「流子ちゃん。わたし、どうしたら流子ちゃんみたいに腕っぷし強くなれるのかなあ」
「なにがあったんだよ」

なにがと問われれば一言ではとてもとても言いきれないくらい色々あったんだよ。じゃあ時間をかけて説明してくれと言われても絶対に言いたくないこともあったんだよ。この短い生涯のうちに、こんなにも誰にも知られたくないことができてしまうなんて思いもよらなかった。
……だめだ! 朝のことを忘れよう忘れようとして頑張ってるのに、どうやっても猿投山先輩の顔がちらつく!! って当たり前だよあんな事言われたらさ! なんだよもっ……もらすとこが見たかったって!? けっこうアブノーマルなご趣味であらせられたんですね! あー……あー! もう!!

「ごめん流子ちゃん、ちょっと行ってくる!」
「え? どこに!」

けりをつけよう。先輩はちょっとやばい趣味をしてて、それを発散するのに理由はわからないけどわたしが付き合わされてたってだけだ。たぶん。もうやってられない。わたしだって、わたしだって、恋人でもない男の人に恥ずかしいことさせられる謂れはないはず……!!
あたしも行く、と言い出しそうな流子ちゃんが口を開く前に、昼休みに入って今まさに食べようと思っていたお弁当と、昨日制服と一緒に渡された下着と昨日借りたままの猿投山先輩の体操着が入った紙袋を持って教室を出ていく。ドアを閉める前に、流子ちゃんに背中を向けたまま腕を真っ直ぐ横に伸ばして親指を立ててみた。「お、おう」行ってくるよ流子ちゃん! 見てて! わたしの漢気!! この下着を突っ返して今までのこともぶっちゃけありえなーいってちゃんと言って、もう関わらないでもらおう! 皐月さまだってわたしの味方(?)なんだ! あっお弁当は置いとくとマコちゃんに食べられちゃうので持っていきます!

本来なら生徒会室に通じるエレベーターには特別な理由がなければ──まして無星生徒なんて──入れはしないのだけれど、きっと事情を説明すれば大丈夫……かな? 勢いで鍵持って出て来ちゃったから、スペアがなければ猿投山先輩は朝のままなはず。動けない猿投山先輩とならなんとかまともに話ができそうだ。
あのまま何時間も放置してしまったんだと思うとちょっと胸が痛むけど、わたしには関係ないんだ。思い出せ苗字名前! 何をされたと思ってるの!? 普通に性犯罪だよ!
塔の上へと続くエレベーターが一階にやって来た。生徒会の人とばったり会っちゃってもうまく説明できますように……。落ち着くためにひとつ深呼吸して、エレベーターに一歩踏み出し──

「纏流子の腰巾着、苗字名前さんね」

背中を思い切り押されて──いや、これ蹴られた? 広いエレベーターの中によろけながら滑り込む。
あとから入ってきた、わたしを蹴飛ばした張本人がパネルを操作した。
エレベーターが動き出す。

「華道部部長、華剣さくやです」
「……は、はあ」

髪の毛の束を色々な部分でくるくるさせた、花束みたいな頭の女の人が柔和な笑みで話しかけてくる。何事も無かったみたいな顔してるけどわたし蹴られたんですけど……!?
でも、この状況で分からないほど馬鹿じゃない。纏流子の腰巾着。二ツ星極制服を着た女生徒。二人きりの空間を無理くり作ったようなエレベーターの中。この人が次に言う言葉は。

「私に付いてきていただけるかしら。抵抗しなければ痛いことはしないわ」
「…………」

皐月さまが流子ちゃんをやっつけろと全ての部活をけしかけてから、こういうことは何度か経験している。
問答無用で手をあげられて連れていかれたこともあったし、ついてこいとにやにやしながら話しかけられたこともあった。マコちゃんなんて自分の所属していたテニス部に磔にされてボールをぶつけられまくっていた。わたしの入っている裁縫部はそんなことしなくても学園の中枢にいるし、だいたい部長はそんなことしてる暇もないくらい忙しそうだけど。
そして幸いなことに、今まで二、三発なぐられたあたりで流子ちゃんに助けてもらえたし、なるべく流子ちゃんかマコちゃんと一緒に行動するようにして自衛もした(猿投山先輩対策も兼ねて)。でも最近は流子ちゃんがいろんな部活の部長を倒して回っていたから、襲ってくる部活も少なくなって油断してしまっていた。
と、わたしが黙っていたからか、華道部部長さんが着物みたいな極制服の袖から、ぎらりと鈍く光る剣山を取り出した。

「お返事は?」

へ、返事聞く気ないぞこのひとー!!
そんなもの人に向けちゃいけないんですよ。目に見える敵意をぶつけられて足が勝手に後ろへ下がる。
すると、彼女はぐいと剣山を前に突き出して──

