After a while, forever.
約束は果たした、と思う。
坂を上ってあたりを見回すと、そこには初詣並の行列が出来ていた。確かに混みそうな時季ではあったけれども、と、ここに発つ直前に聞いた日付を思い出しながら、俺は仕方なく最後尾の札を持つ奴のところへ向かって坂を下り始めた。どっちみち、後戻りはできない。
夜の縁日のような、全体的に暗い、けれど眩しい色どりがあちこちに煌めいている。
行列のできた仰々しい門の向こうにはそれなりに広い空間が広がっているようで、この中で人間一人探し出すのは結構な無茶かもしれない、と俺は何ヶ月も前からたびたび考えかけてはやめ、抱きかけては放りだしてきた疑問をもう一度、心の中に転がし始めた。本当に、会えるのか。
世間には、死後の世界に関する伝説やら信仰やらが腐るほどある。実際俺も若い頃、川の手前までなら来たことがあるし、なんやかんやで無駄に霊感はあったから、それなりにその存在を信じてはいた。しかし、現世に時々ふらふらしている幽霊的なものを見ると、あいつらはつまり霊界的なところと現世を自由に行き来できる凄まじい存在なのか、それともうっかり霊界的なところに行きそびれた可哀想な魂なのか、ていうか昔、千の風になってとか歌ったけど成仏って何?とか、死に続ける人間の魂を収容し続けてったらあの世もさすがに受け入れきれねえだろうとか、するってーと輪廻ってやつは本当で、うっかりしてるとあいつ次の旅に出ちまうんじゃねーのとか、疑問は芋蔓式に出てきて、ちっとも安寧に死後の世界の存在を信じて功徳を積むどころの騒ぎではなかったわけなのである。…つーか、あいつは盆にも彼岸にも会いにきやがらねーし…。
とりあえず、三途の川を渡ってどこぞの景勝地じみた湿地帯を抜け、一山越えて霊界の門とやらに辿り着いたところで、あの世の存在は確定したわけだが、門の向こうがどうなっているのか、というか俺は長らく離れていたツレに会えるのか、それが解らない以上、迂闊にぬか喜びも出来ない。俺は悶々と、ひたすらに順番を待った。連れ合いが先に来てるんですけど。水先案内の鬼に聞いても、閻魔の裁定次第ですから、なんて……判で押したような答えしかしてきやがらねーし。あの世でもお役所はお役所かくそったれ。あんまり焦らすと年甲斐もなく暴れだしちゃうぞ、などと思い始めた矢先、坂田さーん、坂田銀時さーん、と間延びした声に招かれて、俺は開かれた門の中に飛び込んだ。
「えーと、坂田…銀時さんね。ああ、やっと来たのアンタ」
ぺらぺらと書類をめくりながら、うずたかく帳簿のようなものが積まれた巨大な机の向こうでこれまた巨大な紫色のアフロの鬼が俺を見てそう溜め息をついた。なにそのこっちが遅れたみたいな言い草。しかし、こういう場では心証が第一である。すみません、と俺が笑うと、目当てのページを見つけたらしいアフロ、もとい恐らく閻魔はえらく発達した八重歯を覗かせて苦笑した。
「男はツレに先立たれると大抵長生きしないんだけどねえ。アンタは頑張ったねー。アレか、憎まれっ子世にはばかるってやつかい」
「はあ…」
つーか、その連れ合いと約束したんで。
誉められているのか、貶されているのか。でも向こうからその話を振ってきたってことは幸先がいい、のかもしれない。曖昧に俺が笑うと、閻魔は尖った爪を使って器用に開いた帳簿のページから一枚の紙きれを剥がし、俺に差し出した。閻魔の手に比べればあまりにも小さな、葉書より一回り大きい程度の空色の紙切れには『極楽行 坂田銀時様』と書き込まれている。ロクな質問もされてねえのに!? 思わず俺が閻魔の顔を見上げると、閻魔は片肘をついてとんとんと爪で帳簿の表面をつつきながら、再度溜め息をついた。
