冷たい頬、温かい手
山崎、と呼んだ平淡な声がどういう心境で呼んでいるのかわかるようになったのは、いつからだったろうか。
今回は、虚無に満ちた声で山崎はどきりとした。
「山崎、今出られるか」
「勿論」
貴方のためなら、と心の中で呟いた。
場所は、と問うと、ある路地裏を指定した。屯所からなら、車で十五分もかからないだろう。
「すぐ行きます」
返事はなかったが、相手が頷いたのが何となくわかったような気がした。
山崎がそこに向かうと、血の匂いが充満していた。死体の中に、一人壁に項垂れるようにして凭れている唯一の生者がいた。
「副長」
「………慣れたと思ってた」
ぽつりと呟くその声に、山崎は返答せず、その言葉を待つ。土方は返事は待っていないと感じたからだ。
「……人を斬ることにゃ、慣れたと思ってたんだ」
よく見ると、土方は血にまみれていた。だがしかし、たどたどしくもしっかりと話しているところを見れば、全て返り血であることが知れた。
「副長、」
「人を」
特段強い口調でもなかった。だが、酷く感傷的な声だった。
「人を殺すことにはいつまで経っても慣れやしねェ…!」
顔を血でまみれた右手で覆って俯いた。見慣れない白いうなじが見えて一瞬ハッとする。
最近切った長い髪は、けじめのつもりだったのか。…いつまでも、あの髪の毛がばさりと音を立てて落ちていく感覚が忘れられない。
「山崎」
「……はい」
「山崎」
「はい」
二回目ははっきりと答えた。
「鬼になりてェ」
すぅ、と思わず息を吸ってしまった。鬼。それは聞いたことのある呼び名だった。
鬼の副長。隊士の中でそう呼ばれていると知ったとき、「わかってるじゃねェか」と不敵そうに笑ったのは、いつだったか。
「鬼になりてェよ…!」
肩が細かく震える。泣いているのだろうか。鬼になりたい。それはどれだけの感情を犠牲にした上でなのか、山崎には想像もつかなかった。
「副長…」
思わず手を伸ばし、返り血のついた頬に触れる。
そのまま時間が流れた。お互いに動こうとはせず、どちらかが動くのを待っているかのようだ。
静寂を破ったのは土方だった。
「──…はっ」
そこでようやく自嘲とも安心とも取れる笑みを溢した。
「あったけえ手」
「そう言う副長は冷たい頬ですね」
山崎の体温が少しずつ流れ出ていく。伝導し、そこから熱が吸収される感覚があった。冷たさがこちらにまで進入してきそうだ。
「移りそうだ」
思わず呟かれた言葉に、確かにそうだ、と山崎は心の中で思った。
あとがき
山土でした…!!
いきなり舞い降りてきたネタ。
真選組の初期辺りの話だと思っていただければ嬉しいです…