流れ星に願った | ナノ



最初はどうでもよかった。ただ、よく働くマネージャーだと思った。黒尾さんに気に入られていて、チームのみんなにも愛されているんだなと思った。それだけだった。

「今日もすっごい走るね」
「うん、楽しそうにしてるね」

マネージャーの先輩たちはそんなことを言って、彼女を微笑ましそうに見つめていた。その目線の先にいるおなまえは文字通りあっちへこっちへと走り回っている。音駒の奴らはこの間の遠征から知り合いだったようだ。彼女は遠征のときから、絡んでくるやつらをへらへら笑いながらいなしていた。鬱陶しいとか面倒くさいとか、そんな様子は見せないで、彼女は誰といてもころころと表情を変えるのだ。

「次言ったらセクハラで訴えます」
「どこがセクハラなんだよ」
「本人が思ったらそこでセクハラなんです」

おなまえは黒尾さんを軽く睨みつけた。それでもひとつ瞬きした瞬間彼女は笑顔になっている。ボトルケースを抱えた彼女が走り出した瞬間、黒尾さんは頭をかいた。気付いてないはずないんだけど、と彼は呟いたように思えた。確かに遠征の様子を見る限り、黒尾さんの彼女への愛情表現は至ってストレートだ。高校生の女子、というかあれだけ多感に色々なことを感じ取る彼女なら気付くはずだ。黒尾さんから視線を外しておなまえの方を見る。駆けてゆく彼女の顔から笑顔は消えていた。彼女は一人になるととても困った顔をすることがある。

「本当は辛いの」

辛くて辛くてたまらない。彼女の目がそう言っているように思えた。俺はその背中を思わず追った。後ろから木兎さんが俺を呼ぶ声がしたけど、俺は振り返らなかった。今は休憩の時間だ。何をしようが関係ない。俺は地面を強く蹴る。何か為になる練習をできるかもしれないというこの一瞬の休憩の時間を割いて、俺にはやるべき譲れないことがある。彼女を追うことだ。俺は彼女の手を掴んだ。

「おなまえ」
「赤葦さん、」

振り返った彼女はどうしたんです、なんて言いながら何事もないように笑った。その瞬間俺は遠征の最中抱いた想いの名前を知った。もしかしたら本当におなまえにとっては何もないのかもしれない。だけど、俺にとっては違う。そんな風には見えなかった。ただ単に心配だったわけじゃない。俺は彼女が、おなまえのことが、









「赤葦さーん」

気付いてからは早かった。

「なに、」

何度も共にしている晩飯が今日も終わる。彼女は俺の服の裾を引いた。いい加減断ればいいのに、辛そうな顔をしながら今日も盛りに盛られた晩飯を平らげる彼女の根性はさすがだ。木兎さんと黒尾さんはメガネくんを構う、というかからかっているようだった。身長が低いのだから当たり前なのだが、俺を見上げる様子が健気に思えた。黒尾さんにべったり構われている彼女と二人で話す時間はそうない。

「赤葦さんみたいな観察眼って、どうやったら身に付くんですか」
「何のこと言ってんの」

俺は首を傾げた。彼女は笑う。

「いつもわたしが辛いとき声かけてくれるから」

わたしも赤葦さんみたいにみんなの異変に気付けるようになればな、って。そう言っておなまえは少し眉を垂らした。声をかけたところで、俺が彼女に何をしてやれたというのだ。何もできなかったという後悔をしているくらいだ。むしろ気付かなければ、この心の痛みを感じることはなかったのにとさえ思う。こんな考え方は間違っているとは思うけれど、気付かなければ不甲斐なさに頭を痛めることはなかったのだ。

「解決できないんだから意味ないだろ」

少し語気を荒げてしまったからか、おなまえは目を丸くした。怖がらせてしまっただろうか。彼女は俺のことをすごいと言ってくれているのにもかかわらず、俺はなんていうことを言ったんだ。再び俺は後悔をしはじめようとした。そのとき、彼女は笑った。

「気付かなかったら解決できるかどうかすら分からないじゃない」

気付いてるよ、分かってるよ、っていう言葉だけで随分違うはずだよ。おなまえはそう言って俺に笑いかける。彼女には彼女のドラマがあって、俺には俺のドラマがある。演者が変わらなくとも、視点の転換によっていくつもの捉え方と思いと物語がある。俺はあくまで俺の気持ちしか分からないし、彼女もまた彼女の気持ちしか分からないのだ。だから、彼女が俺をすごいと思う気持ちは俺にはきっとずっと分からないだろうし、逆に、俺が彼女を思う気持ちもどうにかしてやりたかったという後悔も、彼女には分からないのだろう。

「その為に言葉があるんだし」

だけど、分からなくてもいいのだ。彼女の言葉を聞いたらそう思った。だから伝えることが大切なんだろう。そう思わされた。言ってしまえばよかったんだ、あのとき。彼女の異変に気がついた、あのとき。君が心配なんだと。それは、君のことが好きだからなんだと。

「思いを言葉にするのって、すごく難しいですよね」
「大切な相手なら尚更な」
「赤葦さんも、かっとなるんですね」

おなまえは小さく笑った。

「そりゃあな」
「いいですね、熱くて」
「クールを気取ったところで振り向かないだろ」
「誰がです」
「お前だよ」

おなまえが一瞬動きを止めた。そして、ふと考えるそぶりを見せた。俺はもう一声かけようか迷った。どういう類の振り向く、なのか明確にしてやるべきかと悩んだ。先程気付いたのだ、言葉は口に出すからこそ意味があるのだと。どれだけ大切に思っていたところで、明確に分かるように表さなければ、相手にとっては無いと同然だ。俺はすっと息を吸う。

「もっと見てくれ」
「え、」
「俺は見てる」

俺は勇気を出して一歩近づいてから、彼女に手を伸ばした。ふわり、と髪に触れた。よくもまあ黒尾さんは好きな女に簡単に触れられるものだ。俺は正直、緊張でいっぱいいっぱいだ。頬が赤らむのを自覚して俺は顔を背けた。もしかしたら彼は、おなまえのことを妹程度にしか思っていないんじゃないかと勘繰ってしまう。肩や背中なら平気だ。だが、女の子の髪というものがそれほどに胸を高鳴らせるものだとは思わなかった。加えて、近い距離のせいもあるのかもしれない。

「赤葦さん、」
「ああ」
「わたしも見てる」
「は、」
「赤葦さんのこと、ちゃんと見てますから」

彼女は頬に滑らせた俺の手の上に小さな手を重ねた。ふわり、という形容詞が相応しいほどに柔らかく笑ったおなまえに俺はうっかり見とれてしまった。陽を追うひまわりというより、自らが陽のような動きを見せる彼女をひまわりというには少し無理があるけれど、まるでひまわりがぱっと開いたかのような笑顔だった。俺の視界は一気に明るくなった気がした。そのまま腕の中にしまい込んでしまいたいとは思ったけど、それはまだ早い。俺はぐっと拳を握って、自らの手を上から重ねた彼女の頬を少し撫でた。それはとてもやわらかかった。

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