虫の心臓 08 「理智」 男がとがめるように名を呼んだが、澤井はシーツに顔をうずめて答えようとしなかった。 「理智、なにを強がっているんだ。素直になりなさい」 そういいながら男の手は、苛立たしげに澤井の尻を叩く。 なおも黙り込む澤井を見ると、仕方なさそうに溜息をついた。 「なんだ、道具が気に入らないのか? それならお前がもっと好きなものをあげような」 「いっ、兄さん。やっ、兄さんっ、嫌だ、やめっ」 声を上げた澤井を無視し、男は道具を引き抜くとズボンから取り出した己の性器にゴムをかぶせ道具の抜けた後へと押し込む。 呆然として動けないでいる藍沢と、性器を押し込まれ目を見開いた澤井の視線が交錯する。澤井の表情が絶望に染まり、目元に涙がにじんだ。 「やめろ、見るなっ、やめてくれ。みるなっ、藍沢、いやだっ」 「なにをいってるんだ、理智。見てくださいだろう」 男は笑いながら腰をうちつけ、澤井の背に体を重ねるようにしてちいさく揺さぶった。 澤井のくちびるがわななき、吐息がもれる。 「ここだろう。ほら、素直に声を上げて、彼氏に聞かせてあげなさい」 「やぁっ、あっ、ああぁ! やっ、いやだ、やめっ、藍沢っ」 パァンとまた男が澤井の尻を叩いた。 「なにがいやだ。この淫乱がっ、急にまともな振りしやがって。お前は実の兄に、クソまみれの尻を犯されても感じる変態だろうが、さっさといつもみたいに泣けよ」 苦々しげな声で罵倒され、澤井の体が震える。 「前みたいに置き去りにされたいか?」 低く脅す言葉に、澤井は涙をこぼして首を横に振った。 「いぁっ、いっ、イイっ、あっ、兄さんっ。イイっ、もっとっ」 動かずにいた澤井が声を挙げながら尻を振る。絶対に藍沢を見ないように顔をそむけ、涙でシーツをぬらしていた。 裸のまま間抜けに座り込んだ藍沢は、兄が弟を犯す姿をただ眺める。 くちびるはなんども澤井の名を呼んで動いたが、それが声になることはなかった。いま彼の名を呼ぶことはたぶん、なにより残酷なことのはずだ。 頭がぐらぐらしてめまいを覚える。 熱くなった体が、うまく動かない。体を拘束されているわけでもないのに、男の暴挙をとめることができなかった。澤井が犯されているのに、手出しをするどころかその姿に興奮している。涙を流す顔に、悲痛に上がる声に、なにより彼が犯されているということそのものに、ひどく昂った。 兄さんっ、気持ちいいっ、もっと、兄さんっ、あうっうっあっ、ひっ。 イイっ、イイっ、イイっ、イイっ、ああぁっ、ぐっ、んっあ、あっあっ。 男は尻を犯しながら、片手で澤井の性器を袋ごともみしだく。 いつのまにか澤井の背から尻までが、叩かれて赤く染まっていた。肩には歯型が浮き、シーツには乱暴につかまれたせいで抜けた髪がぱらぱらと散らばっている。 「理智、ほら顔を上げて」 男がまた澤井の髪をつかんで顔を引き上げる。 命令に従って視線を上げた澤井の前には、股間を硬く昂らせた藍沢がいた。 「彼氏がさみしそうだろう、しゃぶってやりなさい」 「藍沢……」 澤井の顔に悲痛な表情が浮かぶ。 藍沢は押しとどめるべきだとわかっていたが、一瞬誘惑に戸惑ううちに、男に腕を取られ、強引に引き寄せられた。 「理智は素直じゃないが、口は悪くない」 薄笑いでそんなことを藍沢にささやく。 ためらいは消えず、だが拒絶もできずに藍沢は澤井を見下ろす。視線が絡むと澤井は諦めた表情で、藍沢の股間に顔をふせた。 舌で亀頭を舐められ、腰が浮く。 口にふくまれ口蓋でこすられて、そのままこらえきれずに射精しそうになった。ときおりちらちらと澤井の目が藍沢をうかがう。視線が絡むたび、藍沢は射精感を押さえるのに必死になった。 男にむしられた髪をそっとなで、頭を抱え込む。 痛ましく赤い背に手を這わせると、澤井の体がちいさく震えた。 キスがしたいと思うのに、澤井が性器をふくんでいるせいで、それができない。 澤井の与えてくれる快感と手に触れる髪の感触に、藍沢は目を閉じる。