13万企画小説 | ナノ
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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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濡れた火にて




「ナマエの雇い主ってイイ評判あんま聞かねぇよな」



同僚は言う。更にその隣の同僚も。口に出さない奴も心の中では同じことを思っているんだろう


ナマエの雇い主は、"静かなる暴君"のようなお方だ
城下のことを第一に考えた良き藩主――文面だけで見ればさぞ良いお人柄だと思われるだろうが、実際は恐怖政治を布いていると言っても過言ではない
莫大な年貢を強制するというのではないが、何よりもまず町民の悪事を許さない
賭博の禁止、盗みは鞭打ち、虚言は舌抜き、強姦は打ち首、人殺しは磔

悪を"悪"であると定める基準が驚く程低く、
少しでも素振りを見せるだけでお縄を頂戴することになってしまう


豪快な政を強いているせいで町民たちからの評判も良くないお人で、
仕事仲間たちからも不興をかっているが、
ナマエはそうは思わなかった



「サカズキ殿は良いお人だぞ」
「それ言ってるのお前だけなんだよな…」
「裏金たんまり積まれてるのか?」
「違う あの方はそんな下世話な真似はしない」



これ以上此処にいれば、聞きたくもない雇い主の悪評を聞いてしまいそうだ
ナマエは「お先に」と声を掛け、体を薄闇の中へと消し込んだ
情報屋にだけ立ち寄って帰るつもりが、昔の同僚に会ったせいで随分と時間を食ってしまっていた

ナマエの雇い主――サカズキはさぞかし怒っていることだろう











「……ようよいんだんか」
「申し訳ありません」
「新しい奴を雇い直すとこじゃった」


軽口はそれだけにして、サカズキはナマエに報告をせがんだ

最近、城下町を賑わしている盗賊の捜索を任されていたナマエは、盗賊の一味と思われる男たちの人相書きを情報屋に聞き出しに行っていた。懐から数枚の紙を取り出して、サカズキに差し出す。受け取ったサカズキは「ほぉ……コイツ等か。直ぐにしばきあげにゃあいけんのぅ」と口元を歪めた。明日の朝にでも、盗賊たちの人相書きは城下に張り出されるだろう。そうなれば、盗賊たちがお縄につくのも時間の問題。待っているのは恐ろしい拷問と、恐ろしいサカズキだけだ



「ナマエ 夜遅うまで走り回って、くたぶれたじゃろう。茶でもしばこうか?」
「いえ。お気遣い痛み入ります」
「こぐり回したんは儂じゃけぇの、無理せんずく休むんにこしたこたぁーない」
「…では、一刻ほど仮眠を頂ければ」
「フン、一刻と言わず何刻でも寝りゃあええ」



何枚もの羽織を着重ねているサカズキの肩から桜吹雪の刺青が見える


ああ、そう言えば

昼間川沿いを移動していた時に、
とても綺麗な桜並木の道を見つけたのだ




「…サカズキ殿 ご無礼を承知で申し上げてもよろしいですか」
「何じゃ 言うてみぃ」

「明日…、このナマエと共に、は、花見などは如何でしょうか…」




暗いサカズキの和室に、サカズキが息を飲む音だけが響いた
言ってしまったぞ!とナマエは焦る。いやしかし、あの桜並木をサカズキと共に見たいのだ、と心を引き締め、どんな叱責が飛んで来ようとも後悔のないことを伝えるべく顔を上げる

しかしナマエの目に飛び込んで来たサカズキの顔は怒りに震えるソレでも、不愉快だと突っぱねた表情でもなく、

ただ当惑するかのように眉間に皺を寄せ、暗がりでもよく分かるように顔を朱に染めていた



「……なん…、言いよる。……」
「も、申し訳ありません、出過ぎたことを」

「……老中達との会合が終わり次第じゃ」
「は…」

「夜桜花見になるじゃろうが、ええんか」

「は…はい!」



ナマエは大きく畳に頭を擦り付けた。
大袈裟なナマエの喜び様に、今度こそサカズキは照れて顔を横に背ける


この雇い主の本質を知らない者達が見たならば、驚きのあまり心の臓が止まってしまうようなことでも
ナマエからしてみれば、こんなに心臓が高ぶって仕方ないのだから




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