ゆびきったす!

ゆびきったす! | ナノ
常識欠如の人気者×常識人

約束破って修羅場
ユビキタスは関係ありません


◆ ◆ ◆


 嘘ついたら針千本飲ます。

 そんな文言で有名な唄がある。
 よく、幼子が約束を取り付けるときに必ずと言っていいほど儀式的にやる例のあれだ。
 自分も昔はさも当然のように唱えていたフレーズだが、この歳になるとどうにも突っ込みたくなってしまう。

 針飲ませるとか、そんなんいくらなんでもやり過ぎだろう。

 ――って。
 本当こんな残酷な唄、いったい誰が考えたんだか。
 現代の医療が進んでるっていったって、針が千本も胃の中に入ったら流石に医者もお手上げだと思うし。それ以前に、飲む過程でなんらかのショック死を起こしそうだ。
 つまり、これは最初から「約束守らなかったら死ね」と宣告されてるも同義。少なくとも自分はそう解釈している。なんて怖い唄なんだろう。しかも、その次に続くのは「指切った」だ。本来の意味はわからないけど、もう最悪。ありえない。ついていけない。

 そんな、狂気の沙汰としか思えない恐怖の唄が、其処ら中で普通に唄われている我が国は、もしかすると狂っているのかもしれない。
 針千本、なんて。
 こんなに怖いことを語っているのに、こうも子供を中心に伝播した理由はなんなんだろう。

 さて、そこのところ自分はどうだったか。教育番組を見て覚えた気もするし、母親が言っていたのを聞いた気もした。保育園の先生という可能性だって大いにある。

 本当の初まりは、なんだったっけ…。
 よく思い出せない。

「ますみちゃん。うそついたらはりせんぼんね?」

 気がつけば、園の友達と小指を結んでいた。
 その友達はよっぽど「はりせんぼん」のフレーズを気に入ったのか、俺となにか約束をするたび―。というか、むしろ会話のたびに一々それを行っていたように思う。
 もちろん、それで針なんか飲まされた経験はない。あったら大問題だ。そんな狂行を本気で実行しようとするのなんて、過度に情操教育が行き届かなかった小さい子供くらいなものだろう。そうでないなら、是非に精神鑑定をお勧めする。

 まあ、幼いながらに根が真面目だった俺は、針云々以前にそもそも約束を違えたことなんかなかったんだけど。

 でも仮に破ったとして、そしたら喧嘩して、泣いて、謝って、仲直りして、それでおしまいだ。これが、普通の子供のスタンダードなチャートでエンディング。

 なら、普通じゃない大人はどういう終わり方をする?


◆ ◆ ◆


「真澄(ますみ)、今度の日曜は映画に行こう。真澄が見たいって言ってた映画、前売り買っておいたから」

「おお、マジでか! サンキュー、昂生(こうせい)。いくらだった?」

「お金はいらないよ。俺も少し見たかったから、真澄が付き合ってくれるなら嬉しい」

「いつも悪いなー」

 昂生は俺の幼馴染だ。
 物腰柔らかいクラスの人気者で、性格は至極穏やか。ついでに家がお金持ち。
 園児時代からの付き合いで、どんな縁があるのか今まで学校どころかクラスも離れたことがない。だから、昂生はずっと俺の親友というスタンスを保ち続けている。
 まあ、喧嘩らしい喧嘩もなかったしな。

「あっ、でもこの前テーマパークの入場料払ってもらったばっかだし…。やっぱ俺払うよ?」

「いいの、気にしないで。これ以上バイト増やされても困るから…」

 苦笑いを浮かべる昂生。
 俺がバイトするの、本気でよく思ってないらしい。
 でもこっちだって、甘えるにしても流石に限度ってものを感じ始めてるんだけど。

 ――俺たちの暗黙の了解。
 『毎週日曜は昂生と遊ぶ日』、そんなルールが定着したのはいつからだったろうか。
 昔は土曜か日曜、もしくは両方ってのが定石だったんだけど。俺がバイトを始めた所為でなかなか時間が取れなくて、とうとう拗ねた昂生が「じゃあせめて日曜だけは絶対空けて」と要求してきたからだっけか。

