鬼童丸は京都に着きすぐ様羽衣狐の元へ向かった。
「羽衣狐様。"これ"を持ち帰りました。」
「ふふ。それは宵じゃないか。おうおう叫ぶな女。」
鵺ヶ池に浸り濡れた髪を撫でながら羽衣狐は笑った。目を細め、まるで自らに言い聞かせるかのように叫ぶなと言う。
「こちらに流せ、鬼童丸。」
「はい。」
鬼童丸は気を失っている宵を鵺ヶ池に落とした。宵は沈まず、意思でもあるかのように宵を羽衣狐の元へと流された。羽衣狐が宵の顔を池の水に濡れた手で触る。痣にまで手を伸ばし水を染み込ませるかのように顔を触った。
「…かぁ、……さん?」
触られた感覚に宵はぼんやりと目を開ける。黒く長く美しい髪は山吹乙女を象徴しているものであり、宵の自慢の部分でもあった。意識がはっきりしていない中、羽衣狐を自分の母親に間違えるのには充分だった。
「宵、可愛い子。さぁ、妾の元へ近う近う。」
「あ、あ、かぁさん。かあさん!」
脚をもつれさせながらも羽衣狐にしがみつく宵。羽衣狐はまるで本当の母親の様に優しく宵を支え抱きしめた。
「宵。妾の為に何でもしてくれるか?」
「する!するから、もう、どこにも行かないで。」
宵が懇願するように叫ぶと羽衣狐はにやりと笑い、尾で宵の痣を撫でた。その尾を見て宵は目を見開く。
「羽衣……狐。」
「なんじゃ、今頃気づいたのかえ?ふふふ。お前は妾の為に何でもしてくれるのだろう?」
「……えせ。返せ!母さんの体を、母さんを返せ!!」
「反抗的な態度じゃ。親には従わぬといかぬぞ?」
「うるせぇ。てめぇなんて母親でもなんでもない。」
「くく。いじらしいのぉ。まだ寝ておれ。其方の出番はまだまだ先じゃ。」
「あがっ。ぐぅ………。」
宵は羽衣狐の細い手で首を絞められ意識を落とされた。そして、宵を尾で掴むと何処かへ隠す。その様子を見ていた狂骨は首を傾げた。
「お姉様、そいつをどうするんですか?」
「ふふ。余興の為のものだよ。それより、皆のもの、妾の為に生き肝を集めてまいれ。よいな?」
その場にいた全員が姿勢を正し、頷いた。
「御意。」
***
宵は感じていた。
すぐ近くになにか得体の知れない生命が宿っているのを。それはあまりにも巨大なもの過ぎて宵は怯えていた。自分には敵わない。自分という矮小な存在がこの人物の前に立つなど恐れ多い。
これ程までの純粋な恐れを宵は今まで感じたことがなかった。
怖い。恐れている。けれど、何処か、愛おしい。
そんな感情を抱くなどありえない。そう思う宵だが、感情には逆らえない。何故だと自身に問う。
似ている。そう感じ取った。それが、何となのかは分からない。だが、似ているのだ。
真っ黒な視界の中、宵は闇雲に手を伸ばす。
「……出たいの?」
宵の言葉に呼応し、そこに心臓があるかのように、どくんどくんと強く振動する。
「うん。そうだね……。俺もこんな所から出たいや。でも、なんでかな凄く暖かいんだ。ここが羽衣狐の中だと分かるのに、母さんに抱きしめられている気がするんだ。このまま、母さんを感じていられるなら、このままで良いかな、なんて。」
宵の周りにある闇がざわざわと動き出す。自分は絶対に外に出てやるという意思表示だろうか。
「あぁ、君は出たいんだね。ごめんよ。……君はどんな子になるんだろうね。決して、親不孝者になってはいけないよ。それが、俺達子供が出来ること、なんだ。」
恐れながらも、愛しいと思う"子"。この子ともっと早くに逢えていたら。
「俺は君に魅せられていたかもしれないね。」
「今からでも、遅くはないだろう。」
突然の返答に宵は悪寒がした。その声は余りにも闇を含みすぎていて、聞いた瞬間から侵されるようだ。
「同じ腹から生まれた者だろう?」
「え…?」
どこにいるとも分からないのに視線をつよく感じる。闇が強く動き、宵は外に弾き出された。