いまここで抱きしめたい
甲斐の国は本日もいい日和だ。
最近は戦もなく穏やかな日々を送っている。
今日は執務もないので、久々に遠乗りに行こうという椿の誘いで愛馬に跨り少し離れた林まできている。時折鳥の鳴き声が聞こえ、空気のいいところだ・・・。
しばらく進むと小さな沢をみつけた。
「椿、沢だ。休息にしよう」
「そ、そうだな・・・」
「?」
馬に沢の水を呑ませてやる。
先ほども思ったがの様子がどこか変だ・・・。いつものハキハキとした印象がまるでない。
「・・椿?」
「・・・へ?何か言ったか?」
「先ほどからどこか上の空だが・・・どうかしたのか?」
「や、そんな、ことは・・ない・・」
「そうは見えぬが・・・」
じぃ、と椿を観察してみる。俺から目をそらしている、その顔はどこか赤らんでいる。唇を引き結んで、耳まで赤み帯びている。そっと椿の手をとれば、びくんっと肩を震わせた。
この様子は一体・・・・。
「・・・」
掴んだ手をそのまま引き寄せ、椿を自分の腕に閉じ込めた。
「ゆ、ゆきむら!?」
驚いたのであろう、椿が少しもがいた。
「・・・そなた・・・照れているのか?」
まるで図星とでもいうように一瞬肩が震えた。
「え、あ、え、なに、を・・・!」
「正直に言うてみろ、何を照れているのだ?」
「ッウ・・・」
「俺にいえないことなのか?」
椿の顔を覗き込んで目を合わせた。
「ほら・・・ここには俺しかいないじゃないか」
「・・うぅ・・・お前がいるからダメだ・・」
椿は甘えるように俺の胸に顔をぐりぐりとうずめて黙り込んでしまった。
俺がいるから言えぬこととは・・・一体なんだというんだろう。
ここでふ、と気付く。
「俺に関係すること、なのか?」
椿がまたびくりと肩を震わす。ほう・・・どうやら俺は順調に正解に近づいているようだ。これは何が何でもの口を開かせたいと己の加虐心が囁く。
「・・・椿教えてくれ・・」
椿の耳元に優しく囁きかける。フルフルと頭を横に動かすだけで返事はしない。
「そなたが答えてくれぬというなら、俺は・・ここでこのまま・・・」
「・・っ!?」
そういいながら腕の力を強めると、はがばっと顔をあげてくれた。先ほどより一層赤らんだ顏がいとおしい。
「どういたす・・?」
「っ、ひ、きょうものぉ・・・」
「嫌というのなら、理由を言ってしまえばいいのだ」
さぁ・・椿と、とびきり甘さを孕んだ声音で先を促せば、椿はその大きな瞳を潤ませながら口を開いた。
「う、馬を、操る・・・お前が・・・男らしくて・・・見惚れ・・いたんだ・・・っ」
「・・・・・ッ」
椿の言葉に俺の体温が上がるのがわかった。
心の臓がドクドクと脈打った。
気付けば俺は椿に口付けていた。
「ゆ、ゆきむッ!?」
「・・・ん・・・・・・」
「い、いきなり・・・!」
「確かこの奥に武田の休息小屋があったな?」
「・?あ、あぁ・・そうだが・・?」
「よし、椿いくぞ」
「へ!?」
言うが早いか、俺は椿を抱きかかえ、馬にのせ、自分も跨り、林の奥へ進んだ。
まったく困った奥方だ。見惚れたなどと言われて嬉しくない男がいないはずがないだろう。
「椿、覚悟しろ」
「・・・!?は、え、何をいって・・・!?!?!?」
小屋に着いてしまえば、そうやることは一つだ。
「ゆ、ゆきむら、ま、ままさか・・・」
目に見えて焦り始める椿のこめかみに唇を寄せる。
「そのまさかだ」
「ううう、ばかぁああ!!!」
椿の声が林にこだました。
(あーあー今日は遅いお帰りになるのね・・・まったく・・・あつあつで俺様火傷しちゃう)