流れ星に願った | ナノ



東京観光に来ていた。お盆におなまえと烏野のメガネくんが試合を観に来た帰りだ。せっかくだからご飯を食べて行こうというような話になって、おなまえはもんじゃ焼きをセレクトした。浅草寺にも行きたいと言った彼女のために、少し遠回りをした。都営浅草線からの乗り換えのときだろうか。俺は見事にみんなとはぐれた。東京に住んでいる身だし、慣れた地下鉄ではある。まあ、直接月島で待ち合わせても構わない。俺はふう、とため息をついてホームの隅で立ち止まった。

「研磨さん研磨さん、」
「あれ、」

おなまえは先ほどまでクロに手を引かれていなかっただろうか。なぜそのはずの彼女が俺の服の裾を引いているのか。

「クロは」
「迷子になっちゃった」

中身は幼い部分もある彼女だ。それでも年の割りに垢抜けた彼女に、俺の隣を歩かせるのはさぞ不恰好なことだ。彼女にはもっと、こう、クロのような人か烏野の強面なエースのような人が似合うんだろうと思う。おなまえはそんな俺の思いを知ってか知らずか、困ったなと言葉を漏らした。どうやら、こんなことを思っているのは俺だけのようだ。その証拠におなまえ自身は俺の服の裾を離そうとはしない。

「手え繋いでたの」
「へえ」
「でもつっきーに睨まれたから服の裾に変えたんだけどね、」

彼女はため息をつく。離しちゃった、と言って俺を見上げる。俺から見ても小さな彼女は、小さな肩を竦めた。とりあえずクロたちがどこにいるか、電話して聞いてみるか。人通りの少ない隅に寄ってから、俺はスマホを取り出してクロに電話をかける。その間彼女は黙って俺を見上げていた。

「ここ、電波悪い」
「え、」
「ちょっと待ってて」

俺はおなまえをその場に待たせて、スマホに映し出される電波表示を見つめながらふらりと歩き出す。一個、二個、次第に電波の有無を示す表示が増えてゆき、三個になった地点で、もういいだろうとクロに電話をかけた。ちらりとおなまえの方を振り返ると、彼女は小首を傾げてこちらを見ていた。待ち構えていたかのように、1コール目でクロは電話に出た。

「おなまえ!」

きいんとクロの声が耳に響く。

「いや、俺だよ」
「おなまえはどこにいるんだ」
「いるよ、近くに」
「もう電車乗っちまって次の駅で降りたんだけど、」

いくら人が多いからって何で迷子になるんだよ!クロが耳元で叫ぶ。相当心配していたんだろうなと思って、俺は少しケータイを耳から離して、その声を黙って聞いていた。心配なのは分かる。それなら、どうして手を離したのか。誰に何を言われたところで、握っていたその手を離さなければ良かったのに。どうしてその手を離してしまったのか。俺はそんなことを思いながらクロの話を聞き流していた。

「で、おなまえは」
「だから近くに、」

さっきまでおなまえがいた方を見た。

「あれ、」

ついさっきまでそこに。俺はきょろきょろと辺りを見回した。別れたはずの場所へ向かうと、彼女は口をへの字にしていた。目の前にいた男は大学生風で、パーマのかかった茶髪で、よくある白いポロシャツにカーキのカーゴパンツを身につけていた。彼女は彼にとって同級生か少し年下くらいに見えたのだろう。不安そうに眉を垂らしている彼女にどういった思いで近寄ったのか、想像するに簡単なことだ。あわよくば、を狙ったのだろう。あわよくば連絡先を、あわよくばお茶でも、あわよくばデートを、あわよくばその先を。分かる、その気持ちは。よく分かる。彼女はかわいい。守ってやりたくなる。こんな子が俺にすがりついてきたら平常心を保っていられる自信がないし、先程服の裾を掴まれたときも実は少しどきどきしてしまった。