 昂生の“遊ぶ”は大抵の場合、出費が付き纏う。
 それは出先が遊園地だったりカラオケだったり映画だったりするから、で。とにかく昂生は外に出掛けるのが好きなのだ。アウトドア派っていうの?
 俺は別に家でまったりゲームしたり漫画読んだり、とかで満足なんだけど。てゆーか、折角バイトしてるのにその所為で万年金欠だ。ただでさえ、どかっと稼ぐチャンスの休日は片方潰されているというのに、これは苦しい。

 ―ってことで、家が金持ちで少なくとも俺よりはずっと自由に使える金にゆとりのある昂生に、ちょくちょく助けてもらっているというわけだった。
 それって対等な友達としてどうなの、と問われたら俺はなにも言えなくなるが…。
 でも頻繁ではないにせよ、昂生に誘われる先はコンサートやスキーといった割高スポットなこともあるので、昂生の援助がなければ俺は破産してしまう。バイトをしないことで日曜が解放されるのなら、いっそ俺はバイトを辞めるだろう。

 俺の日曜を拘束して、かつ昂生の望みを叶えるとするなら、昂生からの資金援助は絶対不可欠の必要行動なのだ。

 ―うん、我ながら聞き苦しい言い分だな。
 なんだか金目当てで一緒にいると思われそうで嫌だ。昂生に限って、そんなことはないだろうけど。でも、クラスの連中からは確実にそう思われてる。きっとだからだ、クラスメイトの俺に対する風当たりが冷たいのは。
 教室で話してたのが悪かったんだろう、蔑むような目でこちらを睨んでくる生徒がちらほら。背後にもじとっとした視線を感じる。いい加減に慣れたつもりだったが、やっぱり居心地は悪い。

 昂生は人気者だからしょうがないか…。
 四六時中昂生を独占して、更に金までせびるような俺は嫌われて当然だ。いや、せびるってか完全に昂生の善意なんだけどね。そこんとこ会話から察してほしいなあ。

「ん?」

 不意に小指がなにかに捕らわれた。
 暖かい肉の感触。でも特別に柔らかいと感じないのは、骨の要素が格段に高いからか。

 今日も始まった、昂生の儀式。

「はい、とりあえず日曜に映画館。これ破ったら針千本ね」

「お前、ほんっとそれ好きだよな…」

 そんなところだけは、幼少期から変わってない。
 その他は変化に変化を重ねてるけど。全く、こんなに格好良くなっちゃって。身長だって俺より高くなっちゃって。
 「ね、わかった?」と、首をこてんと傾ける昂生は、その動作こそ可愛らしいものの、一方では俺の小指をぎりぎりと締め上げてくる。そんな昂生を見て、惚けたような表情を浮かべるクラスの連中は一生気付かないんだろうな。この指相撲にも劣る地味な攻防戦。

「はいはい、了解しましたよー。てか、今まで俺が約束破ったことなんかあるか? 嘘ついたことだってないだろ? もうよそうぜ、こういう恥ずかしいことー」

 何度も止めろって言ってるのに、昂生は聞き入れてくれない。
 いつまで子供気分が抜けないんだよ。俺、そのフレーズ聞くと寒気がするのに。

「駄目だよ、これはちゃんとした契約なんだから」

「………ふーん?」

 昂生には昂生なりに譲れないものがあるのか。よくわからんけど。
 あまりに真面目な顔で言うもんだから、俺はそれ以上なにも言えなくなってしまった。

 うん。それはともかく、早く小指を離せ。


◆ ◆ ◆


 日曜当日、今日は昂生と遊ぶ日。場所は確か映画館だった。
 それはわかってる。約束もした。
 けれど――。

「マジでごめん! 店長がどうしても今日出てくれって。なんか他のバイトの子が挙って急に辞めちゃったらしくて、今日レジが誰もいないんだって。だから……」

 さっきから昂生はなにも言葉を発しない。
 やっぱり怒っている?
 音声しか交わせない電話じゃあ、表情も様子もわからなくて不安になる。そもそも、俺の声はちゃんと届いてるのか。もう、そこからしてあやふやだ。

「………真澄は約束破るんだね。わかったよ、気にしないで」

 長い沈黙の後、昂生の声が今日初めて俺の鼓膜を震わせた。
 「気にしないで」という昂生はそれだけだと別段、いつもと変わらないように聞こえる。その深い心理までは窺がいようがないが、とにかく目に見えて腹を立てているわけじゃなさそうでほっとした。

