▼ 愛をくれる あなた
思考が飛んでいた。我に返ると、おれの身体は無人の食堂の椅子に座っていて、コックも、出されて来る飯も無いのに、両手にフォークとナイフを一つずつ握っていた。銀食器が汗ばんでいるぐらい、強く握ってたらしい。手の力を緩めると、フォークとナイフは渇いた音を立ててテーブルの上に落ちた。
「……何、してたんだっけ おれ」
昼寝でもしてたか? だけどそれにしては場所がへんてこだ。仮眠を取るつもりだったんなら船室に戻ってたはず。どうして食堂なんかにいるんだ? しかも今の時間帯は、ハートの船が海面に上昇して、魚や海獣なんかを獲って食糧調達をする頃だ。――やばい、遅れてる。キャプテンに怒られちまう。
慌てて立ち上がろうとしたのが駄目だった。おれは無様に膝をテーブルに打ちつける。「い゛…っ!!」もう一度椅子に座りなおしてテーブルに沈む。かなり強く打った。絶対赤くなっている。掌で膝を擦って痛みをどっかへ追いやってやろうとしてみたが、意味は全くなくって痛いばっかりだ。
あぁキャプテンにどやされる……ペンギンが遅いってボヤいてる気がする……ベポが大量に魚を獲って自慢してる気がする………それと………あの人が……おれのこと待っててくれてる………
「……あの人?」
「シャチ ここにいたのか」
「わあぁっ!?」
「どうした!?」
いきなり肩に置かれた手に情けない声を上げてしまった。驚いた反動で飛び上がって、また強かにさっき打った膝を打ち付ける。でも
あ、あ、と思いながら声をかけてきた人の方へ振り返る。その人は突然のおれの大声に心配しながらも仄かな微笑を浮かべていた。――おれの、だいすきな笑顔だ
「な、ナマエさ……!」
「シャチが甲板に来ないから、キャプテン殿やペンギン君たちが怒っていたぞシャチ こんな場所で一人、昼寝でもしてたのか?」
"姿が見えなかったから、心配したのに。"
――低く落ち着いた優しい声でおれに呼びかけてくれるこの人は、"ナマエさん"だ。おれの、おれ の、大切な恩人で、大好きな人で、かけがえのない――
ぼぅっと顔を見つめていたら、照れたように「どうした、寝惚けてるのか?」とキャスケット帽の上から頭を撫でられる。何故か、その何気ないナマエさんの行動一つがたまらなく嬉しく感じられた。 寝ていたわけじゃないが――意識がなかったけど――ナマエさんから見た今のおれの顔は寝惚けているように見えるらしい。確かに、ナマエさんにそう言われるとおれは寝ていたのかも知れない。今さっき寝ていたわけじゃないと言ってみたけど、思い返してみれば何か夢を見ていたような気もする。懐かしい夢をだ。ナマエさんが出て来ていた。ガキだった頃のおれもいた。あれは、17年前の夢だった。おれがナマエさんのいる"日本"と言う世界に飛ばされて、ナマエさんと出会って一緒に暮らして、好き合っていた記憶だ。
いよいよもって喋らないおれをナマエさんはさぞ不可解に思っただろう。
「シャチ?気分でも悪いのか?」
案じてくれるナマエさんに、「大丈夫です」と答える。
「…あの、ナマエさん」
「なんだ?」
「ナマエさんとおれが、"こっち"で最初に会った時のこと覚えてますか?」
「勿論覚えてるとも。 板切れに掴まって海を漂流していた俺を、たまたま浮上していたハートの海賊船の見張り台にいたシャチが見つけてくれて、泳いで助けに来てくれたんだ」
そう。そうなんだ。
それがおれとナマエさんの再会話の始まりだ。
だけど何でだろうか。
意識を取り戻してからと言うもの、どうも"違和感"を感じて仕方ない。ナマエさんと日本で会ったのも、この世界で再会したのも記憶的に間違いなんてないのに。
おれがナマエさんのことを"ナマエさん"と呼ぶのはガキだった頃にもそう呼んでいた延長だからで、ナマエさんがおれに対して他のクルー達に使うような言葉使いじゃなくてちょっと砕けた口調になることだってそう特別なことじゃないのに。
「………どうもさっきから様子がおかしいな、シャチ」
「えっ? …え、あああ、な、ナマエさん!?」
ナマエさんに肩を掴まれ正面に向かされる。 格好いいナマエさんの顔が至近距離にあって辛い。直視できない。どうしてこんなにかっこいいんだよナマエさん!
「どうした? どうしていつもの様に笑顔じゃないんだ?」
「や、やだなぁナマエさん おれっていっつも笑ってたりします??」
「ああ」
即答された
「なのに今日はなかなか笑わないな。表情が暗い」
「だ、大丈夫です。なんもないです!そろそろ元気出て来ましたし…」
「俺はシャチの笑った顔が大好きだからな。笑っていてほしいんだ」
「うぅっ…!」
ストレートなお言葉を頂いてもうどんな顔してたら良いか分かんねぇ。どうしたんだろう、今日のナマエさんはやけにストレートだ。おれの元気がないとストレートになってくれるのか?だったら毎日元気なくてもいい気がしてきた駄目だ
「今すぐに笑うのが難しいなら、好きな人の名前を呼んでみるといいぞ」
「す、!? え、な、何ですかそれ!!」
「昔テレビで言っていたのを聞いたんだ。人は好きな人の名前を口にする時、笑顔になるらしいぞ。――シャチ」
「……っ! ナマエ、さん…っ!!」
「なんだ、シャチ」
「だ、大好きですーっ!!」
「おっと」
だめだ、何考えたって無駄だった。だってやっぱりおれは、ナマエさんが大好きなんだから