「うわっ!?」

太い無数の針が恐ろしい勢いで発射されて顔の真横に突き刺さった。
針のなくなった台だけの剣山をがろんっと床に放ったあと、また同じところから新しい剣山を取り出したその人が笑う。笑顔が深すぎて、怖い。
耳元に手を当てて、口元に伸びる小型マイクに向けて話し始めた。

「確保完了ですわ。……ええ。生徒会室に通じるエレベーターです。はい。華道部総動員でおもてなしして差し上げましょう」
「え……!」

まだ何も言ってないよ!?
……言ってないけど、わたしに拒否権はない。それがわかっているんだろう。声を上げたわたしを笑顔で牽制してくる。どうしよう。言うことを聞いてひとまず一階に戻ってから流子ちゃんのところまでダッシュで行こうと思っていたのに、今の会話からして一階には華道部員が集まっているみたいだ。部長一人くらいならなんとか逃げられそうだと思っていたけど絶対に捕まってしまう。
流子ちゃんの足手まといにはなりたくない……。

エレベーターが上階に着いて、扉が……開いた!!

「うっ……なにっ!?」

わたしを見つめていた目が、後ろ手にパネルを触ろうとして逸らされた、その時を見計らってわたしは足を踏ん張って両腕にありったけの体重をかけ彼女を突き飛ばした。
声を上げながら後ろ向きに倒れていき、ごんっと頭を床にぶつけたあと手を当てて呻いている。自分でやったことなのに大丈夫ですかと声をかけそうになって、ぎろりと睨まれたその眼光の恐ろしさに弾かれたように走り出した。

「待てェッ!!」

待てと言われて待つ奴がいるか!
着物のような極制服では立ち上がるのにも苦労するだろう。分かれ道を左に曲がって、そして、そこから、どうする?
流子ちゃん……には頼れない。マコちゃんも。連絡をとろうにもそこまで逃げ回る自信が無い。
蟇郡先輩。ここが生徒会室の近くだと気付いて、もし居たら助けてもらえないかと一瞬思ったけれど、だめだ。先輩は皐月さまの味方。つまりこの本能字学園に無数にある部活の味方だ。今までわたしが助けてもらえていたのは風紀を猿投山先輩に乱されていたからで、流子ちゃんの側ってわけじゃない。じゃあ、どうすれば……!!

「……!」

足の向く先には今朝猿投山先輩を放って出た部屋の扉。後ろからは裸足が床を打つ激しい音。迷ってる暇ない!

「猿投山先輩!!」

もしどうにかして猿投山先輩がこの部屋から出ていたら行き止まり、その時点で終わりだったけれど先輩は朝見たままの姿でそこにいた。真っ暗な部屋にわたしが開けた扉からの光が一筋差し込む。

「苗字?」

うなだれていた先輩にもしかして意識がないんじゃ……と心配したけれど、扉が開いてわたしが声を出す前にぴくりと反応して顔を上げていた。わたしの言葉に被さるように名前を呼ばれる。

「あ……あの! わ、わた……痛っ! う、あの、わたし、変なひとが」
「何?」

猿投山先輩に駆け寄ろうとして一度つまづき、お弁当と、体操着と下着入りの紙袋を落としてしまった。立ち上がってポケットから鍵を取り出すけれど真っ暗でどこが鍵穴なのか分からない。
猿投山先輩の体を触って、腕を伝って、枷には触れるのに肝心の鍵がささらない。あの時のスポットライト! なんで今は点かないの!

「うぅ、助けてください……! どうしよう、先輩、これ!」
「落ち着け。鍵を枷に当てたまま少し右上に動かせ」

冷静な声にはっとする。無意識で猿投山先輩の指を掴んでしまっていた。すーっと息を吸って言うとおりにしてみると、…………入った!
そのまま回して、猿投山先輩の右腕が枷から離れる。左腕も外そうというところで扉が勢い良く開いてしまった。鬼のような形相の華道部部長が、息も荒くそこにいた。

「苗字名前!! 髪のセットが! 崩れてしまいましたわ! どうしてくれるの!?」
「ひぃ、ううわわ」
「もう一度言う。落ち着け。今度は少し左だ」

また猿投山先輩の言うとおりにすると、不思議なくらい簡単に枷が外れる。でもまだ両腕だ。脚が外れないと猿投山先輩は動けない。

「許せない蛮行! 度し難い愚行! 苗字名前! 貴女の両手足、串刺しにしてつるし上げて差し上げますわ!!」
「やめて!」

両手で剣山を構えたのが見えて、とっさに猿投山先輩の体にしがみつく。これじゃだめだ、先輩の頭に刺さってしまう。なんとかしないと……!
女性の甲高い笑い声とともに、勢い良く硬いものがぶつかる音がした。折れる音、砕ける音。痛みはなかった。代わりに背中が熱かった。これはもしかして、血がものすごいことになってて、痛みがあとからくるパターンでは──