 俺が昂生との約束違えるの、なんだかんだでこれが初めてだから。
 正直どうなるか、予想もできないくらい未知の領域で、実はちょっと恐かったんだ。

「あっ、良かった。聞こえてたか…。うん、本当にごめんな」

「いいよ。その代わり、バイトが終わったら俺の家に来てくれる?」

「ああ、それくらいなら大丈夫だ。遅くなるかもしんないけど、いい?」

「うん、待ってる。バイト頑張って? それじゃ」

 ……あれ、やっぱり少し機嫌が悪いかも。
 昂生から一方的に通話を切るなんて、珍しい。いつもは長々だらだら喋り続けるくせに。

「………?」

 ま、いっか。深く考えるのはよそう。
 とりあえず今は1秒でも早く出勤してあげないと、店長が可哀相だ。あのひと人柄は凄く良いんだけど、その、失礼だが、仕事的な意味ではちょっとあれだから……な。

 はあ、今日は忙しくなる予感。


◆ ◆ ◆


 おかしい。

 おかしい。

 おかしい。

 おかしい、おかしい、おかしい、おかしい。
 どうしてこうなった。今の状況はいったいなんだ。
 ブラックジョークにしたって、流石にこれは悪趣味が過ぎる。
 やめろ、やめろ、やめろって。

 俺は昂生の部屋に来ていた。
 今日は朝も早い時間からバイトに出て、でも店長がまるで使えないもんだから、実質ひとりで店を回してるようなもんで、もう滅茶苦茶に疲れた。そんな俺に気を遣った店長が、いつもより早めに店を閉めてくれたから上がりは遅くならずに済んだけど、問題はその後だ。

 勝手知ったる幼馴染の家。
 昂生の両親は会社の運営に携わっていて、土日祝日関係なく家を空けている。ってことで、文字通り俺は勝手に入って更に勝手に昂生の部屋まで上がらせてもらった。今度こそ約束を果たすためだ。電話越しだから、それにあの儀式は付き纏わなかったけど。

 昂生は「いらっしゃい」と俺を迎え入れた。
 今朝のこともあって俺は多少気まずい空気を覚悟していたが、昂生は全く気にも留めてないのか「下から飲み物取ってくるね」と至って普通に友人をもて成す姿勢だ。
 うーん、気にし過ぎなのか?

 けれど、この件に関しては気にして過ぎることはなかっただろう。
 帰って来た昂生に、俺は戦慄した。
 
「今日は水の方が良いよね?」

 そう言った昂生は真にありえないものを抱えていた。
 ごく一般的な盆のうえには、コップがひとつと、あと大きなペットボトルがふたつ。どれだけ飲ませるつもりなのか知らないが、内容液は透明なことからもミネラルウォーターだと窺がえる。
 いや、それはこのさいどうでもいいんだ。

「な、に、それ…」

「え? やだな、真澄ってば約束忘れちゃったの? 飲んでくれるって言ったでしょ」

「―は、あっ…!?」

 言葉の意味が上手く咀嚼できない。
 というか、昂生の持ってきたものがあまりに非日常的で、全身を言いようのない恐怖が迸った。

 一生のうちにこんなものをこんなに見る機会、そうそうないんじゃないか。
 少なくとも普通の学生をやってる限りではそう思ってしまう。
 よくこれだけ集めたな、なんて軽口を叩けないくらい本気の数。几帳面な昂生のことだから、きっちり千本あるに違いない。夥しいほどの針。
 まるで茶菓子を取り分けるかのように、それは大皿に乗っていた。

「な、なんだよ。そんなに怒ってたのか? 今日は本当に悪かったって。埋め合わせは今度するから、なんなら来週は土日両方出かけたっていい!
だからさ、こういう陰湿っぽいことはやめろよ。マジで恐いから。な…?」

 なんとなく、わかっていた。
 頭のどこかで既に理解はしていたと思う。
 今がどんなに危険な状況なのか。ただ、認めたくなかっただけで。
 でも一縷の望みを賭け、俺は願った。どうか否定して欲しい。
 けれど現実は非常で残酷だ。

「えーと、電話でも言ったけど、俺は別に気にしてないよ。怒ってもいない。真澄は約束通り、針さえ飲んでくれればいいの。でも埋め合わせはしてもらう。それとは話が別だから。うん、なら次の連休は泊まりで旅行に行こうね。何処かいいところ予約しとく。任せておいて。はい、とりあえずこれどうぞ。全部終わるまで見ててあげるから」

