▼ 戦場≠厨房
仲間内で「ナマエさんの世界の料理ってどんなのがあるんですか?」と言う質問が挙げられたのが始まりだった。
しかしそもそもの事の発端は、今日も美味しいコックの料理に舌鼓を打っていたナマエに、仕事を終えたコックが「そう言えばナマエ おれの作る料理はどれも舌にあってるか?」と言う質問を投げかけてきてからだ。異世界人であるナマエに、この世界での料理はちゃんと口に合っているのかを気にしたらしい。杞憂だ、とナマエは答えた。コックの作る料理はどれも余すことなく美味しいし、それにあまり食に関しての違いはなかった。使われている食材がどれも見たことのないモノばかりなのはもう慣れたことだ。日本に持って帰れば"ゲテモノ"と称されそうな見た目をしている魚も美味いし、奇怪な見た目のフルーツだって瑞々しい。思えば、この世界で"食事"に関して困ったことはない。だから「大丈夫ですよ」と答えたナマエに、脇でその問答を聞いていたシャチがはーいと手を挙げて来たのだ。
「ナマエさんの世界の料理って、どんなのがあるんですか?」前述の言葉通りのことを。
「どんな……か、」
期待に満ちた目で見られているナマエだったが、さてどう答えようものか返答に窮している。話して聞かせられる程度には世界の食文化に対しての知識はあったが、「アメリカの食文化はこう」だとか「フランスの食文化はこう」と話しても、そこってどこ?と言う疑問があるだろう。
「あ、ナマエさんの住んでたニホンってとこの食いモンでいいですよ!」困っていたナマエを見かねたシャチが付け加えてきた。予てより"日本"と言う国のことはローを通して知っていたらしい。それなら少しは答えられそうだと思ったが、
「……同じ、だな」
「へ? 同じなんですか?」
「ああ。パン食だし、小麦を多用してるし、米文化もある。魚も動物の肉も食べるし……こっちともあまり違いはないかな」
「へー…!」
思ったような答えではなかっただろうに、それでもシャチは楽しそうにしていた。キャスケットの下に隠れている目が爛々と輝いている。良かった、とナマエが安堵したとき、じゃあよ、とコックが声をかけた。
「ナマエは料理の腕前はどんくらいなんだ?」
「…腕前?」
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何とも言えない状況になった、とナマエは苦笑した。手を桶の中に突っ込み、手のひら大の大きさの握り飯を作っていた。
腕前を披露してくれと頼まれ、あまり凝ったものは作れないと言えば「なら簡単なものでいいから」と言われて、おにぎりを作ることにした自分の浅慮さを笑っているのだ。
「…簡単過ぎた」
乗組員全員分の握り飯を作っておいて今さら言うことではない。サブ冷蔵庫の中身は好きに使っていいからと言われ、コックがいつもの朝食用に使っているおにぎりの具材を拝借し、何と海苔まで完備されていたから握り飯に流れただけで、別に面倒になった訳では…とナマエは誰に言うでもない言い訳を零す。
「…はぁ」
「ナマエ 飯とやらは出来たのか?」
「ロー!?」
「?」
厨房に入って来たのはローだった。仕事を終えてクルー達の団欒の場に混じりに来たんだろう。
事情を聞いたらしいローが、長らく厨房に篭ったまま出て来ないナマエの様子を見に来ていた。
「…そりゃ時間もかかるな。"これ"じゃ」
「……ああ」
てっきり一品料理を作っているのかと思えば、大量の握り飯
合点の行ったローの背後の扉から、続々とクルー達が顔を覗かせる。「ナマエさん、出来ましたー?」「何作ったんですか?」「あれ、おにぎりだ!」「しかもたくさん」大量の握り飯を作っていたことによる落胆の声は聞こえず、一先ず安堵する。
「なーんだ、おにぎり作ってたんですね! さすがナマエさん!」
「良かったですね、キャプテン!」
「……ふん」
「…? さすが、とは?」
「え?キャプテンがおにぎり大好きだから、作ったんじゃないんすか?」
「……あー!あーあーあー、」
「…考えてなかったんだな」
「…ああ」
他意はなかった。言われてそう言えば、と思い出した程だ。面目ない、とナマエは謝る。しかしローも然程気にしていないようだ。「食っていいか?」それよりも目の前の食事に手を伸ばしたいらしい。
「もちろん、どうぞ」
「じゃあ遠慮なく。何の具使ったんだ?」
「冷蔵庫に入っていたものを手当たり次第にだが」
場の空気が凍った気がした。「えっ」と焦ったような声を出したペンギンの背後から前に進み出て来たコックが慌てて「て、手当たり次第にか?」と問いかけて来るものだから、ナマエは不安になってきた。いけなかっただろうか?