そうしないと背の向こうで腰を打ち付けている男のことをどうしても考えてしまう。 澤井の口淫は手慣れていた。舌の使いかたも、唇の動きも、袋に与えてくる刺激も、藍沢をたまらなくさせる。けれどその分だけ悔しさが胸に浮かぶ。 ――澤井っ、澤井っ、澤井。 声に出さずに名前を繰り返しながら、堪えられずに腰をゆらす。抱えた頭を押しつけないように我慢していたが、舌で先端をくじられずるずると吸い上げられて、それもできなくなった。どうしても力の入る手で澤井の頭を引き寄せて、その口の中に射精する。 澤井は吐き出すこともなく、それを飲み込んでさらに性器に舌を這わせる。 気持ちがよくて、情けなくて、悲しくなって、苛立たしくて、悔しくて、ごちゃごちゃした感情が藍沢の胸に吹き荒れ、涙が出た。 澤井の兄は藍沢が射精してすぐに家から出て行った。帰り際になぜか白けたような顔で、なにごとかいっていたが、藍沢の耳にはよく聞こえなかった。 混乱して疲れた頭で隣に横になる澤井を見る。 なにを見ているかわからない表情で呆然と横たわる澤井の姿に、いまさらながら罪悪感が胸を刺した。本当は男が澤井を引き寄せたときにでも間に割って入ればよかったのだ。なぜかそれができず、ただ混乱するばかりで成り行きを見守ってしまった。 途中からは澤井が犯されていることに興奮して、欲情していた。 「澤井」 呼びかけると澤井の目がちいさく動く。 無気力なしぐさに、藍沢は泣きたくなって顔を寄せた。 薄く開いた唇にキスをすると、わずかに精液のにおいがする。たまらない気持ちで舌を差し入れ、自分の精液のにおいがまだ残る澤井の口内を舐めた。 舌を絡めると緩慢に愛撫が返ってくる。抱きしめて肌をすり寄せ、体を密着させた。 澤井の体は嫌がる様子もなく腕の中に納まる。普段ならすぐに押しのけられそうなものなのに、いまは拒絶されることもなく、澤井の腕が藍沢の背中を抱き返してきた。 胸が震えて呼吸が止まりそうだ。 澤井がいま藍沢を“誰か”と勘違いしているのでも構わない。 「澤井、好きだ。澤井、澤井、澤井」 すこし眠たげな顔にキスを降らせ、ふたたび唇に深くくちづける。 すり寄せた体が熱くなる。股間がまた硬く膨らんできて、澤井の足をこすった。 ふせかけていた澤井のまぶたがあがる。 「やるのか」 気だるげな問いかけを聞きながら、藍沢は顔をすり寄せる。 「ご褒美をくれるの?」 「ご褒美? 勝手になんでもすればいいだろ」 「澤井の許可がなきゃ、なにもできないよ」 僕は君の犬なんだろうというと、澤井はふっと鼻で笑った。 「さっきの見ただろ? もう、どうせなにもかも同じなんだ。なんでもいい。入れたきゃ入れろよ。しゃぶって欲しいんならしゃぶってやる」 「澤井」 名前を呼んで髪をすく。 正直、入れたくないといえばウソになる。相手が自分でも、さっきみたいに澤井は声を上げて名を呼んでくれるのかと、そんなことをどうしたって思ってしまう。それでも、いまそれをしたら決定的になにかが終わるというのもわかっていた。 藍沢はそれほど愚かではない。 いまの一瞬の快楽など物の数にもならないような素晴らしい可能性が、目の前にあることに気づいている。 「眠ろう、澤井。ちょっと疲れたよ」 体を寄せたまま目を閉じると、腕の中で澤井が戸惑っているのがわかった。 「寝よう。起きてから話をしよう」 下心を見透かされないように、そっと背中をなでてやる。 目を閉じたまま様子をうかがっていると、じきに澤井は眠りに落ちた。 藍沢はゆっくりまぶたを上げると、腕の中の大切な男を見つめる。 兄に犯されながら、恐怖に歪んでいた顔を思い出す。 藍沢の口元に笑みが浮いた。 「澤井、僕は君を手に入れる――」 手に入れる方法に気づいてしまった。 「ひどいことはしないから」 安心していいよ。 藍沢は眠る澤井にそうささやくと、獣のようにその喉にかるく歯を立てた。 fin. (*)back|main|next(#) → top |