 ゴトッと重みを感じる音を立て、さっそく視界に入れることさえ恐ろしくなったそれがテーブルに置かれる。蛍光灯の光りを直に反射する様は、よりいっそう鋭利な印象を強めた。

 こんなの、飲んだら死んでしまう。そしたら旅行どころではない。それがわからない昂生ではないだろう。なにを考えているんだ。

 怒ってない、と宣言した昂生は確かに落ち着いていた。
 物腰が柔らかくて穏やか、いつもの昂生だった。言ってる内容とやってる行動は穏やかさとは掛け離れたものだが、それ以外は至って普通。そう思う。
 けれど、俺はそんな昂生の様子が怖くて仕方ない。
 これが激昂しての沙汰だったなら、まだいい。でも素面の状態でこんなことをやってのけるなんて、どう考えても異常だ。狂っているとしか思えない。
 昂生は、どこか線が切れてしまったのだろうか。
 いつもの昂生なのに、いつもの昂生じゃないような、そんな錯覚を覚える。いや、錯覚ではなく事実なのかも。できれば、そうであってほしい。

「ごめっ、できない…。ごめん、ごめんなさい。約束したのにっ、守らなくて、ごめ、ん。……でも、針なんか飲めないんだ。死んじゃう、から…っ。ごめん。許し、て…」

 極度の緊張?
 極度の恐怖?
 極度のストレス?
 どれが原因かは自分でもわからない。
 とにかく、俺は目元を熱くして必死に謝った。年甲斐もなく、まるで子供に帰ったように。
 昂生のことは幼い時分からずっと見てきたつもりだった。
 でもわからなかったんだ。本気であの儀式を交わしていたなんて。本気で唄の顛末を実行しようとするなんて。昂生の、それに対する執着は理解していたはずなのに。

「大丈夫、真澄は死なないよ。危なそうならちゃんと救急車呼ぶようにするし、ずっと真澄のこと見ててあげるから。ね? …ああ、もしかして怖いの?
だったら俺が手伝ってあげる。ほら、あーんして?」

「こっ、昂生!? そんな持ち方したら手が―」

 いっそ過激なまでに不穏なことを言い、更には行動に移そうとする昂生はもう恐怖の対象でしかなくて。けれど無数に積まれ、無造作に重ねられた針をなんの戸惑いもなく乱暴に拳全体で掴む昂生を放っては逃げられない。
 止めなければ。幼馴染として親友として。

「昂生、やめろっ! 手え怪我しちゃうから…」

 必死で昂生の腕を押さえる。

「ごめん、ほんと頼むから許してっ。なんでもする、勘弁して。…バイト辞める、お前の行きたいところ、いつでもどこでも付き合う。だから、お願いだから…っ」

 ―針を放せ。

「それ、ほんとう?」

 俺の懇願が伝わったのか、昂生の腕から力が抜ける。
 目元のラインを少し緩ませ、喜色を隠さない昂生の様子を見て俺は胸を撫で下ろす。
 良かった、と思ったのもしかし束の間だった。

「針千本の約束、する?」

 ドクッ、と心臓の脈打つ音が、耳まで聞こえた気がした。
 まただ。またこのフレーズ、昂生の口癖―。
 
 ……安易に頷けるはずなんかない。
 でも、ここで約束を取り付けないことには、今、針を飲まされてしまう。それだけは、なんとしてでも避けたい憂き目だった。

 ――背に腹はかえられない。

 了承の印として、俺は初めて自分から昂生へ小指を絡めにいった。
 言葉に出す勇気までは奮っても湧いてこなかったからだ。細くて鋭利な凶器で傷ついてない方の手の、指を甘く締め付ける。―今はこれが出せる精一杯の力。
 その、ことの希少さ、珍しさに昂生は暫しの間目を見張ったが、すぐ嬉しそうに破顔した。お前、それ今年1番の笑顔じゃないかってくらい眩しい笑顔。

「じゃあ許してあげる」

「…え、ほんと? 許してくれんの?」

「うん」

 確認の問いの回答もイエス。
 いつの間にやら背中に回された大きな手の温もりを感じ、これは本当に信じていいんだなと安心する。――のは、どうやら少し気が早かったようだ。
 続けられた昂生の言葉に、俺は絶句した。

