MAIN | ナノ
×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
三篠


人間の感性とは斯くも理解し難いものである。
沼護りをしている身なれど、三篠の眼からしてもこの沼は"綺麗"とは形容できない。勿論、身を隠し穏やかに過ごすには打って付けの場所ではあるが。
風景を描く、写生をするには、この沼一帯は地味過ぎるだろうに。

しかし今日もまた、人間の女は此処へ来た。
両手に道具を抱え、沼の辺へ腰を下ろし、昨日今日と何の変化もしていない沼を見つめ、何が人間をそうまでさせるのか一心不乱に筆を走らせている。

人間の女は、水辺に立ち虫を取って食べている妖怪の姿も、水面に浮かびつつ眺めている三篠の姿も見えてはいない。三篠が交流を持っている人間が夏目のみである為、自分の姿を映さない人間を見るのは久方ぶりだった。そう、本来人間とはこうあるべきなのだ。
夏目の通っている学校の制服に身を包んでいるただの人間の女。
三篠の興味を引いているところはあくまで「こんな場所を選ぶその感性」でしかない。


「ゲコッ」
『…む? おい 何処へゆく』


ずっと三篠の頭の上に座り鳴いていたカエルが水面に向けて飛び込んだ。
そのまますいすいと泳いで進み、絵を描いている人間の許にまで辿りついてしまった。
何をする気だ、と三篠が動向を見守っていると、カエルはもう一度「ゲコ」と鳴く。女が気付いた。


「…あ、蛙だ」


己の近くにカエルが寄って来ていても動じない性格らしい。あまつさえ「おいで」とまで言っている。
まさか触れるのか?と驚いたが、カエルはその言葉には従わず、ピョンと女の目の前を跳ねていた。


『…何をしているのだあやつは…』


全く自由奔放な子分だ。そんなだからあらゆるところで危ない目に遭い、夏目に救われるのだぞと三篠は心内で己の子分の行動を叱った。
暫く、寝そべったまま成り行きを眺めていると、女は何を思ったのか「……もうすぐ梅雨だからなのかな。元気だねぇカエルさん」と笑って止めていた筆を再開させた。そしてすぐに新しい絵の具を取り出している。青と、緑色の。


『……』


まさか、と思った三篠は、組んでいた腕を解いて立ち上がる。そのままふわふわと浮遊しながら――少しの風を起こしつつ――、こっそりと女の背後へ回った。

疑惑は当たっていた。女は、在り来たりな沼の絵の片隅にカエルを描いていたのだ。
未だ気ままに飛び跳ねているカエルを上手く描き表している。
そもそも三篠が女の描いている絵を見るのはこれが初めてだった。今までは興味もなく、ただその姿ばかりを見ていたが、こうして見ると思いの外の出来栄えである。思わず『ほう……』と感嘆の息を零してしまう。その三篠の息は女の髪の毛を僅かに揺らした。「……?」後ろ髪を手で押さえながら女が背後を振り返る。三篠はドキっとしたが、案の定女は三篠のことに気が付いていない。
 何だったのか、と言うように首を傾げ、また前を向いてしまった。


『………、……』



「――あれ? おーい、三篠!」
『!!?』
「そこで何やってるんだー?」
『な、なつ、』



突然の呼びかけに大きく身体を揺らす。「え?」と言ったのは寧ろ女の方で、三篠はただ大きく焦りながら『夏目殿…!』と呼びかける。


「なに見てた…… え!? ひ、人がいた!」


妖怪が見える夏目の眼には、大きな三篠の背中に隠されていた女の姿が見えなかった。
慌ててももう遅く、女は「え…と、私、"みすず"って名前じゃないです……」と夏目の人違いを指摘している。あからさまに"やってしまった…!"と絶望する夏目に、肩に乗っていた斑からの無言の猫パンチが飛んだ。


「ご、ごめん。見間違いだったみたいだ」
「…大丈夫だよ。気にしてないから」


夏目と女、お互いに相手が制服を着ていることに気が付き、口調が砕けたものになる。女はバタバタと紙や道具を片付ける。他人に見られたくはないのだろう。それに気が付き、夏目もバツの悪そうな顔で隣に立っていた三篠に小声で八当たり



(ひどいぞ、三篠!)
『…此れは謝らねばならぬところか?斑』
『知らん。人間の女の背後で何かしていたお前が悪いのはまあ確かだがな』
(そうだ、何やってたんだよ)
『わ、たしはただ、あの女の描いていた絵を…』


三篠は女の顔をもう一度見た。僅かに赤くなっている頬に、なぜだか心の内がざわめきを見せる。

 暗い水と、陽の反射は白、縁取られた草花は茶、水面の漣は薄い黄、葉に掴まった蛙の鮮やかな緑色
 描かれていないのは、三篠ただ一人


『…………』

「…あの、同じ学校 だよね?」
「あ、あぁ。おれは2年2組の夏目貴志」
「私、今月の1日に転校してきた1組のナマエです」
「(そう言えば西村が話題に上げていたような気がする。確か『タキさんには負けるけど可愛い子が1組に転校してきた!』って……)ごめんな、急に声とかかけたりして」
「大丈夫だよ。私は帰るね」


隣にいた三篠がふっと顔を俯ける。「?」どうしたのだろうか。夏目が窺うような目を向けてもその顔は上げられなかった。
 しかし突然、三篠は空へと飛び上がった。三篠が見えないナマエには、急に突風が起きただけにしか感じられないのだろう。
「ここ、よく風が吹くよね」と笑い、夏目が歩いてきた道を帰って行く。

 その背中を 三篠は追いかけて行った。
馬と人間の姿が混ざり合った彼の巨体は空中を浮遊しながら、ナマエの歩く遅い速度に合わせて。



「…何をやっとるんだ?あやつは」
「さぁ…」


親分に置いていかれた子分が、「ゲコッ」と鳴く。まるで自分には三篠の心情が分かるんだぞと言わんばかりに。





prev / next