▼ 私の手を引いてください
まるで子守みたいだなとペンギンは思った。
その手にはメモが握られている。書かれている文は酒・酒樽・酒瓶 要するに酒の買出しだった、のだが
普段はああ見えて案外力持ちなシャチと見たとおり力持ちのベポと買出しに来ることが多い
しかし今日、今、ペンギンの隣を歩く長身の男はシャチでもベポでもない。
愛用のスケッチブックをキャプテンに没収されてしまい、どんよりと顔を蒼白にさせつつ道行く人間たちの顔色を窺いながら歩いているナマエだ
もう一度言う、ナマエだ
再三言おう、何があっても頑なにハートの船から外に出ようとしなかった、ナマエだ
「……ナマエ、そんなに嫌なら今から引き返しても…」
しかしナマエはブンブンと首を横に振っている。このまま手ぶらで戻るわけにはいかない。口よりも雄弁なナマエの目が、そう告げていた。
基本的にキャプテンのことは立てる男だ。理由は知らないが、やはりハートの海賊団に身を置いている身として当然だと思っているのだろう。
余程のことでなければ今までも従っていた。だが頑として首を縦に振らなかったのは島への買出しだ。
人と接すること、引いては会話することが嫌いだと思われるナマエのことを理解はしていた。買出しに行かずとも、その代わり船でやれる用事をしていたし仲間たちもそのことについて言及することはなかった。
しかしナマエのこの状態を「いかん」と思ったキャプテンの鶴の一声があった
「買出しに 行って来い」
言われた時のナマエの顔は凄かった。"無"だった。人間って本当に顔から表情を失くすことが出来るんだなーと関心させられた。おずおずと差し出されたスケッチブックには『一人で ですか』と書かれていた。文字からも感じさせられてしまう程、"可哀想なナマエ"だった。「おれもそこまで鬼じゃねぇ」と言ったキャプテンが、ペンギン 同伴しろと言った時に見たナマエの顔は 嬉しそう、だったと思う。多分
「…あー、ナマエ? そんなにどんよりしなくても おれもいるんだしさ」
「………」
「酒場の人間と話すのはおれがしてやるし…そんな構えることないぞ」
「……」
頷いてくれて良かった。もしかしたらペンギンの声は今のナマエの耳に届いてはいないのではと思っていたから
しかしキャプテンも酷なことをする。
基本的にナマエのことを放任――と言うよりあれは甘やかしていると言うべきだろうか――しているキャプテンは、たまに荒療治
普段は「喋りたくないならそれでも良い。五月蝿くないことは結構だ」って言っているのに、時たま、「せっかく口がついてんだから喋った方がいい」みたいな事を言い出すのだ
「…………」
出かけにスケッチブックを奪われてしまったナマエは沈黙を続けている。
以前と比べると少し、本当にすこーーーしだけ話す機会が増えたナマエ(それでも0が1になったぐらいのレベルだが)でも、今は特に喋りたい気分ではないらしい。
どうすっかなぁ…とペンギンは頭を掻いた。普段ならやかましいシャチや賑やかに島を見ているベポがいて道中はいつも騒がしい。あまり自分から喋るタイプでもないペンギンとナマエとでは、流れている空気はお通夜のようなものだ。
「…………あー……あのさ、ナマエ お前って小さい頃とか何やってた………ってあれナマエ!?」
隣にいた筈のナマエがいませんけども!?
一世一代のような決心で世間話を振ってみた勇気を返せ!と叫びたくなったがそんな場合じゃない。何処行ったんだナマエ!?さっきまで隣を歩いてたじゃないか!
ペンギンは来た道を引き返す。何処で落としてきたんだろう、と最早落し物を探しに帰るような気持ちだった。居なくなった瞬間まで気配が感じられなかったとか、あいつ暗殺とか向いてるぞ!絶対!
賑やかな道を走り、二つ目の曲がり角を曲がったところで甲高い女の声が聞こえて来た。
「おにいさん、どうしてさっきから一言も喋ってくれないの?せっかくカッコ良いのに黙ってちゃ勿体無いわよ!」
まさか
走っていたせいでズリ落ちていた帽子を上に押しやってから視線を送れば、娼婦…? いや、食事場の呼子のような女の手に腕を取られているナマエがいた。おいおいおい、何で掴まってるんだよお前!
「ナマエ!なにしてんだ」
嫌々、と言うように女に対し拒絶を続けていたナマエよりも先に女の方がペンギンに気が付いた。「あら、お連れさん?」と言った女の言葉に気がついたナマエが、パッと駆け寄ってくるペンギンに顔を向ける。あ、とペンギンが思った時、ナマエの顔には無表情の色ではなく、
「ペ、ンギ ン」
――た、たすけてくれ
最後の方は言葉になっていなかった。 だが、きっちり名前は聞き取れた。
(うわ、ナマエに名前呼ばれた…!!)
状況を忘れて舞い上がってしまう。相変わらずの、人の腰を好き勝手に蹂躙してくれるような声をしている奴だ。 おい、見てみろ 隣にいる女まで赤い顔で呆然としてるじゃないか
「…あ、っと… あー!すいませんね!おれのツレ、返してもらえますか?買出しの途中なんですよ、おれ達」
「え、あ、そ、そう」
「じゃ、そーゆう訳なんで! 行くぞ、ナマエ」
「……… ………」
絡んでいた女の手をナマエの腕から放してやり、その腕の裾を掴んでわけも無く走り出してみた。あの女が追いかけて来ることはないとは思うが何となく、全速力で
「……」
「…はー、走った」
元の通りに戻って来た。ここも人通りは多い。
今度こそナマエを見失わないようにしないと
掴んでいたナマエの裾を放すと、ナマエはペコリと頭を下げた。さすがに期待してなかったわけじゃないが、お礼の言葉は頂けなかった。至極残念である。
「…しっかしさ、お前も男なんだからあんな女の拘束の一つや二つぐらい、ちょちょいと抜け出せるだろ?」
「…… …」
「嫌なことなんだったら、全力出さねぇと」
「……」
緩く頷いたのは、「努力はしてみる」ぐらいのニュアンスだったのだろうか。
いまいち煮え切らない反応のナマエに疑問が湧く。そう言えば、ナマエが女と一緒に居るところを見たのは、出会って以来初めてのことだ。
「………もしかしてナマエって、……女、苦手か?」
「……!……、……」
頷いた。
「……まじか」 そう言うしかなかった。
あんなに老若男女問わず魅了してしまうような声の持ち主でありながら、女が苦手と来たか。……これが果たして朗報なのか悲報なのかは、分かりかねるが