短編 | ナノ
「えっ一松くん! どうしたの大丈夫!?」

まともな人間は知り合いが顔を腫らして歩いていたらこいつみたいに慌てて寄ってくる。近所にある高校の制服を着た女。家族に見られたくなくて夕方人の入らない路地をとぼとぼ歩いていたけれど、こいつに会うくらいなら帰れば良かった。
なんで? 誰にやられたの? 痛いよね、病院行く? しつこい。たぶん兄弟のうちの誰かが何かして恨みを買ったんだろう、大学生くらいの男二人に挟まれて殴られた。正直ちびったし土下座した。最初は固まってしまって動けなかったけど最後は叫んで暴れて走って逃げた。おれ足速くないし追いつかれると思ったけどあいつらは追いかけてこなかった。こんな情けないところを女に見られて、跳ね除けて帰ろうと思ったのに、本当に心配そうな顔で覗き込んでは「血がでてる」とポケットから取り出したハンカチで拭ってくれる様子に目の前が滲んできて、建物と建物の間の狭っ苦しい空間にも着いてくるもんだから、勘違いで殴られたとだけ言うと名前はぽかんとしたあと、大声で笑い出した。

「あはははは!! お、おやじ狩りとか古っ! て思ったら! 他のみんなと間違われて? う、うふヒヒ、顔おんなじだもんねあ゛っはははは!!」

ウチの近くに住んでいる女子高生の苗字名前はまともだ。学校にもちゃんと通って休日は友達と出かけて家族以外の誰かしらと電話でお喋りして将来のことも昔から考えてて可愛い小動物とかが好きで幽霊とかが苦手で、ただの普通の女。だけどおれたちのことを心底見下している。そりゃ六つ子全員揃いも揃って無職のうえ親の脛かじって生きることに罪悪感を感じない社会の最底辺なんだから見下されても文句言えないしおれだって自分のこと見下してるけど、こいつはそれが死ぬほどあからさまで、ちょっと心にくるし、興奮する。

「あーああははぁ、かわいそ。お金とかとられてない?」
「……持って無いし」
「あそっか! ふふ、よしよし怖かったねえ」

スマホのカメラでおれの顔を撮って見せてくる。鏡なんかここに来るまで無かったから初めて今の状態が確認できたけど思ってたよりひどい。本当に可哀想な奴だなおれ。青紫になりかけの頬を見たらますます痛くなってきた。こめかみも、口の端も、じくじく痛い。
兄弟達がたまに金の隠し場所として名前を利用しているのを知っている。おれもたまに頼む。もー困るよ、とか言いながら預かって、勝手に抜いたり使ったりもしないで返してと言えば返してくれる。自分が出来ることなら他人のために動く、女子高生ながらこの時点でおれたち兄弟とは天と地の差がある。学生だから社会人ほど金は稼げないけどニートは無収入だし、学生は将来のだめに勉強をするけどニートは自堕落に毎日過ごしてるだけだし、おれが名前に勝てるところなんて身長くらい。
逃げ疲れたせいでいつもよりますます猫背になってる今はそれも関係なくて、頭と顎の下を撫でる指が鬱陶しくて振り払って背中を向ける。

「あ、怒った? ごめんね一松くん、おにぎり買ってあげよっか」
「いらない」
「笑ってごめんって、ね、心配だからほっぺだけ冷やして帰ろうよ」

さっきとは打って変わって優しく甘い声でおれを止めようと前に出る名前の、スカートが揺れる。思わず足を止めてしまった。冬はスカートの下にタイツ、更に短パンまで履いてたのに今は生脚に紺色の靴下だ。膝小僧の形が浮き出る。唾を飲む。

「ね?」

おれの視線も考えも、多分全部読まれている。かわいい。ムカつく。お前なんかテレビに出てる芸能人ほど良い顔してねーし胸だってそこまで大きくないしその反吐が出る優しさだっておれ達を下に見て笑うためだし、今だってどこかに連れ込んでできたばかりの傷口をほじくり返して気が済んだら見送りもしないで帰らせるつもりに違いない。クソ女。まだ成人もしてないガキに転がされるの、情けない、興奮する。
目の前でズボンを下ろしてやっても指差してちっちゃーい! と笑われるだけだろう。掴みかかれば眼球を細い指で撃ち抜かれるに違いない。預けていた金が減ったんじゃないかとイチャモンをつけた誰かは右目の睫毛を全部抜かれて帰ってきたし、辛抱たまらんと襲いかかった誰かはケツをズタズタにして戻ってきた。おれがこいつに敵うところなんて一つもない。飽きてくれるまで耐えるしかない。
変な猫の絵が描かれた細い水筒みたいなのをカバンから出した名前は、その中身をハンカチに染み込ませておれの頬に当ててきた。痛い。痛いけど、その中身。「ただの水だよ」水。水ってことは、今日一日名前が飲んだり飲まなかったりした水。ハンカチから溢れたぶんが顎をつたう。ごく、とまた唾を飲むと、喉乾いたの? と聞いてくる。乾いたと言ったら飲ませてくれるのか、名前の唾液が混ざってシェイクされて半日熟成された甘露を。

