▼ 約束された沈没
以前、ペンギンと共に島への酒の買い付けに借り出されたっきりキャプテンに許されて買出し係りから外してもらったナマエが二度目に降り立った島はシャボンディ諸島だった。
さすがに此処も外すわけにはいかない。何人かのクルーには船で待機して貰っているが、ある意味でキャプテンの"お気に入り"であるナマエのことを キャプテンが連れて来ないわけがなかった。
シャボンディ諸島には今、大勢の海賊たちが詰め掛けている。それぞれがバラバラの海路から突入したグランドライン 擦れ違いもしなかった者達が、一同に介するこの機会は、"超新星"と呼ばれる海賊たちが他のライバル海賊団たちに自分達の戦力を誇示する機会でもあった。船長格であり憶の懸賞金がかけられている者達の他にも、その船長たちの右腕や懐刀として名を馳せる者も多くいる。有名な例で挙げるとすれば、麦わら海賊団、海賊狩りのロロノア・ゾロであったり、ユースタス海賊団の殺戮武人・キラーだ。
奴らもこのシャボンディ諸島に降り立っているだろうし、その瞬間から島の人間や海賊たちに顔を見せている筈だ。
「――つー訳で、ナマエ お前もちっとは堂々と立て」
「……………」
「あのぉ…キャプテン…?それって凄く無茶なことでは……」
「うるせぇ。おれの命令が聞けねぇのか」
不遜な態度で言い放った我等がキャプテン、トラファルガー・ローの目はそれはもう活き活きとしている。無言のままに顔を青褪めさせているナマエの反応や様子を見て楽しんでいる様は、本当に"他海賊団に戦力誇示をする"だけが目的なのだろうかと疑ってしまいたくなる。
そして言われている当の本人は、持っていたスケッチブックをゆっくりと持ち上げて何事かを書き込んだ。
『勘弁し』
「勘弁はしねぇ」
書きかけていたのにスパッと一刀両断されてしまったナマエはもっと顔を暗くさせる。全くもってクルー一同、見るに耐えない哀れっぷりである。シャチもペンギンも、泣き虫のベポなんかもつなぎを涙びたしにしそうな勢いで泣いていた。しかし誰も口を挟もうとしない。言われたように、これはキャプテンからの"命令"だ。聞かなくてはいけないし、従わないとならない。
ナマエ、がんばれ――!
全員の心が合致した瞬間 ナマエがゆっくりと頷いて、猫背気味だった背中を僅かに真っ直ぐ伸ばしたのだ。思わず、「お、おぉぉ…」と声を漏らす奴がチラホラ キャプテンもそのナマエの様子に満足そうに頷いていた。ナマエはもうスケッチブックを開かない。
「……ナマエも気合を見せた。お前らも負けねぇようにしないとな?」
『アイアイ!キャプテン!』
「よし ……おい、ナマエも返事しねぇか」
『アイアイ キャプテン』
前言撤回 すぐにスケッチブックを開いた
シャボンディ諸島の街並みは、ナマエに嫌な記憶を思い起こさせた。ナマエが以前住んでいた島の風景とよく似ているのだ。思い出したくない記憶に触れてしまいそうで、ナマエはなるべく周りを見ないようにしようと思った。
この島での計画を話し合っているキャプテンとクルー達の姿をぼんやりと眺める。木箱に腰掛けるキャプテンはあれこれと他の海賊団の情報を調べていたらしく、どこそこの海賊団の船長はどんな奴で、あそこの海賊団の船長は懸賞金が何憶ベリーで、と話している。そのどれらの情報も、ナマエの脳にはあまり情報として残らなかった。キャプテンの話はちゃんと聞いている。が、他の事に関心のないナマエには他海賊団の情報でさえ無意味なものだった。
「一応オークションとやらも見に行ってみるか。興味はあるしな」
「オークションの会場は何処にあるのかですね…」
「開演時間も一緒に調べましょうか?」
「それぐらいならそこら辺歩いてる奴に聞けば分かるだろ」
おい、おいナマエ 隣に立っていたシャチが、肘でナマエの横腹をつついた。「ちゃんとキャプテンたちの話聞いてんのか?」ヒソヒソ声で話すから何かと思えば…。大丈夫だ、ちゃんと聞いている。 一度頷けば、シャチは「本当か〜?」とサングラスの下から怪しむような視線を送って来た。 それをキャプテンに咎められる。
「……おいお前ら コソコソうるさいぞ」
「すっ、すいません!ナマエの奴がボーっとしてたんで…」
「………」
「……罰だ。お前ら二人でオークションの場所と開演時間の聞き込みをして来い」
「えぇーっ!?」
「………」
「…ってナマエもなんか反応しろ!!」
している。ナマエはこれでもかと言うぐらい嫌がっている。無表情なりに嫌がっている。それが人に伝わらないだけで、勘弁してくれとも思っていた。
先ほどの話だけでナマエの役目は終わりではなかったのだ。「おら、とっとと行って来い」手を振って促すキャプテン 涙目になりつつ、シャチは「い、行くぞナマエ!」と微動だにしないナマエの腕を取った。
「お前らが戻って来るまでは此処にいる」
