学生と一般 06



帰宅した部活帰りの晴兄が「尚、買ってきたぞ」と俺にカップ入りのチップスを投げて、すぐドアを閉めた。
その瞬間、竹森が小さく息を呑んだ、気がした。
ゲームのコントローラーを拾い上げながら、竹森の顔を窺う。
残像でも見えるのか。
透視能力でもあるのか。
晴兄が閉じた扉を見たまま。
いつも繋ぎとめるのに必死だった俺が拍子抜けするくらい、あっさりと竹森は俺の部屋へ来た。メールひとつで。
ゲームの同じメロディが繰り返される。

「晴兄に用事あった?」

わざと訊いてみた。
否定すると思ったのに竹森は頷いた。
唇が白くなるくらい噛み締めて俺から視線を逸らす竹森のうなじ。
襟。
一番上だけボタンが外れたシャツ。
晴兄と同じ制服、同じ校章。

「じゃあ呼んでくる」
「いいっ。別に…大したことじゃないから今日じゃなくてもいいんだ」

いつもの余裕も自信もない様子で答える竹森に苛ついた。

「晴先輩に訊きたいことがあって」
「何」
「…予備校のこと」

質問も考えていました、って?

「ウケる。必死じゃん」
「違うよ、俺は本当に」

成績と面倒見の良い兄にはいつも慕う後輩がいる。「憧れています」っていうの?

「晴先輩は人気あるから学校じゃ話せなくて…」
「「晴先輩」とかキッモ。やめてくんない?鳥肌見て、ほら」
「だから、そういう意味じゃ」
「じゃあどういう意味だよ。
ホモとかマジ引くんだけど」

ほら、その眉間の皺。
悔しそうな顔の竹森を見ると心が凍るほど寒くなり、同時に熱くなる。
頭の芯がぼうっと痺れて、快楽物質が風邪薬のCMみたく頭の中でパーンと弾けるイメージ。

「…尚紀に言われたくねーよ」

震える小さな声で竹森に言われた。

「ああ、そうかよ!
どうせお前も心の中でバカにしてるんだろ?
笑ってるんだろ?
どうせ一日中何もしてないよ!
大検受けるつって、買ってもらった教材も!
一ページだって問題解いてねえよ!
親のすねかじって、小遣いもらって生きてるよ。
でも他に何ができるっていうんだよ」
「…バイトとか」
「バイトなんかな!中卒じゃどこもやとってくれねーんだよ!」
「…新聞配達とかできるじゃん」
「ふざけんな、そんな姿同級生に見られたらどうすんだよ。カッコわりーだろ」
「………じゃあ学校来いよ」
「ははっ…誰が行くか。俺を女装させてオナる変態と一緒に勉強とか無理」

「おい、尚?」

晴兄が部屋のドアをノックした。

「誰か来てるのか」
「竹森。でも、もう帰るって」
「え、俺…晴先輩に」
「あまり遅くまで引き止めるなよ。もうすぐテストなんだから」

階段を下りていく音。
いつもより乱暴な足音に、晴兄が竹森の訪問を快く思っていないのだと知らされた。
みんな勝手。俺も勝手。知るかっつーの。
挨拶すらできなかった竹森の落ち込んだ顔がさらに苛つく。
もっと傷つけたい。

「晴兄さ、俺のこと好きって知ってた?
今朝も超エロいディープキスされたんだけどさ、超キモかった」

竹森の顔色が変わる。
じんわりと満たされる俺の心。

「…………え?何言って…」
「どんな感じか教えてやろうか?大好きな『晴先輩』のキスの仕方」
「嘘だ…」

右肩に手を乗せて、竹森の薄い唇を間近で見る。
彼の食事中の姿を思い出す。
食べ物を入れる瞬間。
咀嚼している間。
蠢くそれに欲情していたんだ、ずっと。

「キスできる」と思うと、予想以上に胸が甘く疼いた。
そっと互いのくちびるが触れて離れる。
一拍遅れで心臓が早く鼓動を打つ。
抵抗しない竹森。
なんで?
そんなに「晴先輩のキスの仕方」が気になるのか。
間接キスになるんだと思うと少し癪だったけれど。
俺を食べ物みたいに味わえよ。
俺の世界はこの部屋の中だから。
ここに入ったお前が悪いんだ。

「『晴先輩』とキスした気分なった?」

俺が止めても「もっと」と自分からキスしようとする竹森の胸を押し返す。

「俺は『晴先輩』じゃないよ」と笑うと竹森の動きが止まって正気に戻ったらしく赤面して、何も言わず逃げるように部屋を出ていった。
なぜだろう、勝った気分。
笑みが零れる。
こんなに簡単に竹森とキスできるならもっと早くこうしておけばよかった。
晴兄が心配したのか「大丈夫か」と部屋へわざわざ訊きに来た。

「大丈夫」と言い、部屋の鍵をかける。
放っておいてくれ。
余韻に浸りたいんだ。
初めて味わう優越感。
上に立てた気分。
あのエスカレーターの時みたいだ。






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