「開けてないお茶あるからあげるよ、小さいのだけど」

そう言ってまたカバンから出した普通のの半分くらいの大きさしかないペットボトルのお茶を受け取って、すぐさま開けて真上を向いて中身をあおる。ごきゅっごきゅっごくごきゅこくごく。五秒で飲みきって蓋をしめて名前に突き出すと「そんなに?」と驚いた顔で空のボトルをカバンにしまった。濡らしたハンカチはいつの間にか離れていたけど、もうそれはいい。口の中に残ったお茶の味を溢れ出る唾液で何度か飲み込むと、まだ喉乾いてる? と困り眉で聞いてくる。乾いてるに決まってんだろダボが、さっさとその水筒寄越せ、なんだよその水筒なんて名前なんだよリア充がSNSに上げてる写真にたまに写ってるけどどこで買うんだそれ。

「こ、これ? ……これはダメ」

自分でも分かる、多分目は血走って鼻息は荒い。その視線の先にあった水筒を、胸の前に抱えて唇を尖らせた。何か塗ってるのかぷるぷるの唇、これが水筒のふちに吸い付いて中の水を口内に含んで飲んで、蓋を閉めて、ああああこの水でうがいしてまた戻してねーかな、今ここでしてくれって言ったらしてくれねーかな、みっともなく這いつくばれば。

「ああ! ちょ、ダメだって一松くん!」

内心見下していることを隠しもしないくせに俺達のことをくん付けで呼ぶ。「おい」とか「てめえ」とか横柄な言葉は使わず、あくまで可憐な女子高生としておれの尊厳を靴底からアスファルトになすりつけて笑う。こうやって水筒を無理やり奪われてもすがりついてはくるものの、本気でみぞおちに一発入れてまで取り返そうとはしてこない。学生から取り上げてまで水分が必要なら見逃してやろうという余裕だ。ムカつく、ムカつくムカつく。
生意気な表情を崩してやろうと、水筒を傾けずにまず飲み口を舐め回す。どこだよお前が口つけたのは。オイ。こんなクソ童貞キモニートに自分のものしゃぶられてどんな気分だ? いっつもコケにしやがって、飲み口一周してやるからな。中の水に唾液混ぜ込んで蓋閉めて振ってやる。家帰ってちゃんと洗ったとしてもおれが犯した水筒だって事実は残るんだ、お前はおれのよだれ菌が残った水を飲み続けるんだよ。

「もう、ダメだって、ば!」

猫のいたずらを叱る女の子のような可愛い声で、腫れ上がった俺の頬を掴んでものすごい力で引っ張る。名前を中心に半周引っ張られて痛みでケータイのマナーモード着信みたいな声が出た。思わず取り落とした水筒を空中キャッチすると同時に俺から手を離した名前は、ますます背中を丸める俺に「ほんと訳わかんないことばっかするんだから、一松くん」と近所のおばさんみたいな物言いをするけど今やったことはヤクザのそれだ。患部を指で掴み上げ更に引き回す。まともな良心があればできない所業。いてえ、痛すぎて顔があげられない。片手に水筒、もう片手は腰にあてた名前がおれを見下ろしている。ついに目線の高ささえ抜かれた。生きる価値なし。

「どんだけお水飲みたいの。これはだめなんだってば」

痛みに悶えているのが見えてないのか、軽い力でつむじを叩かれて呻く。でも俺は笑っていた。これはダメ、やっぱり今の水筒は名前の飲みかけなんだ。物持ちのいいこいつのことだからこれをこのまま使い続けるか、捨ててこれからしばらく自動販売機で済ませるか。ザマー見ろ。その顔心底歪ませろ。まだ余裕そうな顔するならカバンの中に射精してやる。筆箱に小便してやる。ニートなんだから捨てるものなんか何も無い、捨て身の社会不適合者なめんなよ。今お前から不愉快な表情引き出すこと以上に気持ちいいことなんてねえんだよ。あーあおれみたいなドブゴミニートに私物舐めまわされるなんて、かわいそう。

