≪……? 貴方は私のマスターではありませんね。認識コード・登録コード共にデータにありません≫
「う、うん違うけど…ぼくは通りすがりのゴミ拾いに来た孤児です…」
≪ゴミ拾い? ……そうか、此処は……≫
起き上がったロボットは周りの状況を飲み込む為に辺りを見回した。その目から青白いセンサーが出て、索敵しているようだった。ぼくは随分居心地が悪い。どういう状況にぼくって置かれてるんだろ。帰ってもいいのかな、だめだよな
≪…どうやら私は目的を達することが出来ていたようです≫
「も、目的?」
≪はい "リッチガルド当主邸宅からの脱走"です≫
リッチガルド――知っている。都市の上層部で権力と富を築き上げている大豪邸保有者の名前だ。
戦争が激化する今の時代で彼らほどの財力者は今後百年は生まれないだろうと評されているほどで、こんな貧民層に住んでいるぼくでさえ知っているような超有名人じゃないか!
「逃げてきたって……嫌なことでもされたのか?」
≪………その前に一つ、頼みたいことが、あります≫
「な、なんだよ」
するとロボットは膝から崩れ落ちるようにして地面に倒れこんだ。「えっ!?」口元を手で覆ったロボットは苦しそうに言った。
≪こ、この場所からの離脱に協力願えますか。と、とても…臭いが……私の臭気センサーがエラーを起こしていまして…≫
「へ? 臭い?………あ、そっか!そう言えばここ臭いからな!」
ぼくはもう慣れきってるから鼻がバカになってたんだった!
ロボットは信じられない、と言うように目を見開いて≪す…すごいお方だ…≫なんて言ってくる。
ぼくはとにかく、臭いに苦しんでいる姿が可哀想だったんでもうあれこれ考えないで此処から出ることにした。
臭気にエラーを起こしているらしいロボットは、ゴミ捨て場から離れても機体にも臭いがこびり付いていてずっと香ってたみたいだ。可哀想に
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ぼくのプレハブ小屋がある川原までロボットを誘導するのに苦労はしなかった。
貧民街の人間たちは、ぼくらと入れ違いになるようにゴミ捨て場に日課をしに行っていて好都合だった。ロボットが歩くたびにドシン、ズシンと大きな音がして目だって仕方ない。幸い、このロボットはさびれた家屋群よりは低かったから建物の陰に隠れるようにしながら歩けば大丈夫だったのだ。
≪……機体の臭いが除去出来ない…≫
「水で洗ってみたら? まあ生活排水とかが流れ込んでて汚染されてるけどな、そこの川も」
≪う…し、しかしあの場から離れられたの大丈夫です。ありがとうございました……申し訳ありませんが、お名前は≫
「日下真継」
≪クサカ・マツギ――認識コードに登録終了 何とお呼びした方がいいでしょうか≫
「えっ、い、いや適当でいいって」
≪適当、とは……≫
「う…っ、ま、真継でいいって!」
≪了解しました、真継 この度の窮地を救って頂き有難うございました≫
やけに仰々しく丁寧に土下座をしたロボットに慌てて起きるよう頼んだ。
こんな態度を取られるのは初めてだったからどういう顔でその土下座を受け入れればよかったのか分からない。それに、救ったなんて言われるような"それらしい"ことをしたわけでもなかった。ただ起きろって叫んで、自分の住処に案内しただけで、他にはなんにも
≪いいえ 真継は私の恩人です。 リッチガルド家の人間たちの手によって造られ、戯れだと称し、彼らは幾度も私の身体を傷つけました≫
屠る遊びです。彼ら上層部の人間たちは戦争が及ぼす直接的な害を被らない為に自身たちの暇を持て余していました。減少の一途を辿る人間は娯楽には使えない。なので私のような機械が製造され、彼らの人形となり、ゲーム機となるのです。私の他にもたくさんの"私"がいました。私たちは戦わされるのです。腕がもがれ、胸部を貫かれ、どちらかがスクラップになるまで壊される。傷ついた機械は修理をすれば再利用できたのが強みの一つでしょう。何度修理を受けたか分かりません。私は恐ろしくなりました。このまま、リッチガルド家の者達に飼い殺しにされるのは嫌だと。私はロボット三原則に反した行動を取りました。彼らの隙を見て脱走を謀ったのです。行き先はどこでも良かった。上層部以外なら何処でも。燃料が切れるまで飛び続けて、あの場所に落ちたのです。
≪もう、私は自由の身なのでしょうか≫
分からない。
ぼくにはロボット知識はないから、難しいことも考えられないけどこれは分かる。
やっぱり上層部の人間はクズばっかりだ。肥えるばっかりで害悪以外の何者でもない。その暮らしぶりを目の当たりにしたことはなかったけど、目の前のこのロボットを見れば分かる。
このロボットは随分と精神を傷つけられている
ロボットなのに、とは思わない。ロボットにだって感情はあっておかしくない時代だ。
リッチガルド家の人間たちが人間の代わりにロボットを使って娯楽を求めたって言うところから既に間違ってるよ。ロボットだって、人間と同じなんだ。傷つくし、イヤだって、思ったりするんだ。このロボットの話しぶりにすごく感化されてしまったらしい。
「…辛かったろ。元気出しな、ロボッ………じゃなかった、そう言えばさっき名前っぽいの名乗ってたっけ。 えー……と、 ディルル、ド?」
≪…! はい、真継≫
満面の笑顔だ。むず痒すぎるったらない。
誰かの笑顔なんて見たの、何年ぶりかな
「ディルルド、おまえはもう自由なんだぞ。よかったな」
ロボット――ディルルドは泣いた。涙こそ流さなかったけれど、静かに泣いていた。正座の格好から、顔だけを地面に突っ伏して泣き出したから、その硬い頭を撫でてみた。冷たくてまだ臭かったけど、駆動音が聞こえるディルルドのそこはちゃんと温かみを持っていたんだよ