「いや、駄目じゃねえよ。使ってくれて良かったモンばっかりだ。だが、どの握り飯にどの具を入れたのかぐらいは…」
「……すまない、分からない。気にしていなかった」
話を聞いたローは、手元の握り飯を黙って見下ろす。その目がいつになく真剣そのものである
「…しまった」
「な、何か不味いことでもしたのか俺は!」
「…キャプテンとクルー用に具を一応分けてあったんだよ。キャプテンは、梅干が食べられねぇから……」
タッパーに入れて保管していた梅干の数は20個弱 正確な数はコックも把握していなかったらしい。
改めてテーブルの上に置いてある握り飯を見る。おそらく、50個は握った。この握り飯の中から梅干が具に入っているものをローが引く確率は……よく分からないが低くはない筈だ。
しまった。失念していた。ローが梅干が嫌いだと言うことを忘れていた。
「…すまん、ロー」
「……」
「その…無理をして食べなくても良い。俺や他の皆が責任を持って全て消費するから…」
「……」
「…?ロー?」
ローは固まっている。いや、思考しているのだ。
ローの優秀な頭の中ではローがこの握り飯の中から梅干入りを引いてしまう確率はすでに答えとして出ていた。
――ハイリスクだ。
いくら他の具材が好きだとしても、それらを打ち消してしまうぐらい梅干が嫌いだった。やはりハイリスクである。 だが、しかし それでいいのかトラファルガー・ロー、と。ローの中のよく分からない部分がローを説き伏せようとする。
本当にそれはハイリスクなのか?ナマエが作ってくれた握り飯だ、どこにもリスクなんてないじゃないか。
――食え、と
「ロー 本当に無理しなくとも良いからな?割って中身を確かめても構わないんだぞ?」
「そ、そっすよキャプテン! 食べる前から青褪めた顔してんじゃないですか!」
「まずおれ等が一斉に食います。少しでも梅干の確率を下げてからでも遅くは…」
「あ…!!」
「あ゛!!」
「キャプ…!」
「ロー!!」
食べた。周りからの声に耳を貸さなかったローは、一口でソレを口に入れた。心配の声が多数上がる。それさえも無視しているようだ。
口いっぱいにしながら咀嚼するローを固唾を呑んで見守る。ナマエはコップに酒を注いで待機している。いつでも渡せるように身構えていると、ローがゆっくりと顔を上げた。
「……美味い」
――う、うおおおおおおおおおおお!!!!
勝ち鬨を上げるような雄たけびが船内に轟いた。
クルー達はそれぞれ拳を突き上げながら歓喜している。なんて確率だ!梅干じゃなかった!さすがキャプテン!と賛美する声があちこちから飛んだ。
「だ、大丈夫だったかロー」
「ああ。おかかだった」
「あああ良かった…!」
ローに不愉快な思いをさせずに済んだ。へこたれそうになったナマエに「…大袈裟だな」とローは言う。本当は、どちらが大袈裟だったのかは明白だ。
よもや梅干とナマエを天秤にかけるような真似をしただなんてことは、自分だけの秘密にしようとローはそれ以上口を開かなかった。