「こっち冷やさなきゃでしょ?」
「────は」

胸ぐらを掴まれ無理やり真っ直ぐ立たされて、名前がひっくり返した水筒の中身が俺の股間にこれでもかと飛び込んで来る。

「は、なっ……」
「ほっぺ痛くても元気になれるんだね。すごいね一松くんわたし無理だよ」

めちゃくちゃ勃起してた。全然気付かなかった。確かに興奮はしてたけど。
こんなんじゃ恥ずかしくておもて歩けないでしょ。言う名前の口から目が離せない。そう思うなら抜いてほしい、言えない絶対無理、でももうバレてる。使い古して薄くなったブリーフとよれよれのジャージズボンを押し上げる息子。飛び散る飛沫がパーカーの裾まで濡らして、ズボンなんか膝までビショビショだ。厚顔無恥にもいきり立っていたジュニアは、水を吸って重くなった服につられて若干弓なりになっている。自覚して股間の熱さと硬さが増した気がした。痛かったら勃たないってお前ちんこ無いだろ。違うのか、女でも勃起できる所のこと言ってんのか。上か? 下か? あああああああやめろ収まんねえ、ダメだ全然、服冷たいのに顔痛いのに。
こんなもんまで見てるのに名前はまだ優しく微笑んでいる。背中がゾワっと粟立った。きっとこいつは生ちんこを見てもおれが汚いアヘ顔晒しても緩くニコニコしてるんだ。勝てない、敵わない、こんな奴に急所を晒してるなんて死んだも同然。

「う゛ッ……!!」

胸ぐらをギチギチと掴んでいた可愛い手が、パーカーに皺を残してゆっくりとフードの内側に入り込む。俺の体温で温まった布と肌の間に滑り込む手のひらはすべすべでしっとりしていて、漏らしたみたいになった下半身がどんどん熱を取り戻していく。
痛みと気持ちよさでぐらぐらする俺の足を名前が蹴って肩幅以上に開かせる。便所サンダルをローファーで蹴っ飛ばされてまた痛くて顔をしかめる前に、手に持った水筒の飲み口をちんこにかぶせられてまた汚い声が出た。なにやってんのこいつ、なに、してんのこいつ。ぞくぞくしすぎた腰が勝手に引く。
名前が顔をおれに近付ける。ナニには指一本触らずだけに水筒で押さえ込んで。

「かわいいね、一松くん」

立ってられなかった。
腰から下に力が入らなくなって、しびれるようなくすぐったいような変な感じになって、口からへなった息が漏れる。水筒が落ちる音でまだ射精してないと気付いて、でも妙にすっきりした不思議な感覚に何も言えず目の前の脚をボーッと見つめた。

「ふふ。一松くんって大事なお金は襟に隠すよね。自分でも忘れてた?」

のろのろ目線を上げると、名前が何度も折り畳まれて小さくなった千円札を広げていた。ああそうだ、猫のやつ、買おうとしてそのまま、あれ、おれ今のパーカー何日目だっけ。

「ホントは全然足りないけど、一松くんと話せて嬉しかったからまけてあげる。それ捨てといてね」

カバンを持ち直して、千円札をブレザーのポケットに入れて、ぎこちなく投げキッスしてきて、やだ恥ずかしいやらなきゃよかった、と駆け足で暗がりを出て夕日で真っ赤に染まった街へ出ていく。最後まで笑顔で、おれの勃起ちんこ見たときよりいたずらっぽく投げキッスしたことのほうが恥ずかしいって様子で。

あっつい息がもわもわと唇を蒸らしていく。なんとか立ち上がって、それ、と指された水筒を拾い上げ、歯を縁にぶつけながら舐めた。砂がついていても今しかない。名前が口をつけていたかもしれない飲み口。おれの息子にもガッツリ触ってたけどそんなことはいい。
中にまで必死に舌を伸ばして水筒を犯すおれははたから見たらどんなヤバイ奴なんだろう。普通に水飲んでるようには見えないだろ。
溢れた涎が顎をつたうのが痒くて口を離した。あっと気が付き下を見ればちんこはいつの間にか大人しくなっている。やべぇ、パンツどうやって洗おう。
片手に水筒を掴んでふらふら歩き出した時。いいことを思いついてちょっとだけ止まり、その間にブリーフに水筒を入れた。超ビッグマグナム、パンツから半分くらい出てる。よれたズボンを上げてゆるいパーカーの裾を下げて、いつもよりもう少し猫背になれば気付かれない。

「へへ……」

名前が行ったのと同じ方向へ歩く。おれんちもこっちなだけだけど。さっきまで俺が握ってたせいでぬるい水筒がちんこと二本寄り添って、気味悪くにやける顔をマスクで隠す。
オナニーのとき今度からこれに出そう。
まだ頬は痛いけど家まで頑張れる。
×
- ナノ -