「──貴様、そこに直れ」

目を開ける。
わたしに剣山の針は刺さっていなかった。慌てて猿投山先輩の体を見ようとして気付く。この背中の熱いのは、猿投山先輩のてのひらだ。

「この針は、剣山……それに花の匂い、華道部か。この女に何の用がある」
「……は?」

いつだったか、猿投山先輩のお家で聞いた、間の抜けた声を思い出す。今先輩が出している声はそれとは全く違う、これから戦う人に向ける声音をしていた。
スポットライトがひとすじ、猿投山先輩とわたしを真上から照らす。

「本能字学園運動部統括委員長、猿投山渦の女に何の用だと聞いている!!」
「さっ……猿投山……!?」
「俺の前で言えない事ならば言う必要は無い。去れ! だが武器を持つなら相手をしよう! 名乗れ!!」

たぶん暗くて猿投山先輩だということに気付いていなかったんだろう、華道部部長さんはひいっと声を上げて跳ぶように逃げていった。
ライトで照らされた猿投山先輩の手には、さっき落として散らばったお弁当の箸箱。そして周りに散乱している鋭い針。まさか、プラスチック製の箸箱一つで剣山の針全てを叩き落として……。

「こ、弘法、筆を……選ばなすぎです……」
「はあ?」

この、なんだそれはと言いたげな声。怖い人がいなくなってほっとしてしまって、そこで初めて猿投山先輩に全力で寄りかかっていたことを知った。

「は! せ、先輩、あの、ありがとうございました! ここに来る時にエレベーターに入れられて、どうしようかと思って」
「ああ」

かしゃん。
猿投山先輩が箸箱の残骸を落とす音がした。なんだなんだと見るより先に両脇に手を差し込まれ、まるで小さい子にするように持ち上げられてしまう。

「もう行ってくれるなよ苗字。足も外せ」
「……はぁい……」

……分かってるよ。分かってるってば! わたしが悪いんです! 一度見捨てて置いていった人のところに助けを求めて行くなんて虫が良すぎると思いますよ自分でも!

「……猿投山先輩のことが気になって来たのはほんとなんです。だから放してください……逃げませんから……」

足の枷を外している間も制服の襟を掴んで放してくれない。く、苦しい……。あと何を言っても黙ってじーっとこっちに顔を向けてくるので居心地が悪い……。

「全部外れました」

今まで同じ体制で捕まっていたままの猿投山先輩は、首を回したり肩を回したり足首を回したりしてからふーっと息をついた。そりゃーそうだよね。朝からお昼までずうっと同じポーズじゃ、動かなくても疲れちゃうよな。

「……あの、ありがとうございました。先輩がいてくださって良かったです。もう他のところに行ったかなって、ちょっと思ってたんで……」

真っ先にここに来たのは一番いないで欲しい場所を確かめようと思ったのもある。猿投山先輩も人の子だから体を自由に動かしたいしお腹も空いただろうって。ここにいたらわたしの良心が痛みそうだから最初に来た。まさかそれがあーなってこーなって、最終的にわたしと猿投山先輩が対面するとは思わなかったけど……。

「苗字が来ないのなら待つつもりだった」
「へっ」
「言っただろう。けじめだ」

…………感心した、というと上から目線になっちゃうかもだけど、やっぱり猿投山先輩は自力で脱出できたのに皐月さまの罰を受けてわたしが来るのを待ってたんだと気付いて、心が動かされなかったと言えば嘘になる。

「もう二度とあんな真似はしない。すまなかった」

もしかしてわたし、今夢を見てる?
数秒固まってからちょっと眉をひそめたわたしには猿投山先輩が、なんというか、少しそわそわしているように見えた。

「あっ……あっ……イエっ……大丈夫でっ……す」

頭の隅で何かが警告している。これはいつも怖そうな不良が雨の日に捨て猫を助けている場面を見て他の真面目そうな人がやった時よりも心象がよくなっちゃうアレだよと。大丈夫じゃないのに大丈夫と言っちゃダメだろと。そもそも真面目に生きてきた(と自分では思ってる)わたしは猫を助けてもたいして心象は良くならない側で、不良のことはちょっとずるいと思ってるから好きじゃないはずで、いやそんなことはどうでもよくて!