「アンタのツレの土方さん…土方十四郎さんね。せっかくこっちでポイント貯めて極楽行きの切符を手にしたってのに、極楽なんて行けるか、ここでアンタを待つって言って聞かないんだよ。挙句三人も鬼のしちゃって。牛頭なんてさあ、可哀想にもう自信なくしてもっかい平からやり直すとか言いだしちゃって、説得大変だったんだから。アンタ極楽行きでいいからさ、もうちゃっちゃと連れて行ってくんない? つーか行くよね。極楽だもんね、文句ないよね」
じゃ、そういうことで。どん、とハンマーを鳴らして閻魔が審理の終了を告げる。門番の鬼の間延びした声が次の死者を呼び入れて、俺はといえば、どう見ても獄卒風のいかつい鬼に、こちらへ、と岩肌が剥き出しの薄暗い通路の奥に案内された。
何これ。
空の牢屋をいくつか通り過ぎて、何本目かの松明の下を横切った時、二歩先を行く鬼が足を止め、俺を促した。戸惑いながら足を進めると、ゆらりと揺らめく火明かりの下、鉄格子の向こう側で文机に向かっていた男が気配に気付いて振り向く。一瞬、世界が止まって見えた。
何十回と夢に見た、面影。その出会ったばかりの頃を思わせる若い姿に、驚くと同時に俺は呆れて――ふ、と自然に笑みが零れた。
「………何やってんの? お前」
鉄格子に手をかけて、十年ぶりの声をねだる。
「………約束しただろうがよ。待ってるって」
少し気恥かしそうに目を伏せて、十四郎は答えた。本物、だ。
鬼が大きな体を屈めて牢を閉ざしている錠前の鍵を開けた。左前の白装束のまま、十四郎はおもむろに立ち上がる。脇の戸などには目もくれず、ゆっくりとした足取りでまっすぐに、格子の向こう、俺のすぐ傍まで来た。顔立ちは若い頃のものだけれど、表情は別れた時のままだ。
そっとその手が格子に触れる。
微妙に間を開けて鋼の棒の上に並んだ手と、黒い瞳に映る自分の姿。それを見て、はたと気が付いた。そうか、俺も若返ってるのか。
急に若造に戻ったような気分だ。なんだか気恥かしくなって、俺は痒くもない後ろ頭を掻いた。
「…っ…あー、でも、まさか閻魔の膝元の、こんな、その…牢屋越しの面会になるとは思ってなかった、っつーかよォ…なんか色々イメージしてたのと違くて、正直戸惑ってるんだけれども」
しどろもどろに俺が呟くと、はあ、と溜め息をついて十四郎はゆるく口の端を上げる。
「俺だって戸惑ったっつーの。あんな別れした後であのユルい閻魔の面会だぜ? しかも天パて…」
「…天パっつーかあれアフロじゃね?」
「で?お前コースは?どうせ結構ふっかけられてんだろ、百箇日までに片付きそうか?」
「……やっぱついていけねー!!!」
「バカか!」
俺が蹲ると、がしゃんと頭の上で鉄格子が鳴った。十四郎が両手で掴んだせいだ。
「いいか、百箇日ナメんなよ、あっちからの追善供養があるのとないのじゃ全然負荷が」
「バカヤローお前人類みな仏教と思うなよ!?違う宗教の奴はどうなんだ!」
「知るか!多分違うとこ行ってんだろ」
「何ソレ!お前と宗派一緒で良かった!」
「いきなりデレんな!しかもその年代のツラでそういう…!」
「こっちだっていきなり若返られてドギマギしてんだよ!何だそのナリは!ピチピチじゃねーか!」
「ピチピチはテメーだろうがァア!」
格子越しに怒鳴り合う。悲しい覚悟と諦めが混じる前の、そんな顔を見るのも、久しぶりだ。
震えそうになる声を張る。本当は、内容なんてどうでもよかった。どっちがより若いか、なんて水かけ論をしていると、じっと待っていた鬼がとうとう耐えかねたように矛の石突を鳴らし、振り向いた俺達に轟くような声を発した。
「お前らいいからとっとと出てけェエエエエ!!!」
二人して、牢からつまみ出されて池のほとりに放り出される。あの世ってのはどこも暗いのか、静かに黒く水を湛える池には淡く光を放つ蓮の花が辺りを照らすように咲いていた。
「いきなり何しやがんだ!」
