦なことを言う。お前は、おれの部下だろう。飼われるのはお前で、飼うのはおれだ。不相応なことを言うな。大人しく下についていればいいんだ。妙なことを考えずに、ただおれの下に――……



「い、ねぇ よ」

「…なんだ、いないのか。…じゃなかった、いないんですか」

「…………」

「なら、このローだけでもいいか」

「…は!?」



――おいお前、いつの間に図鑑放り出してんだよ
はっきりと言葉にするより前に、ローの唇にナマエの唇が覆いかぶさってきた。 なんでだよ!と叫びたくても叫べない。何故ならローはこの平凡かつ地味で平和ボケしたおめでたい頭をした男のことをそれなりに気に入っていた。有り体に言えば大好きであったのだ