▼ 裏・愛情構築
さぞかし心細い気持ちになっているだろうと、ナマエは同情していた。
素性がよく分からない子どもを自宅に迎えることになったナマエの苦労よりも、見知らぬ世界に飛ばされ右も左も分からなくなっているシャチの方がよほど心労凄まじいに違いない。
何とか自己紹介を終え、経緯を聞き、どうにかシャチのいた"異世界"の話を疑惑抜きに信じられるようになって、二晩が過ぎた頃
異世界からやってきたシャチ少年は、とても内向的な性格をしていた。
怯えなくても大丈夫だ、いつか帰れる日まで自分が面倒を看よう、日本人の人の良さを侮るなよと伝え安心感を与えられたとは思うが、不安や心配諸々を抜きにしてもシャチは大人しく静かな子だ。
無造作に伸びている前髪の隙間からチロチロと窺ってくる小さな目にジッと捉えられながら、ナマエはさてどうしよう、何か良い友好構築の手段はないだろうかと模索する。
そう言えば今朝はやけに寒い気がした。ナマエが立ち上がると、向かいの炬燵に入っていたシャチが視線で追いかけてくる。その視線を受けながら、ナマエは閉めていた窓のカーテンを左右に開いて外を窺った。 雪だ。雪が降っている。珍しい、と言うほど低頻度ではないが、向かいの家の屋根に目測10cmぐらい積もっていた。積もるのは久しぶりだ。思わず「うお、すげぇ」と声を上げると、オズオズとした声がかかる。「……な、なにがですか」 雪だよ、雪。そう伝えるとシャチは「ゆき……」なんだ… 何故かあからさまにテンションが落ちたような声だ。おかしい。雪だぞ、雪 北の地方の人間なら違うだろうが、普通の人間なら雪が降れば大なり小なり気が昂ぶるものじゃないか。
「雪が嫌いなのか?」
「…おれのいた国では、ずーっとゆきがつもってるんで…」
「へ、へー。すごいな、それ。じゃあ珍しくないんだな、シャチにとっては」
「……さむいだけです」
シャチはモゾモゾと炬燵の布団を上に押し上げた。初日に炬燵の存在にとても驚いていたシャチも、今ではすっかり日本の冬の魔物にご執心らしい。
ナマエは窓の外の雪景色を眺めながら、今のシャチの言葉を反芻してみた。
シャチの出身は寒い国のようだ。おそらく、10cmなんて比べようもないくらい雪が積もっているんだろう。それなら確かに見飽きているせいで、この雪に昂ぶりを覚えたりしないのも頷ける。
しかし、だからと言ってまだ5歳のシャチがそこまで暗くならなくても良いんじゃないのか?
その年頃の子どもなら、どれだけ雪を見ていても「飽きる」なんて感情はまだ覚えないはずだ。遊び方だってたくさんある。友達がいれば一緒にやれることだって増える。それなのに、シャチはそれさえも飽き飽きだと言いたいのか?
ナマエは訊いてみることにした。もしかしたら、この少年をもっとよく知れるチャンスかも知れない
「シャチは誰かと雪で遊んだことないのか?」
「! な……そ、そんなの、あ…あるに決まって…」
明らかに動揺している。
見開かれた目がしどろもどろになっていた。
少し可哀想な気になってきたが、もう少しよく問い質してみよう。
「じゃあどんな事をして遊んだんだ?教えてくれよ」
「え……え、と…………」
シャチは答えない。 やっぱりそうだ
内向的な性格ここに極まれり、だ。
恐らくシャチ、お前はずっと一人で過ごしていたんじゃないのか? 同年代の子どもが他にいなかったって事はないだろ? その性格のせいで輪の中に入っていけなかったんじゃないか?
「な…! だ、だったらなんなんだよ!それが、なにかダメなのか!? しょーがないじゃん!だれもおれと友達になってくれなかったんだから!」
「それは何でだ?」
「おれが海賊のとーさんの息子だからだよ!」
…海賊、ときたか。そんなものまでいるんだなシャチの世界には。
尚もシャチは言い続ける。 だが泣きそうになってはいない。強い子らしい
「みんなこわがって近づいてこないんだもん! おれ、なんもわるいコトしてないのに!」
「父さんのこと嫌いなのか?」
「好きだからおこってんの!! 村のやつらはみーんなおれのとーさんのコトをわるく言うんだ! そんなやつらとは遊べねぇもん!」
情景を思い出してまた憤慨しているんだろう。それでもシャチは泣いていない。こんな事を話させたナマエを恨みがましい目で見てくる。
ナマエは熟考した。言い分は分かったが、雪の思い出がそんな不愉快な記憶ではあんまりだ。適度な雪は楽しまなければいけないものなんだ。だから
「おっしゃ! 遊びに行くぞ、シャチ!」
「えぇっ!? な、なんで?」
「シャチにとって雪はずっと"見てきたもの"でしかないのは勿体無いからだ! 公園に行くぞ、シャチ 一緒に雪合戦しよう。雪ダルマでも作るか」
幸いなことにバイトは明日も休みだ。多少筋肉痛なり風邪を引いたって猶予はある。
シャチは「雪合戦……雪ダルマ……」と繰り返した。見たことはある、と言いたいようだ。
「で、でも!」シャチは炬燵から出て、外出の準備を進めていたナマエのコートの裾を掴む
「お、おれ、あんまり外に行くのは…」
「誰かに見られるのが嫌なのか? ここは大丈夫だって。シャチが海賊の息子だからって嫌な目で見てくる人はいないし、シャチはそこそこ可愛らしい顔してんだから」
「かわいい!?……そ、そうかもだけどさぁ…」
「そんなに恥ずかしいなら帽子でも被るか?」
「え?」
確か、買ったまま対して使いもせず放置していた帽子がどこかにあった筈 棚の上に無造作に置かれていた。手に取って埃を払い、それをシャチの頭に乗せた。
「キャスケットの帽子が似合うとか、やっぱり子どもはいいな。俺にはもう無理だわ」
柄も迷彩だなんてイキったものだったが、シャチが被れば似合っているから不思議だった。
呆けているシャチの目の前にしゃがみ込み、長い前髪を帽子の中に押し込んで視界を明るくさせる。
「似合うな、シャチ」
それに可愛いぞぅ。 シャチの顔が赤くなった。照れているらしい。そんなところは素直で年相応の子どもだった。
「……り、が……」
「ん?」
「…ぁ、りがと、う…」
「どーいたしまして」
昨日の内に買っておいたシャチ用のコート――使う機会があって本当に良かった――を羽織らせ、その小さな右手を握る。シャチの左手は、帽子を押さえていた。
「よし、じゃあ行くか シャチ」
「は…はい、ナマエ!」
元気いっぱいの返事が上がった。 おう、やっぱり子どもはこうでなくちゃな