荷物が詰まっているらしい袋を投げて寄越した鬼に悪態をつく十四郎の手をぎゅっと掴む。
目を丸くして振り返る連れ合いに、俺は笑った。
感動の再会的な出会いを、想像していたけれど。
――らしいじゃねえか。
「なんか、コース?」
口を開くと、はっとしたように土方が息を呑む。どんだけ重要なんだそれ。苦笑しながら俺は、掴んだ手を引き寄せた。
「どうでもいいから、お前連れて極楽行けって言われた」
ぬくもりなんて置いてきちまったはずなのに、触れたところがあたたかいような気がするから、不思議だ。
懐から引っ張り出した空色の紙を見せると、ほとんど皺のない切れ長の目元が僅かに見開かれた後、ふ、とゆるむ。
「…閻魔の野郎も、たまには粋な真似しやがるじゃねーか」
一体こっちでどんな暮らしをしてきたんだと、俺は声を上げて笑った。
「相変わらず無茶やってんな」
「こちとら伊達に何十年もテメーの相方やってねーんだよ」
皮肉に眇められた黒い瞳が潤んだように淡い光を弾く。
空っぽのはずの胸を掴まれたような気がして、俺は、頬にかかる少し長めの黒髪に触れた。
「十四郎」
額を寄せると、至近に目が合う。
そういえば、眼鏡なしでもちゃんと見えるのか。
裸の瞳をこんなに近くで見るのが久しぶりだからか、それとも若い見た目のせいか、息まで奪い合うように唇を重ねた頃の気持ちが不意に思い出された。あの頃の焦りにも似た衝動は今はもうないけれど、久しぶりにまたがっついて十年分の隙間を埋めてみるのもいいかもしれない。
鼻先を擦り寄せると、黒い瞳が目蓋に隠れた。ほんの少し、首を左に傾ける。触れないはずの吐息が触れて、僅かに唇が触れ合った。
「どうせ乳繰り合ってんでしょう」
不意に聞こえた声に思わず、びくりと肩を弾ませてしまう。
「…おい?」
俺が唇を離すと、十四郎が訝しげに目を開けた。まるで何事もなかったように、傾けた首をさらに傾げて目を眇める。
「あ、いや…」
かなり近くで聞こえたような気がしたけれど。
気のせいか?
俺が辺りに目を遣ると、ああ、と気が付いたように十四郎は声を漏らした。
「聞こえたのか」
どういう仕組みか、ほのかに赤く色付いた頬にかかる髪を雑に掻き上げて、ぽつりと呟く。
「ここにいるとな。時々、向こうから声が届く」
ということは、今聞こえたのは現世の誰かの声ってことか。そういえば少し、新八の声に似ていた気がする。つーか何気に聞き捨てならないこと言いやがらなかったか、あの野郎。確かに乳繰り合おうとしていたけれども!
そこまで考えて、はたと俺は我に返った。
「…………待て。じゃあお前、俺のあの…」
言葉を遮るように、ぐ、と十四郎の手が俺の耳元を掴んで引き寄せる。今度はしっかりと、唇が触れた。
「……時々、っつっただろうが。ブツ切れでよくわかんねー」
そう言ってこつりと額を合わせる十四郎の頬を、涙が一筋、滑り落ちる。
耳元から肩に落ちた手に、ぎゅ、と力が篭った。
「だからこれからは、全部、聞かせろや」
あの日、別れた後の話も、全部。
呟くように付け足す声は次第に震えて掠れた。
「…お前もな」
強張った背中を、ぐいと抱き寄せる。
抱き締めて、濡れた頬に頬を擦り付けた。
零れた涙のせいじゃない、閉じた目蓋の縁が濡れるのに、ああ、歳食うと涙もろくなっていけねえな、なんて、今更の感慨に俺は笑った。
「銀時、」
抱き返す腕に、力が篭る。
ひとつめは、酒はほどほどにしておくこと。
ふたつめは、自慢できるくらいの土産話をつくっていくこと。
勝手に決めたみっつめは、笑っていけるようにすること。
「――ただいま」
これで約束は、果たせただろう。
末永く 爆発しろ!
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