そう背中にかけてきたキャプテンの声を聞きながら、引っ張られるシャチの手に合わせてヨタヨタと走った。
・
・
・
「訊くったってどいつに訊くよー…ナマエ〜……」
『俺に 訊くな』
「ちっとは協力する姿勢を見せろ!」
もちろんそのつもりだった。しかしやはり、どうしてもこの街並みに気分が悪くなる。
早いところ終わらせて元の場所に……あわよくば船に帰りたい。誰に訊こうかと周囲に視線を送っているシャチに倣って、ナマエも視線を彷徨わせてみた。
すると一つの集団の、一番目立つ人物と目が合ってしまった。
後になって考えれば、どうしてあの男と眼が合ってしまったのだろうか
「………――あ? 何だ、お前」
「お、ナマエ 誰か見つけたのかー…ってー…ぇぇええええユユユユースタス・キッドじゃねぇかてめぇー!!!」
ち、違う。 首を振って意思表示を試みる。が、シャチには利かなかった。胸倉を掴まれ揺さぶられる
「なぁにが違うだこの野郎ー!!さっきのキャプテンの話聞いてなかったのか!こいつとは極力関わんなって言ってただろバカー!!」
「……オイ 誰だって訊いてんだろうが質問に答えろ!!」
「ひぇぇぇっ!」
情けない悲鳴を上げたシャチは掴んでいたナマエの服を放し硬直した。
ギラリと睨みつけて来るこの男はナマエでも容貌は知っていた。ユースタス・キッドと、その一味 揃いも揃って奇抜な格好をした男たちが後ろに控えている。
「やめろキッド 面倒な争いは御免だぞ」
「あ?おれが悪ィって言いてェのかキラー こいつ等が先に見て来やがったんだろうが」
ナマエテメー! シャチの恨みがましい小声が耳に届く。
しかし現にナマエもどうしようかと参っていた。限りなく無表情だが、これでも参っている。
こちらこそ厄介なことにならない内にこの一味から離れたい。
しかし相手方のユースタス・キッドは尚も二人に……主にナマエの方へ顔を近づけた。途轍もない眼力だ。ナマエが一生かかっても出せないようなぐらいの
「おれ達に用でも…… って、ん?」
「?」
ユースタス・キッドの目が、ナマエの左胸を捉える。そこにあったのは……
「――なんだ、お前らハートの海賊団の奴らだったのかよ!」
「…そう言えば、港に着船したと言う噂があったな」
「ヒャハハハ!! おいお前ら見てみろよこいつら!こんなヒョロくせぇ奴らがクルーの海賊団なんざ、船長の野郎の実力もたかが知れてんなァおい!!」
ユースタス一味はナマエとシャチを指差して大笑いを始めた。
「な…っ」テメェら…!! 怒りに顔を真っ赤にさせたシャチが一歩足を踏み出す。だが目の前の彼らは笑うのを止めない。確かにシャチもナマエもヒョロ長い方だ。だが、人は見た目で判断してはならないと教わらなかったのだろうか。
耳障りな下卑た高笑いが耳に入って来る度に、体のどこかがざわめく
「…………」
「…お、おいナマエ?」
どうしたことだろうか。
やはり最近の自分はおかしくなっているとナマエはどこか他人事のように自分を省みる。だって、少し前の自分ならば、こんな場面でこんな行動は取らなかったはずだ。
持っていたスケッチブックをシャチの胸に押しつけるようにして渡し、二歩前に出た。
「…あ?」笑うのを止めたユースタス・キッドが、んだよ?と口を歪ませる。
その赤い眼をナマエは負けじと睨み返した
「―――俺たちの船長の方が、お前らよりも強いに決まっている」
言って、やった。 やはり暫くぶりに開いた喉も、無様に震えることはなかった。
伝えたいことを伝えるのは気持ちいいことだと実感したのは、実に何年ぶりのことだ。
たとえこれで、ユースタス海賊団の面々の怒りを買ったとしても、あの時のような後悔はしない。そう思えたし、覚悟もあった。
「あ…――っ!?」
「…?」
なのだが、どうも相手の様子がおかしい。
キラーや、後ろにいた男たちはヨロヨロと後ずさりをした後にバタリと尻餅をついたが、一番前にいたユースタス・キッドは顔を髪の色のように真っ赤にさせて膝から崩れ落ちたのだ。
「な…っ、て、めぇ…! な、なにしやがっ……!!」
「?、?」
何をしたか、だと? ナマエはいつも分かっていないのだ。何故か、ナマエが口を開いて声を発すると、いつもこのように誰かが地に伏してしまう。原因が何なのかにナマエは気付いていないし、ずっと知らないままだった。だから、伸ばされて来るユースタス・キッドの手を呆然と見つめている。
その、疑問で硬直しているナマエの腕を引っ張った者がいた。赤い顔のシャチだ
「も、戻んぞナマエ!!」
「…?」
「そいつらはほっとけ!良いから行くぞ!おれもヤベェんだからな!!」
よく分からないお叱りを受けながら、引っ張るシャチの手に付いて走り出す。その後ろから「ま、待ちやがれ…!」とユースタス・キッドが言う声が聞こえたが、振り返ることも出来なかった。