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ヘクトル



「俺が 侯爵になったらナマエを俺の嫁にしてやる!」






その日わたしは、世話長に酷く叱られた。
曰く、オスティア侯爵家に生まれた者達にはそれぞれに決められた許嫁がいて、平凡な侍女ごときが汚名を被せるような真似は止しなさい各家からの顰蹙を買いたくないのならあまりヘクトル様を誑かすような言動は慎みなさい、と。

凄まじい言いがかりである。
けれど世話長に対して口答えをすれば、明日にはオスティアの城下町の路頭を彷徨うことになる。

ひたすらに「はい、はい」と繰り返し、時折「本当に申し訳ありません」を加え「ヘクトル様にはきちんと言い聞かせておきます」と終止符を打ってようやく長い説教から解放された。
頭を下げすぎて首を痛めてしまった。これでは夕刻の食事用意の際に支障を来たすかも知れない。



「……」


世話長が去って行った方角に目をやりながら、問題となったヘクトル様の発言を思い返してみる。
「俺が 侯爵になったらナマエを俺の嫁にしてやる!」
反芻してみても、大それた内容過ぎて私はどんどん首を深く落として行った。

おれのよめにしてやるとは、また、あの候弟らしい なんとも大胆な言い方だ。平民出身の平々凡々な侍女である私にはあまりにも重過ぎる。
せめて「俺の第八妾にしてやる」程度の内容であれば、「うふふヘクトル様ったら」と笑え、世話長も聞き咎めたりしなかったかも知れない。
第一であるか第八であるか、それはリキア海溝並の差が存在するのだ。



しこたま叱られた後だが仕事はこなさなくてはならない。自分からきちんと言いつけておきますと言った手前、彼の前でその話題を出すことも必然だろう。

コンコン、とノックし「ヘクトル様、ナマエです」と一声かけると、
部屋の中からどたんばたんと慌しい音がして「ナマエ!!」と勢いよく扉が開いた。



「ナマエ、どうだったんだ?世話長に怒られたんだろ?俺のせいで…」
「ヘクトル様、シーツ交換の時間ですので入室してもよろしいですか?」
「え…あ、ああ 入れ」
「失礼いたします」


そそくさとヘクトル様の脇を通り過ぎてしまったのは、決して顔を合わせ辛いとか、それが増して「気まずい」から来るものではなく「恥ずかしい」からしてしまう態度であるとかはまったく、ええまったくそのような事実ではありませんが改めてご本人を見てしまうと、ヘクトル様も12歳と言う年頃を迎えたことにより体つきや顔つきも男らしい、凛々しいものとなっていて、「少し前までは私の手ずからお食事をすすめていたのになぁ」、なんてああ関係のないことまで考えてしまいました。落ち着きなさいわたしとにかく今はシーツのことだけを考えるの、



「 ナマエが、世話長に叱られることになった原因を作ったことは謝る。けど俺の言ったことは絶対に曲げねぇからな。 ナマエは俺の嫁になるんだ」


駄目だ、シーツのことだけを考えるなんてこと出来ない!


「…よ、よろしいでしょうかヘクトル様 聡いヘクトル様のことですからご存知であるかとは思われますがオスティア公爵家には様々な規律がございます。その中の一項目に『下位層の身分である異性との関係を持つことは禁ずる』とされておりまして」
「知らねぇなそんなの。座学の時間はいつも寝てっから」
「……ああそれではこれはいかがでしょうか。私はヘクトル様が赤子の時から世話を勤めておりました侍女にございます。ゆくゆくはウーゼル様と共にオスティアの未来を担っていく貴方の傍にいることは私では役不足に」
「待て待て。逆に訊くけどな、俺の食事の好みも起床時間も生活行動も考えていることも全て知り尽くしているナマエ以外に似合ういい女がいるのか?」
「…ヘクトル様には確か多数の許嫁候補である女性がいらっしゃいますからね、その中に相応しい方が…」
「……ダメだ、やっぱ理解できねぇ」
「……はい?」


どうしてナマエとは結婚しちゃならねぇのかがさっぱり分からねぇんだよ。

これは本気で訳が分からないと言っている時のヘクトル様の顔だ。
よく学問所の帰りにご友人であるエリウッド様と一日の復習をしている時にもこんな顔をされている。


「身分が低いからダメって、俺と結婚すれば厭が応にもオスティア公爵の妻っつぅ上位身分になるじゃねぇか。それでオーケーだろ?違うのか?」
「け、結果論ですよそれは!」
「あああもうわぁーった! じゃあナマエとの結婚を許さねぇって言ってる奴らと片っ端から決闘をして勝ちゃあ丸く収まるのか!?」
「そ、それはもっといけません!必要時以外の暴力はダメだといつも言ってるでしょう!」


いけない。ヘクトル様の思考が、度重なる鬱憤不満のせいで短絡的になってしまっている。
言い聞かせに来た筈の私の言葉でさえ、今のヘクトル様にとったら「邪魔をするもの」になるのかも知れない。彼に鬱陶しがられることは無いとは思ってるけど、もし万が一そう思われてしまうのは嫌だ。こころがきずつく


どうにか彼に諦めてもらえるよう促してはいたけれど、幼い頃からずっと好きでいてくれた彼の気持ちを無碍にするのは、本当はやぶさかじゃない。

それにこうなってしまった以上、もはや折衷案や妥協案を提示するよりも、理解があり、頼りになる第三者へ相談する方が、ヘクトル様には早いのではないだろうか。



「…思いつきましたヘクトル様」
「なんだ!」

「ウーゼル様にご相談いたしましょう」



なにはなくともウーゼルさま。である。



「……兄上に?」
「ええ。ウーゼル様からのご認可が頂ければ、他の者は強く出れないかと思います」
「……兄上に頼るのは本意じゃあねぇが、仕方ねぇな。確かにそれが早いことか」
「はい。ですがこの強攻策に出るとなると、一つ大きな弊害がございます」
「それは?」

「ヘクトル様をお慕う他の侍女仲間や騎士の皆様に私がやっかまれる可能性が大いにあるのです」
「心配すんな。俺が四六時中傍についてるんだから、それは起きねぇ」


いざとなりゃあマシューの一人や二人つけてやるよ。

恐らく城のどこかでのんびりやっているマシュー殿がくしゃみをした気がする。彼の仕事量が増えることは申し訳なく感じるけど、ヘクトル様が仰るのなら私から申し上げることはもうない。

「……では、ヘクトル様の御身のお世話は、これからも末永くナマエが勤めさせていただくと言うことでよろしいでしょうか」
「おう、よろしい」


――まったく、昔と変わらぬ笑顔で笑われるものだ





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