西王子商店街の夕方5時から始まるタイムセールはどの店も大いに賑わいを見せている。
今晩の夕食に使う材料を出来るだけ安く手に入れようとおばさん達は必死に揉みくちゃになっていて、とてもじゃないがあの波の中に混ざれる精神力は俺にはない。
なので今日も、美味い肉を安く提供している烏丸ミートの店の隅っこを素早く駆け抜ける。
怪しい動きかも知れないが泥棒に入っているわけではない。
これはもう何年も前からやっている俺の"烏丸ミート"への訪問方法だ。
「おっ、ナマエ君こんにちは」
「こんちはっす、親父さん。莉吾は?」
「どうせまた居間で寝こけてるだろうよ。いっちょ起こしてやってくれ」
「了解っす」
レジにいてお客さんの相手をしていた烏丸ミートの店主であり、俺の幼馴染である烏丸莉吾の親父さんは口早にそれを伝えるとまたすぐに「はい奥さん今日もありがとねー!」と、良いスマイルを浮かべて嬉しげに商品を捌いている。うちの母親から「豚肉500gを二つ買って来て」と頼まれたけどもこの様子でだと俺の用が終わった頃には無くなっているな。怒られる。
勝手知ったる烏丸家の店の奥に続く居住スペースへと靴を脱いで上がり、キッチンを抜け、廊下を挟んでテレビのある和室に着くとそこには想像通りの姿で目当ての人物が寝転んでいた。
今日は休日とは言え、上下スウェット姿で、えぬえいちけーの子ども番組のチャンネルを付けたまま寝ているなんて、ファンの女の子たちが見たら幻滅するだろう。
だけど仕方ない。烏丸莉吾とは"こんな"男なのだ。
「…莉吾! おい起きろ!」
「……、…すぅ…」
「いや起きろって!」
すぅ、じゃねぇ!
だれている首元を掴んで揺さぶってみるが莉吾は起きない。今度は頭を叩いてみたがこれも効果なし。続いてくっ付いている瞼を無理やりこじ開けてみる。
半目になった不細工な顔を晒して、ようやく「……ナマエ?」とくぐもった声を返して来た。
「もう5時だぞ!心配で来てみれば案の定寝てやがって」
「……今日なんか、約束してたっけ…?」
「ナイター試合観に行くっつってだろ。昨日俺は再三言った。メールもやった。」
「…あー。あー、あー、あー、そうだ」
「思い出したんならさくっと着替えろ。5時半には出るぞ」
促されながら、莉吾はノロノロと動き出す。
基本的に野球をやっていない時以外のあいつの行動力はカメ以下だし、自分のことを『だって俺が神だし…』とか妙なところで自信満々に言っちゃうような奴なのだが、そこはもう烏丸莉吾の人格として揺るぎない部分なもんで俺もとっくの昔に慣れ切ってしまっている。
上のスウェットを脱いで着替えようとしている莉吾の引き締まった薄いような厚いようなどっちとも言えない身体をボンヤリ、所在無く見ていると
「…えっち」とゼロテンションで言われた。馬鹿野郎か。
「男同士でえっちもスケッチもあるか!」
「だって今日のアイドル魔女まりんはクラスの男子に変身シーンを見られて『えっち!』って……」
「それはアニメのはなし……つか最近の教育番組は何の話を流してんだよ」
莉吾に悪影響だろうが、なんて考えてると後ろから莉吾の親父さんの声が聞こえた。
「ナマエ君、今日はどことどこの試合を観るんだ?莉吾は面倒がって言ってくれなかったんだよ」
仕事があるので野球観戦も満足に出来ないと嘆く親父さんに、簡単に説明をする。
莉吾の準備もそろそろ完了しそうだ。
「…なので、試合が終わるのは9時半頃になりそうっすねー」
「なら飯はどうするんだ莉吾」
「ナマエと外で食って来る」
「そうするかー。球場で焼きそばでも頼む?」
「うん」
居間から出て、靴を履き烏丸ミートの表に出る。来た時にいた大勢のお客さん達の姿は疎らになっていた。
バスの時間確認をしようとスマホを開いた俺の、隣に立って画面を覗き込んで来ていた莉吾に、外を散歩していた顔見知りのおじさんが声をかけてきた。
「かー君!今度の日曜日にある草野球の助っ人の件、よろしく頼んだからね!」
「あぁ…はい…」
顔なじみで結成された草野球チームの監督さんだった。
莉吾が助っ人に来てくれることで勝利を確信しきっている顔だな、あれは。
「…ふーん、今度の日曜か」
「……ナマエ、来る?」
「ん?行ってやってもイイけど?」
「…来なくていーよ、べつに」
「あっ、バカ、そこは『お願い観に来てくださいナマエサマー』って言うところだぞ」
感情の乏しい莉吾が薄く笑う。
『誰がそんなこと言うもんか』と言いたげである。別に俺も莉吾にそんなことを言ってもらいたいわけでもない。そんなことより重要なのは、乗らなくてはならないバスの予定時刻が差し迫っていると言うことだ!
「バス停まで走んぞ莉吾!」
「えー…めんどい…」
「野球部だろしっかりしろ!ちゃんとバスケ部に付いて来い!」
「えぇー………」
−−−野外ライトが点灯する。二枚並んだ連番の席、三塁側スタンド。俺が左側で莉吾が右。どちらのチームを応援するでもなく、眠たそうに焼きそばを頬張る幼馴染の隣で、応援してる捕手選手の名前を呼んでどうにか俺と言うファンを認識してもらおうとする。莉吾がお茶が飲みたいと言った。自分で買って来い。球場にサイレンが響く。アナウンスが流れる。電光掲示板に選手の打席と時計が映る。各応援団が賑やかになって来た。選手がグラウンドに並ぶ。この瞬間が堪らない。
「…ナマエも野球やってれば良かったのに」
「ばぁか。そんなんじゃないんだって、こう言う気持ちになるのは」
「…あっそう」
俺も莉吾も、来年の春からは丘山学盟館高校の生徒になる。またお前と一緒かよ、と笑うことになって、どうせこれからも多分、まだまだ一緒にいることになるんだから。
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