小説 | ナノ



逃げた彗星はどこへ行く


改札を抜けて駅を出て、それだけなのに空はもう暗い。朝も駅まで歩いて夜は駅から歩いて、その間は会社に居るだけで、それだけで私の一日は終わってしまうのだ。よろよろと歩いて帰ることが、そんな私の一日の楽しみであったりする。帰路にはバスケ、それはまあ海外のストリートバスケとは違うのだがとにかくバスケットボールのゴールがある。夜間も心もとない程度ではあるが電燈で照らされているのでそれなりのことはできるため誰かしらドリブルなりシュートなりの練習をしている。真剣にボールに、ゴールに向かっている姿を見るのはなかなか面白い。「今日は君か」フェンス越しに見えたのは長身に黒髪、ダム、とボールを一回だけリバウンドさせ綺麗なフォームでゴール目がけシュートを決める。湘北高校のジャージを着て黙々と練習する彼はなかなか遭遇率が高かったりする。たまに朝も見る。彼以外では赤毛の坊主君(以前はリーゼントだった)や私服でガラの悪そうな数人のグループとか、ごくたまにかわいい女の子とかを見るが、そういえばこの黒髪の高校生を見かける確率が一番高い気がする。ばちりと視線が合えば「あ」低い声が零れた。私のものではない。彼はズンズンと私の方に向かってきて「あの」と声をかけてきた。「ども」と反射的に返してしまったが社会に出た人間として女として落第点がつく返事だったと思う。彼の声は思っていたよりも低い、初めて会話を交わした日に感じた違和感は未だ拭えないでいる。「アメリカに、行こうと思って」汗をぬぐいながら彼は私に語りかける。そんなことを言われても私はどうすればいいのか。「そうですか」とりあえず当り障りのないように返答してみたけれどもなんてつまらない返事なのだろうか。それはまるで私そのものである。「私は、」実につまらない人生を歩んできた私だ。「私は高校を卒業して自分の偏差値で入れる大学に勉強しないで入って入社試験を30社受けてようやく受かった会社で今働いてます」まるで絵にかいたような、普通でザラな人生だ。「もっと貴方みたいに熱心になれるものがあれば別だったのかもしれませんね。若さに嫉妬します。前向きに頑張ればいいのではないのでしょうか。一度きりの、貴方の人生ですから」フェンスだけの壁が心もとない。「明日、監督に相談する」「ええ、ええ」がんばって、それでは。おやすみなさい。空は雲で覆われている。星なんてロマンティックなものは見えない。じりじりと電燈だけがひかっていた。じりじりと電燈だけがひかっていた、翌日である。今日も私はごった返した駅から排泄されてからよろよろとコンクリートの上を歩き家を目指す。ダム、ダム、ボールの音が響く。フェンス越し、じりじりと光る電燈に照らされるのは、昨日の彼。「あの」「ども」昨日の応答となんら変わらない。私はこれでいいのかもしれない。そして彼もこれでいいのだ。「アメリカ延期になった」「そうですか」「諦めてねーけど」「そうですか」今夜も星は見えない。それでもきっと明日からも同じ日常が回るのだ。私も、彼も。


20120130
title/George Boy