「……まだ気にしているな」
「やっ! はっ、いえっ……」

とっさに「いいえ」のポーズをとったけれど、気にしてないなんて嘘でも言えない。今はただただこの状況に驚いているだけで。

「分かっている。当然だ。排泄行為を見られれば普通はそうだろう」
「は、はいせつ」
「だから俺も同じものを見せよう」
「は?」

言って、なんのためらいもなく、それが当然だと言わんばかりにズボンのベルトに手をかけた猿投山先輩にまたしても時が止まりかける。
……いやこれ止まってる場合じゃないよ!! 多分アレっ……なんっ……大体予想はつくけど!!

「待ってください! 待って!! やめて!!」
「な……なんだ大声出しやがって」
「いいです! そういうのいらないです! 気持ちだけで充分ですから」
「それじゃ俺はお前に悪いことをしたままだろ! どうしろってんだ!!」
「ええ〜っなんでわたしが怒られてるの!! 分かりませんよそんなの! でもとにかく先輩の、お……おしっこするところは見せてくれなくていいですから!! わたしはそういう趣味ないです!」

先輩がむっと口をつぐんでベルトをつけ直す。やる気だったのかよ! 八割方そうかなとは思ってたけどそうと知ったらやっぱりショックだよ!!

「わたしはって、俺が変態みたいに言うなよ」
「……じゃあお聞きしたいんですけど。あの日わたしが脱いでいった服とかはどうしたんですか?」
「……………………すてた」

嘘だ!! わたしでもはっきり分かるくらいに嘘だ!!
密室に二人でいるのが怖くなってきた。まさか手当たり次第に女の子に手を出したりはしないだろうけど、軽そうだもんな猿投山先輩……。ていうか例えばここで襲われても一発ぶん殴られればもうどうしようもないし……いや先輩にも選ぶ権利はあるか。

「……じゃ、わたしはおいとましますね」
「あ、おい! じゃあ俺は何すりゃいいんだ!」

転がったお弁当や袋から飛び出てくしゃくしゃになった体操着を拾って、そんなの知らないですと返しそうになるのをこらえる。

「……じゃあ、草むしりを」
「は?」
「皐月さまに言われた、草むしりを。ちゃんとやってください」

とっさに思い出したのがそれだった。だって別にやって欲しいことなんてない。強いて言うならもう近付かないで欲しいけれど、悲しいかなわたしは平民で相手は貴族。会いたくなければ輝きの強い先輩をわたしが避けなければいけないだろう。

「……当然だ」

まだ何か言ってくるかと思いきや、意外とあっさり引き下がってくれたみたいだ。ちょっぴり不満そうだけど、むしろそれ以上のことをされちゃうと繋がりが切れなくてこっちが困る。
おかずの入った弁当箱と、アルミホイルに包んだおにぎり二つを拾い上げたその時、猿投山先輩のほうからぐうと小さく音が聞こえた気がした。

「……」
「……」
「……お腹すいたんですか?」

言っていいものか少し迷ったけれどこの空気が耐えられなくて口を開いた。
うまそうな匂いがする、と猿投山先輩が言ってきて驚いた。匂い……? わかるの? 弁当箱を鼻に近づけてくんくんしないとわからないくらいだと思うんだけど。

「……食べますか?」

自由になったし昼飯でも食うか、とか、何を食うか考えてないな、とか、これからのことを検討する言葉を続けてくれれば良かったのに何も言わないもんだから、もしかして食べるものがないのかと思っておにぎりをひとつ差し出してしまった。三つ星の猿投山渦先輩が食べるものに困るなんてことあるはずがないのに。
流石に失礼かと思って手を引っ込めると、今度は先輩が手を出してくる。

「くれるならもらうが」
「……」

そのさまがなんだか犬みたいでちょっとかわいくて(これは失礼すぎるから胸に秘めておこう……)、素直に手の中のものを渡してしまった。
お礼も早々にアルミホイルをはいでおにぎりを食べ始めた先輩のむずむずした、なんとなくうれしそう(……に見えた)な表情に、口に合ったみたいだとほっとする。
男の人に自分のご飯を分けるなんてちょっと恥ずかしくなって視線をそらすと、拾い忘れてた、例の猿投山先輩から制服と一緒に渡された下着(上下セット)が…………。

「…………」

迅速にブツを回収して体操着の入った紙袋の底に入るように突っ込み、先輩の胸あたりに突き出した。
相手が何か言う前に背中を向けて早足で部屋の扉に向かう。「苗字?」何か言っているけど耳から耳へすりぬけていく。なんか、急に現実に戻った気分だ。なんだよ下着って! 確かに回収されちゃって新しいの買わなきゃなのかー高いなーとは思ってたけどそんなとこまで返さなくていいよ!!
扉を閉めて、早足の勢いのままにエレベーターへ向かう。
なんかデジャヴだよ、マコちゃん流子ちゃん……。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -