犬がmuffinと嗤う 02



 全寮制の閉ざされた学園の中で彼―――金海裕也は極めて異色だった。
 高等部から外部で入学した金海は親の権力と幼稚部の頃からいる世間知らずな生徒達を圧倒させる程の外の世界からの隠れた知識をひけらかしては自分に追従する仲間を作り、着実に学園内の自分の立ち位置を物にしていた。
 そんな彼に蛆のように集まる生徒は後を立たない。何故なら彼は学園内でも、また学園外でも認められる程の容姿を持っていた。金に染め上げても尚艶やかな髪に端整な顔立ち。均整のとれた体。人を魅了する濃艶な色気は生徒達を陶然させるには充分だった。
 そんな一部で学園内の膿と呼ばれる男が生徒会長に伸し上がったのは今年のことである。彼を他人事のように一歩引いた場所で観察していた村尾は、その事実に言葉を失い同時に僅かながら興味を持った。
 しかし今はそんな自身を鞭撻してやりたいと、何故浅はかな思考しか頭の片隅に残さなかったのかと後悔しては溜飲を何度も呑み込む。
 彼、金海が一人書類の整理に追われていた村尾のいる風紀委員室に現れたのは、数ヶ月前のことだった。

「俺さぁ、あんたのこと好きになっちゃった」
「は…?」

 意識を書類に集中させていた村尾は、促したソファーに腰を下ろした金海の方へ視線を向ける。
 厭らしい笑みを貼り付けた顔はそれでも美貌が崩れる事がない。村尾はただ素直に感嘆の息を漏らした。しかし彼の発した言葉を脳裏に思い起こすと首を振って書類に視線を戻す。
 彼が悪巫山戯の常習犯であることは噂で聞いていた。その一部には生徒の強姦事件も耳にしていたが、仕組まれた工作は村尾に決定的な証拠を掴ませる事なくただ話題だけが委員会で起こっては霧散している現状が続いていた。
 金海の自室と化した生徒会室には彼に有益な役員しか引き入れていない。勿論会議に出席どころか業務すらしないお鉢は他の委員会に回ってきており、村尾達は毎日がその日の業務をこなす事に必死になっていた。昔感じていた関心は今や軽蔑しか残っていない。

「だから俺のモンになってよ」
「…冗談は寝てからにしろ」

 吐き捨てる様に言ってから、自身に影が落ちている事に気付き村尾は顔を上げた。何時の間にか机上に腰をかけていた金海は唇の端だけを持ち上げて皮肉気に笑う。

「冗談じゃない、っつったら?」

 眼前に振られた茶封筒を村尾は訝しげに見つめた。促されるまま手に取ると封を開け中を確認する。
 そして入っていた紙を数行読んで人よりも多少聡い頭は、すぐに彼の意図する事を理解した。冷や汗と見開く目もそのままに固まる村尾の姿を金海は満足気に見下ろして頬を撫で上げる。

「あんたの会社、このままじゃ倒産かもよ?」

 媚を売るような場違いな甘い声音に、村尾は煮え滾った腹を堪えながら用紙を握り込む。ぐしゃり、と静寂な空間に響く音は耳障りな不快感を残していた。

「弟クンは受験だっけ?大変だろうなぁ、この時期路頭に迷っちゃ中卒止まりか」

 まるで憐れむ気のない同情心を睨みつけて、罵声を上げそうになる喉を抑え込みながら口を開く。

「…何が望みだ」

 想像よりも低く掠れた声だったが、金海はそれに対しより一層深い笑みを浮かべて村尾を見た。気狂っている、と胸中で呟きながら舌打ちを一つ落とす。

「俺のこと好きになって。犬になって、恋人になって、跪いて、傅いて、媚売って、尻尾振って、…ついでに腰も振ってくれりゃあ最高じゃね?」
「下衆が…っ」

 吐き捨てた言葉はすぐに金海の口で塞がれた。眼前に見える顔が醜悪に浮かび、笑う。
 そして先ほどの表情とはまるで正反対な優しさで微笑んだ。

「それ、俺には誉め言葉にしか聞こえねーよ?ダーリン」

 以来生徒会長の犬と呼ばれる男、村尾晃平は風紀委員長ながら過去に残っていた敬慕と共に、一部の生徒に僅かな畏怖と軽蔑の眼差しを向けられる事となる。





□■□■□





 部屋に篭る独特の臭いに村尾は眉根を寄せた。肌と肌が打ちつけられる音に頭痛を感じて壁に背を預ける。

「あっ!あぁっ!ん、そこ…っ、痛ぁ、い…!」
「こんなビチョビチョに濡らしといて何がイターイ、だ。喘ぐ前に腰の一つでも振れよブス」

 女の悲鳴に舌打ちを落としながら、金海はその豊満な尻に何度も定規を振り翳した。赤く腫れた白い肌はじんわりと血を滲ませている。既に何度かの抵抗の後に殴られた頬は大きな痣を作っていた。
 先日の夜の外出で捕まえたらしい女はどうやら自分の容姿に自信があったようだ。今はそれすらも砕かれ、ただ泣き叫ぶ様に喘いではその顔を涙と汗で歪めていく。村尾は同情心を抱きつつも無警戒に金海に付いて来た女を自業自得だ、と罵った。すぐにそんな思考を振り被って消すが、どうやら金海と一緒にいて当てられたらしい下劣な考えは次から次へと溢れてくる。思わず肌を爪で強く掻いた。

