小説 | ナノ


入学してすぐに見つけた彼女に話しかけることができたのは、卒業までラストスパートをかける、ようやくのところだった。
俺はずっと片田舎で暮らしていたもんだから都会の女性に弱かったのだろうか。近所のガキみたいな女とかやたらに大人びていて谷間を強調して歩く女だとか、そういう女じゃなくて背筋がすっと伸びていて、化粧は控え目なんだけどほんわりと紅いチークが愛しい、気取りすぎてない?控え目な?だけど彼女がいるだけでまるでそこに花が咲いたような、なんて言っていて恥ずかしいんだけれども、まあ、端的に言えば上品な女性がどうやら自分の好みだったらしい。家族の中では珍しく勉強ができる俺だったので、両親も周りも行け行けと勧めたこの大学に入って学んだことのひとつが、自分の好みな女のタイプだった。
普段なら吐いて捨てるほどの勇気をかき集めて彼女に声をかけたのは大学構内の学生生協だった。
俺の横に立って本を物色しているその横顔は三次元とは思えないほどに端正なつくりをしていて、たまげた。うん。程良い。程良い、この彼女と俺の身長差。染めてはいるが上品に納まっている髪色、するりと長い睫毛。ああ、なんてこった。清潔感がある癖になんだか甘い、いい匂いがする。まじまじ見るのも悪いよなあとチラッと見ては別にようのない本棚に視線を移し、興味のある本がないか探すフリをする。彼女が本棚から引き抜いたのはエッセンシャルセルバイオロジー。うっわ。俺もそれ、持ってる…いや、持ってない。俺が持ってるのは日本語訳の方ね。まじか。彼女英語もぺらぺらか。これが才色兼備という…神様は二物を与えられた…。彼女は本をパララーとめくり、ふむ、と頷いて、しかしなにかに悩んでいる様子であった。

「それ、面白かったよ」

思わず声をかければ、清潔感のある甘いにおいを翻してこちらを見た。うお。おめめでか。俺も自分の鏡で顔を見るたびにいやあいい男だなあなんて思ったりするけど、澄んでる。目が澄んでる。フィンクスとかフェイタンとかノブナガとかウヴォーとか…言いだしたらキリがないってどういうこと……とにかくあいつらに見習って欲しいこの澄んだ瞳を。

「マジすか」
「まじまじ。俺が持ってるのは訳してある方だけどね」
「あーいいなあ。私あんまり英語得意じゃなくて」
「へーえ。でも読めることは読めるんだ」
「それなりには。あーでも翻訳に費やす時間が惜しい」
「レポートか何か?じゃあ俺の貸そうか」
「え!いいんですか!?」

こちらこそいいんですか、と。
ぽろりぽろりと言葉を紡げば、彼女がくるくると表情を変えて返答してくるもんだから、楽しい。つい、こう、俺の貸そうかなんて言ってしまった。言ってしまったのに、彼女は嬉々として食いついてくるもんだから、たまらない。もしかして、彼女は俺をこうして振り回して内心ほくそ笑んでいる魔性の女なのかもしれない。都会って怖い。
それから憧れの彼女とメールアドレスを交換した。
彼女はびっくりしていたが同じサークルに在籍している。勿論彼女目当てで入った。彼女が頻繁にサークルに参加していないと知ってからはあまり行かなくなった。なんのサークルかはいまいち把握しきれていないが、バーベキューをしたりボーリングをしたりカラオケをしたりする。
そんなことはどうでもいい。
俺は帰宅するなり彼女に貸す本を眺め匂いを嗅ぎ、臭くないか埃は挟まっていないか一ページずつ丁寧にチェックした。

これが僕と彼女、名前さんとの始まりの春である。


20120717