「1本で」

 悪夢はまだ終わらないらしい。


◆ ◆ ◆


 ひとの心理とは、不思議だ。

 絶対無理だってことでも、より無理なことを提示された後だと、そんなに無理なこともないかも、とか思ってしまう。

 例えば、ピーマンの肉詰め。
 それこそ1ミリだって体内に入れたくはない、俺のこの世で最も嫌う食べ物だ。いや、食物であることすら認めたくないくらいに、身体も脳味噌も盛大に拒絶していた。
 ある日、それをひとつ丸々食せと母に言われたとしよう。
 当然、俺はそんなの出来ないって反論する。だって食べたくない。
 でもその後に、「じゃあ一欠けらでもいいから食べなさい」と諭されたら、どうだろうか。不思議と、なんだか食べれるような、食べてもいいような気になってこないか。
 当初の無理難題が、その何百、何千分の一の苦労、我慢、労力で済むというのだから、どこか得をした気分になるのだ。よく考えれば、そこに利益なんか存在しないというのに。

 けど、そのときの俺はこれと似たような心理に陥った。

 針千本が針一本になったことで、俺にもできるかもって思った。
 針の丸飲みなんて、一本でも恐ろしくてとても危険なことなのに。
 でもそうしないと昂生は納得しないし、それに、あれだけ死なせないと豪語してるんだから、きっと大丈夫だろう。少しだけ、信じてみてもいい気分になった。
 こうなってくると、俺の頭も螺子が外れ気味なのかも。

 まあ、そんなこんなで飲み込んでしまったわけだ。

 そこに至るまでの道程は険しかったが、紆余曲折を経て針を体内に収めた後だって負けないくらいに苦しかった。
 できる“気”がしたとはいえ、実際に針を口に入れるまでには日がどっぷり暮れるまでの時間を要したし。間、昂生がずっと応援、というか…。俺を励ましている光景は、なかなかにシュールな画だったと思う。

 そして、ふたり仲良く病院へ。
 高校生にもなって「針を誤飲してしまった」等という言い分が、果たして医師に通用してくれたのかわからないが、適切な治療を施された俺は一命を取りとめた―ってほどの大げさなこともなかったんだけど。恰幅の良い先生からは「危険だから気をつけなさい」と苦言を頂戴した。
 早い話が軽症だったのだ。
 魚の小骨が喉につっかえる要領で、上手い具合に胃袋へのダイブを免れた針は、ちょっとした器具を喉奥に突っ込むだけで簡単に取れてしまった。喉の粘膜もそれほど深く傷ついていなかったので、生命の危機とは全く無縁の世界だ。

 ついでに、といってはやや妙だが、昂生も治療を受けた。
 こっちは看護婦さんに消毒液を塗ってもらうだけの、俺でも出来そうな手当てだけど、大げさに包帯を巻かれてる様を見る限りでは、俺よりずっと重症だと周りは認識するだろう。 
 …それって、なんかおもしろくない。俺は九死に一生を得た心境に近いっていうのに。
 ――いや、軽症で助かったんだが。

「ねえ、熱海と箱根だったらどっちが良い?」

 帰り道、思い出したように昂生が口を開いた。
 熱海と箱根、来週の旅行の件だろうか。正直どっちでもいい。どちらも自分では交通費すら払えそうにないし、だから払うのは必然的に昂生だ。ならば財布の持ち主に決定権を委ねるのが、道理であり筋だった。

「お前の好きな方で」
 
 簡潔に意思を伝えると、昂生は「じゃあ来週が熱海で再来週が箱根ね」等とさらっと言いのけた。セレブの財力って恐い。本人の思考回路の方が、今の俺には恐ろしいけど。

 ああ、そうだ。早く昂生の間違ったところを正してやらなきゃ。
 幼馴染としての使命、というかリアルに俺の命がかかっている。
 常識だと思い込んでるものを、実はそれ非常識なんだとうまく諭すのは難しい。きっと昂生の場合は輪をかけてだ。今回のことで、なんだか色々ぶっとんでることがわかったし。

 うーん、どう言えばわかってもらえるだろう?
 いくら約束でも針をひとに飲ませたりはしないんだよ、なんてあまりに普通過ぎて、言ってる此方が悲しくなる。こんな常識、なんで園生の時期に学んでくれなかったんだ。

「楽しみだね。次のデート」

「あー、そうだなー」

 ぐるぐると思考を廻らせている俺に、昂生の発言の違和感はまるで届かなかった。





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