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何でもない休日、通いの美容室でのカットの合間の暇つぶしに開いた女性誌の記事の少々過激とも思える内容に私は驚いた。
(え、え、え、どういうこと?)
真剣に文字を拾おうと、思わずぐっと紙面に顔を近づけてしまう。
記事によれば、男性の食事の仕方がその人の夜の営みでの仕草にも現れるというのだ。
沢山食べる人は回数も多いだの、マナーや手順を良く食べる人は前戯も丁寧だのと色々なタイプについて語られている。
今月の特集、というその記事の明け透けな表現は女性誌ならではなのだろうか・・・。
(偏食の人ってどうなのかしら・・・あら、ここには書いてないわね・・)
私にもサニーという恋人がいる。大人同士だし、一線だってとっくに超えた仲だ。
私たちはいたってノーマルな交わりしかしてないように思う・・・多分。多分だ。
(でも、そういうのはいままで気にしたことなかったわね・・・)
シャンプーの順番が来て呼ばれたので、私はそのまま雑誌を閉じて鏡台のカウンターテーブルに戻した。
読んだ内容も家に帰る頃にはすっかりと頭から消えてしまった。
忘れた、はずだった。
*
今夜は久しぶりにふたりで外に食事に来ている。
サニーが予約してくれた夜景が飛びきり綺麗なホテルのいかにもハイソなレストランだ。
大きな窓から見下ろす街並みの灯りが宝石を敷き詰めたようにきらきらと光り輝いている。
客席同士は薄いパーテンションで区切られて半個室のようになっていて、まるで夜景を独り占めしているような気分になる。
実はここひと月の間、大学の夏季休暇前の試験やら課題やら提出物の嵐で私は目を回すような忙しい日々を過ごしていたのだが、
それが今日、やっとのことで終わりを迎えた。
そして労いの意味も込めて、サニーが食事に連れ出してくれたというわけだ。
滑らかな象牙のようなクロスが敷かれた丸いテーブルに向い合せに座ると、食前酒が運ばれてきてチン、と小さくグラスを合わせて乾杯する。
「仕事お疲れ」
「ふふ、ありがとう」
細見のグラスの中でたゆたうシャンパンをゆらゆらとくゆらせて弄んでから口に含めば飲み下せば、しゅわしゅわした炭酸が弾けてさわやかに喉を伝って降りていた。
仕事明けのアルコールの一杯はまた格別なのだ。
食前酒が終るタイミングで前菜が並べられていく。
美味しい食事とお酒に自然と会話も弾んだ。
マナー違反にならない程度にお喋りを楽しみつつ、本日メインの魚料理を食べ進めている時、私はふと気付いた。
サニーの右の唇の端にソースがちょこん、と付いていたのだ。
「サニー、ソースがついちゃってるよ?」
ここよ、と自分の顔の唇の端をとん、と指をさして教える。
「ん、」
自分の舌で届く範囲だったからなのか、サニーは舌の先でぺろりとソースを舐めとった。
その光景にぎくんっと肩が跳ねてしまう。
私の目にはなんだか扇情的に写ってしまったのだ。
(う゛〜!なんて目の毒なの・・・!)
そしてここで連想ゲームみたいに、先月美容室で読んだ女性誌の記事の内容を思い出してしまった自分が恨めしい。
(ご飯の食べ方で・・・夜の・・夜の・・・)
頭に思い浮かべた途端、ボッと点火したてのコンロみたいな勢いで火が出そうなぐらいに顔が熱くなってしまう。
ここ一か月は電話やメールのやり取りばかりでまともに逢瀬も重ねられなかったので、もちろんソッチ関係も自然とご無沙汰になっていたわけで。
(な、なんでそれを今ここで思い出しちゃうのかな、私〜!?)
「蘭子?急に体温上がってっけど、熱でもあんのか?」
「っ!?も、もうこんなところで触覚出さないでってば」
「いいじゃん。どうせ見えねぇんだし?」
「もう!私は平気だから!アルコールがまわちゃっただけだから!」
「・・ふーん?」
疑っているような、からかっているようなサニーの視線をスルーしつつ私は話しを反らしてのぼせる自分を誤魔化して、なんとかデザートまでたどり着くことが出来た。
デザートは旬のピュアホワイトピーチのコンポートを使ったタルトで、添えられていたバニラアイスがひんやりと身体の熱を冷ましてくれるような気がした。
咀嚼して飲み下すと、バニラと桃の芳醇な香りに包まれて思わずため息が漏れた。
デザートまで堪能し、優雅に食後の温かい紅茶を頂いていると・・・爆弾は落とされる。
「・・・なあ、蘭子」
「なあに?」
いっそ残酷なまでに美しく、華麗に。
「・・・今夜は上に部屋取ってあるっていったら、どうする?」
完全に不意打ちのお誘いに驚いて、ティーカップの中身を見つめるのをやめて、彼の顔を見やれば、そこには頬杖をついて好戦的に微笑むサニーがいた。
その湖面を写し取ったようなターコイズブルーの瞳の奥にある肉食獣めいたギラついた眼差しを隠しもせずに、真っ直ぐそれで私を射抜くのだ。
ドクドクドクとせっかちに脈打つ心臓の音が煩い。
自分でも身体の熱が上昇してしまうのがいやでもわかる。
ああ、もう、全身が心臓になってしまったみたいだ。
私がドキドキで言葉にならない、音を出して口をはくはくさせていると、
「くくっ、身体の方はとっくに準備万端て感じだし?」
喉の奥で笑ったまたすごいことをサニーがのたまった。
よくよく見れば弓なりに曲がった彼の目尻もほんのりと赤みを帯びていた。
わたしたちの気持ちは同じ、みたいだ。
もう数分後には私は見事彼の舌の上にのってしまうのだろう。
蝶の標本のように、彼の多色の髪と逞しい腕に簡単に絡め取られて寝台に縫い付けられてしまう自分を想像してしまう。
お腹の奥がずくずくとざわめいて、膨らんだ期待がじわじわと私を蝕む。
未だに一言も告げられないでいると、カッカと熱くなる頬にするりと髪のひと房で撫でられた。
「・・ん、蘭子、もうすごい甘い」
「っ、味見しな、いでよぉ」
「なぁ、返事は?」
あまいあまい蜂蜜を煮溶かしたみたいな声でサニーが答えを強請ってくる。
そんなのとっくにわかってるくせに、サニーはあくまでも私の口から言わせたいらしい。
ごくりといつの間にか溜まっていた唾液を飲み込んで唇を開く。
虚勢と期待が入り混じった声音が出てきてしまう。
「・・・お、お供しますわ」
「決まりだな、」
そういうとサニーはすくっと立ち上がり、私の側までやってくると恭しく手を差し出した。
誰もが振り返って見惚れてしまうような、紳士的な笑顔で彼は言う。
「さぁ、お手をどうぞ?My precious」
ねぇ、私のハンサムさん。
美味しく味わって食べてちょうだいね。
私は差し出された手に手を重ねてぎゅっと握った。
ふたりのディナータイム