「ねえ、行こうよ」
「人を待ってるんです」
「でもお盆で人も多いしさ、とりあえずどっか入っていようよ」
「ここで待ってるんです」

彼女は意外と強情だった。しっかりしている。クロや犬岡と並べば小さいのは当たり前だが、夜久さんといても小さく見える彼女が、その男と並んでもそう小さく見えなかった。変なの。部活の外でへらりとしていない彼女の顔を見るのははじめてだった。彼女は今日一日、終始笑顔だったのに。

「もう来ないのかもよ」
「来ます」
「連絡先だけでも、」
「嫌です」
「道案内とか、」

そろそろ助けてあげよう。俺はおなまえの方へ歩みを進めた。普段の俺だったら、面倒くさくて放って帰ってしまうかもしれないけど、おなまえが困っているのだ。クロに怒られるからとか、合宿でお世話になったからとか、そういうのを抜いても、俺はおなまえを助けなくてはと思った。こいつに譲ってはいけないと思った。

「おなまえ、」

男とおなまえが同時にこちらを見る。

「研磨さん!」

おなまえの顔がぱあっと明るくなる。そして俺の腕にその腕を絡めた。気丈に見せてはいたが、不安だったのかもしれない。俺はぼうっと様子を窺っていたことを少し後悔した。俺の隣にきたおなまえは、いつもの小さい彼女だった。男が俺を睨みつけた。俺はそれを見つめ返した。彼は舌打ちを残して去ってゆく。先程までおなまえに向けていた甘い声などどこにもなかった。

「宮城ではナンパなんてされなくて、」

少し眉を寄せたおなまえが呟く。かわいい部類に含まれるし、よくあることなのかと思っていた。俺はナンパをするようなタイプじゃないから分からないけど、彼女にしたいのはこういう、かわいらしくて優しいけどしっかり意思のある子だろう。

「へえ、意外」
「そんな隙のある子じゃないんです」

俺はなるほど、と思った。確かに、ナンパをされているのは、たいてい垢抜けていない子だ。もしくは、地元の人ではないからなのか、街に慣れていないからなのか、いかにも不安そうに歩いている子だと思う。彼女はその点一人になればなるほどしっかりしているし、物怖じもしない子だ。ナンパをする人も、落としにくそうだと判断してやめてしまうタイプだろう。

「ごめんね、放っておいて」
「いいえ、わたしこそ助けてくれてありがとうございます」

正直、俺がいなくても彼女はするりと男をかわしたと思う。俺はそんなことを思いながら口には出さないで頷いた。とにかくよかった、無事で。俺はスマホを見た。通話終了のボタンを押すのを忘れていたから、まだ電話は繋がっていたようだ。ううん、と考えてから俺は耳にケータイを当てる。

「そのまま月島駅まで行って」
「は、なに言って、」
「俺たちもそのまま行くから」
「研磨!お前、」

何か言いかけたクロのことは放っておいて、俺は通話を終了させた。おなまえがその様子を覗き込むように見つめていたが、俺は気付かないふりをした。

「行こう」

おなまえは一瞬目を丸くしてから頷いた。彼女が手伝いに来てくれたあの合宿でも、いつもクロや犬岡やリエーフがべったりでなかなかゆっくり話すこともできなかった。いいチャンスだ。梟谷の人にも烏野の人にも邪魔をされない。俺たちはゆっくりと歩き出した。普段は快活なおなまえは、案外俺ののんびりとしたペースにも合わせられるらしかった。絡めていた腕を離して、手が触れるほどの距離を二人で歩いた。

「研磨さんありがとう」
「うん」
「助けてくれると思いませんでした」
「え、ひどいな」
「だから、余計嬉しかったです」

おなまえはくすりと笑った。月島ってどこなんだ。そんなところ、日本の端にでも、 世界の端にでもなっちゃえばいい。だって、そしたらいつまでもおなまえと二人でいられるじゃないか。ああ、目的地になんて着かなければいいのに。俺はそんなことを思ってしまう自分を自嘲した。

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -