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何かいる。
地面へと投げていた視線が、"それ"を発見した。道路脇にある側溝内でぎらりと光る黄金色の眼 湿った地面からは雑草や藻が生え、長く手入れされていない為に篭った臭いにおいを漂わせるその場所にそれは蹲っていた。
もしかしたら仔猫か子犬が、穴からうっかり足を滑らせ落ち込んだのかも知れない。そう思った俺は哀れに思い、何とか助けることは出来ないだろうかと会社帰りの疲れも忘れてその場にしゃがみ込んだ。
怖がらせるだろうかと言う心配は杞憂だった。"それ"は逃げ出すことも、後ずさりすることも出来ず、すっぽりと身体が側面の壁に挟まって身動きが取れずにいたのだ。
地面に手をついて「おーい、大丈夫かー?」と呼びかける。そこで初めて、"それ"が犬猫の大きさの生き物ではないことに気が付く。

水に濡れしっとりと濡れそぼった毛むくじゃらの身体
黒い鼻をヒクヒクとひくつかせ真っ直ぐに俺を見てくる"それ"は――タヌキだ。

故郷の山では時折見かけられたが、こんな町の方に出没すると言うのは聞いたことがない。それもどうして、こんな側溝なんかに。


「えー…っと…」

一先ず、救助が優先だ。黙ったまま大人しく俺のことを見上げてくるタヌキの眼に「早く助けて」と言うようなメッセージが込められている気がしたんだ。


しっかりと止められているグレーチングを外すことは出来ないので、タヌキの上に敷かれているあの…何て言うんだっけか……度忘れしたので名前は出てこないがとにかく重い石で出来た蓋を持ち上げてみる。力を加えればこれが外れることはガキの頃に経験済みだ。そう言えば小さいときにも側溝に入り込んでいた動物を助けてやったことがあったような気がする。もう何十年も前のことだが。


「ふごっ…! ん、ぐ、ぐ、ぐぐ……!!」


力一杯上に向かって引っ張る。自転車で通り過ぎた女子高生が「何あれ」と言って通り過ぎて行った。ガチ、と言う音がして、蓋がわずかに右へとずれる。おっと言う手ごたえがあった。そのまま左右に回すようにしながら捻り、持ち上げ、力を入れ続ける。
そして、俺の身体を後ろに倒すほどの反動と一緒に、側溝を塞いでいた蓋が外れた。情けなく尻餅をついた俺に、タヌキが初めて鳴き声を上げた。


「ふゅーん」


…何とも形容しがたいが、文字にすると正しくこれがピッタリだろう。タヌキの鳴き声って「ポンポコ」ではなかったのだ。そこに驚きである。


「よぉし、もう大丈夫だからな」


濡れていたせいでタヌキの身体は持ちにくかったが、脇と壁の間に手を挟んでようよう持ち上げる。ポコン。そんな音がしそうな勢いで、タヌキを側溝から抜き取る。
長時間囚われていたのだろうか?タヌキの身体からは少々異臭がした。

俺の手の中でジタバタと足や手やらを動かすタヌキを地面に下ろしてやると、犬みたいに身体を振ってついた水気を払い落とした。それをぼうっと見ていると、背中を向けていたタヌキが俺の方を振り返る。黒い毛と、茶色の毛に覆われて、その隙間から覗く金色の眼がジッと見据えてくる。存外な目力だ。そう言えば身体を持ち上げていた時にも鋭い爪でスーツを引っかかれた。


俺を見たのもタヌキの気まぐれだろう。「あ、」と俺が口を開く間もなく、タヌキはすたこらと走り去ってしまった。白状、とは思わないが、野生のタヌキって水気を落とすと案外シュっとした顔つきなんだなぁと思った。


さて。
蓋を元のように戻しておかなければならない。
側溝に腕を突っ込んだときに濡れたスーツもしっかり乾かしておかなければいけないし、浮かせたまま踏ん張っていたせいで痛みを伴ってしまった腰は風呂でしっかり揉んでおかなければ支障が出るだろう。それにもうそろそろ巨人対広島戦の中継が始まってしまう。夜食を作りながらの観戦になるはずだ。風呂も沸かさなければならないし、ビールだって飲みたい。日中、パソコンに届いたメールの確認も必要だし、"副業"の方の発送作業も今日明日中に済ましておかなければ。

これからの俺の時間に、今日のタヌキのことが介入する暇なんてない。
今日もまた一つ、良いことが出来たよなと、一日一善の達成感が残っただけだった。









それは俺がビールのおともにかっぱえびせんの袋を開けようとした時だった。

地上5階建てマンションの2階に住む俺の部屋のベランダから、何か物音がした。
カーテンを引いていたので外の様子は中からも、そして外から中の様子も見ることは出来ない。
中級マンションで、しかもこんなに明々と電気をつけている部屋に、空き巣?泥棒?強盗?

俺は腕力にはからっしき自信がない。情けないが肉弾戦なんて単語とは程遠いような日常で生きて来た為に、自分の腕力を披露する場もなかったのだ。その為に、俺が実は強いのか想像通り弱いのかは分からないのだが、ちょっとの物音でこんなにビクビクしてるんだからきっと俺は弱い。だからもし今この時に強盗なんかが立ち入って来ようものならキッチンにある包丁で刺し違えるか、玄関のドアを開けて中の物を棄てて身一つで逃げ出すかのどちらかだ。出来たらすぐに逃げたい。

あのカーテンを開けるのが恐ろしい。外に何が、誰がいるのかを確認したくない。
物音がしたと言うことは強盗が何らかの手段をもってベランダの鍵を開けようとしているんだろうか。
ドキドキと動悸が激しくなる心臓を押さえながら、穴が開くぐらい――もし開けば強盗の手助けをすることになるのか――ベランダの引き戸を見つめる。 何秒、何分経った?


――だが どうにも。それ以降の動きが起こらない。
もう一度物音がするんでも、戸を押し入ってくるわけでもない。シーンとした状態が続いて、「もしかしてさっきのは俺の気のせい?」なんて考えが生まれてきた。いや実際そうだったかも。

とにかくドキドキをドキドキのまま終わらせたくはない。安堵に変えたいのだ。ああやっぱり俺の勘違いだったか、と。


恐る恐る物音を立てずにベランダに近寄り、生唾を飲み込んで一気にカーテンを開いた。


「オラァアアア……ぁぁああああああた、タヌキ!!?」


ベランダ用のスリッパの上に、毛むくじゃらの物体がいると思えばそれはタヌキだった。
人間ではないことに安心しかけたが、なぜタヌキ? 生憎俺にはタヌキの個体なんて見分けが付かないから確かとは言えないが、おそらくこれは、数時間前に助けてやった"あの"タヌキではないか?


「な…なにやってんだお前…」


俺が戸を開けると同時にタヌキは室内へ入ってくる。
「あ、おい!」 慌てて止めたが、タヌキはそのままリビングに敷いていた座布団の上でごろりと横になった。


「……いやいやいや 何で?」


そもそもここは、マンションの二階だぞ。
タヌキって運動神経が良いからこれぐらいの高さなら簡単に乗り込んでこれるのか?分からん。本当に分からないのは何故あの時のタヌキが俺のマンションの部屋に来て座布団の上でドヤ顔してるんだ?


「……何が望みなんだ…」


タヌキの黄金色の眼が、俺を見る。


「ふゅーん」



いや、ふゆーん じゃない。




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