「ひっ、あっ、あっ、あぁ…っ!」

 珍しく長引く行為に痺れを切らしたのか、村尾とは離れた場所で座っていた役員が腰を上げた。

「会長ー、まだッスか?」
「締まり悪ぃんだよこいつ」
「ひっ、ひぅっ!」

 苛立っているのか、金海は近くに置いていた女の携帯を持ち主の肛門に乱暴に押し込める。慣らされもせずに抉じ開けられた痛みからか、女は喉に詰るような悲鳴を上げた。これ以上は視界に入れたくないと村尾は目を閉じ意識を別の所へ追い、遣り過ごす。
 けれどすぐに近付いた足音が村尾を浮上させた。片目を開けて見れば、役員の一人が厭らしく目を細めて口を醜悪に歪め村尾の顔を覗き込みながら身体を左右に揺らしている。口から香る独特の臭いにまたか、と胸中で溜め息をついた。

「相変わらず委員長さんは潔癖だねぇ…あれ?でも会長さんの犬やってる時点でイカレてるか?」

 揶揄する男は綺麗な顔をしているが笑った時に見える歯は溶けかかっている。そんな醜さ漂う男を軽蔑の目で見つめながら、また目を閉じた。
 だから生徒会室に訪れるのは嫌いだと心中で悪態を付く村尾は、それでも金海に言われる日はこうして彼等の度の過ぎた悪巫山戯を部屋の隅で見せられていた。それによって知った彼等の室内での行動に何度吐き気を覚えたか分からない。知っていれば早々に手を打った、と過去の自分を持ち出しては責任転嫁する自身の愚かさに思わず自嘲の笑みが漏れた。
 しかし、どうやら目の前の男は自分が嗤われたと勘違いを起こしたらしい。不機嫌そうに村尾の胸元を掴むと食って掛かるかの様に顔を近付けた。

「なぁ、何か話せよ犬」

 そう言って息から零れるシンナーの臭いを漂わせた男は、けれどすぐにその手を離し左側に吹っ飛ぶように転がった。
 どうやらスタンドライトが頭に当たったらしい。染めた髪から見える赤が想像以上の怪我であろう事を村尾は呆けた顔で見つめながら考えた。慌てない辺り金海と共に居て感覚が麻痺した様だ。

「がっ、ぐ…っ」

 痛みを堪える様に怪我の箇所を抑え蹲る男は、次に金海の振り上げられた足によって更に村尾から離れる様に転がった。男が弁明の意を唱えようと顔を上げた瞬間すらも見逃さず、足を頭や身体に体重を掛けながら振り下ろしては何度も踏み付ける。

「お前何勝手に俺の犬を犬呼ばわりしてんだよ」

 底冷えした声は弛んだ部屋の空気を急速に硬直させていった。ソファーに座った他の役員も先程まで泣き喚いていた女も、皆一様に息を殺す様に口を閉ざしては金海の行動を緊迫した面持ちで伺っている。

「これは俺の犬なの、分かるか?あ?」

 徐々に苛立ちを含んだ声はその意に比例して過激な暴力へと変わっていった。悲鳴を上げながら顔を隠す様に腕を回し小さくなる男はその間必死に謝罪の言葉を繰り返している。

「ひっ、あ、す、すいませ…っ!ふぐっ!」
「顔見せろ」
「すみませっ、すみませ…っ!」
「いいから顔見せろっつってんだよ!」

 ボキリ、と小気味いい音が静寂した部屋に響き渡った。次にだらりと腕を伸ばした男は、露になった顔を恐怖に歪めながら金海を懇願の目で見つめる。
 それを気持ち良い程に爽やかな笑顔で見つめ返す金海は、男の意識がなくなるまで顔を殴り続けた。足元に溶けかけて腐食した歯が転がるのを視界に捉えながら村尾は瞼を下ろす。

「あーあ、萎えた。それ、好きにしていいから後は勝手にしとけよ」

 漸く男に飽きたらしい金海は血に塗れた両手をカーテンで拭う。痛いと何度か呟き漏らしながら振る手は、拳の皮膚が赤く滲んでいた。
 そして村尾に近付き彼の背中を叩くと、促す様に扉へ向かう。それに付き従いながら背中から聞こえる女の悲鳴は、聞こえぬ振りをした。

「どう?俺の嫉妬、可愛いだろ?」

 廊下で振り返り無邪気に笑う金海は背中を丸めて村尾の顔を覗き込んだ。然程変わらない身長の男がまるで幼い少年の様に見えて村尾は眩暈を覚える。揺れる脳を押さえながら無言のまま首を振れば、金海は醜悪に顔を歪めた。それでも尚美しかった。

「ほっんと、ダーリンって生意気」

 そう嗤って細める目を見つめながら、この男の終点はどこにあるのだろう、と村尾は漠然と思った。
 そしてすぐに関係ないと頭を振って心に淀む感情に栓をした。
 栓をしなければならないと、思った。






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