小説 | ナノ


その日は突然やってきた。



ひとつ。とても穏やかに迎えた朝。
トーストをオーブンにつっこんだら、ドリップのコーヒーを煎れ始める。トーストの焼きあがりを軽快に知らせてくれたタイマーを止めたらドリップを外してコーヒーにミルクをひとつ注ぐ。あつあつのトーストにたっぷりとマーガリンを塗って、じんわりと溶けだしトーストにマーガリンが溶けだしたら珈琲を一口含んで、それからマーガリンが解けきったトーストを頬張る。
ふたつ。億劫に傘を持って歩いた昼下がり。
野暮用で外に出れば小雨が降っていたのでビニル傘を片手に歩いた。両手に抱えた荷物をショルダーバッグを方にかけた左腕に押し込め、荷物が濡れないように傘を左側に傾けた。右側は必然的に濡れ、白いコットン生地のブラウスはじっとりと水気を含み肌にぺったりとくっついた。
みっつ。痛い。
頭が、外も中も、目頭が、目玉が、顔が、喉が、食堂が、腕が、腹が、背中が、骨が、内臓が、筋肉が、足が、すべて痛い。焼けるように熱く痛い。痛みに耐えられず意識を手放したところでこの日を終えたことを私は記憶している。



目を覚ませば身体に痛みは微塵も残ってらず、再び穏やかな朝を迎えた。黒いレザーソファに沈んだ身体を起こし、背伸びをすれば欠伸がひとつこぼれた。シャワーを浴びてクローゼットを開けて真っ先に目に入った青いワンピースに袖を通す。ドライヤーをあてようと電源を入れたが壊れてしまったのかうんともすんとも言わなかった。しょうがないので自然乾燥するのを待とうと思い、化粧を始める。化粧が済んだら髪の毛も粗方乾いていたので、まあいいかとまだ雨のにおいがするショルダーバッグを左肩にかけ、パンプスをつっかけて扉を開けた。扉を開ければ、いつものアパートのしけたコンクリートの廊下が・・・そこにはなかった。私は混乱する。目の前に広がるのはテレビで見たことがある海外の市場のような景色と、民族衣装を身にまとった、瞳の色も髪の毛の色も骨格も日本人ではない人ばかりだった。そして彼らは私を好奇の目で見ている。私はあわてて扉を閉めた。夢?これは夢?自身の頬を思いっきりひっぱたいてみるが、覗き穴から見える景色は先ほどと一緒だった。

「なに、なんで、こんな、え、どこ、ここは」

頭を抱えてうずくまる。冷静になれ。こんなことあるわけない。私は扉を開けていつものように電車に乗ってバイトに行くんだ。大丈夫。大丈夫。さあドアを開けて出かけよう。そんな歌もあったもんだ。
扉を開けてもあのしらけたコンクリートの廊下はない。土が踏み固められた地面に、市場のように屋台が連なり、そこには色とりどりの果物や野菜が並べられていた。また見渡せば金属で出来ているアクセサリーが大量に煌めいている、おそらく宝飾屋があったり本が並べてあるから本屋だろうか、そんな店がひしめいていた。店主たちや買い物客は民族衣装のようなものを纏い、それに引き換え私はそもそも彼らとは生地も違うワンピースを着ている。アウェイだ。

「おねえさん、ヘンだよ」

子供が少し距離を取り、私を指さしながらそう言い放った。わかってる。知らないよ。ヘンだよ。なんで私はこうなってしまったんだろう。なんで。なんで。なんで。状況を掴めない頭からありったけの知恵を絞りだしても出てくるのは涙だけだった。


(愛されなかった理由を知っていますか)


20130402