短編 | ナノ
無理だろうと思っていた。だからただの見張り仕事を任せた。何日待ってもボロを出さないターゲットに痺れを切らし、近くで話を盗み聞こうとして見つかってしまい、それを逆に活かそうと奴らに着いて行き怪しまれないよう話を合わせていたら薬をやらされほとんど抱えられる形で建物に入れられそうになり、見張りを見張っていた山崎が闇夜に乗じて連れ戻した。ことの主役は山崎の張り込み用に借りた部屋で眠っている。自分がたまに来て居るだけの部屋なので布団が男臭いのは我慢してほしい。

「だからやめとけって言ったのに」

かつて真選組への入隊を力づくで認めさせた女は、しかし剣以外の才能は無いに等しかった。他人を欺く息の仕方、己の魂に嘘を纏う繊細さ、相手に警戒心を抱かせない存在感と口の上手さ、彼女はそのどれも持たない。気に入られ情報をいただこうとして逆にいただかれそうになっちゃ世話ないが、それでも経験の差か年の差か、呆れこそすれ腹は立たなかった。いきなり監察に行きたいと言い出した時は何言ってんのとあしらったが土方や近藤まで話が行けば流すことができず、現実見せてやれと押し付けられれば拒むこともできず。
見つかっちゃったら締め落とせばいいんですよとのたまうものだからコイツ監察舐めとんのかと思ったが打ち合いでは山崎は彼女に敵わない。よろしくお願いします! 山崎監察長! と嬉しそうな表情で後ろをついて回る諜報一年生を、いきなり虎の巣に放り込むのも目覚めが悪い。その判断が今回は正解だったわけだ。
上司への連絡は済んだ。意識のない女を屯所まで運ぶのは夜中とはいえ誰かに見つかりでもしたらまずいので、一晩はここで過ごしてもらうことになる。独り言は張り込み時の山崎の癖だが、白湯を持って部屋に戻り僅かに目を開いた名前を見てしまい、起こしたか、と少しばつが悪い。

「もう大丈夫だよ。たぶんただの町娘に逃げられただけだと思われてる。でも名前ちゃんは突入には加われないかもね」

暖かい椀を手に布団の隣に座ると、声がまだ出せない様子の名前は眉と鼻に皺を寄せ露骨に嫌な顔をした。心当たりならある。

「あれは……仕方無かったんだって。ああしなかったら復帰遅れるし」

水を飲ませて吐かせ、水を飲ませて吐かせた。昔は拷問にも使われていた手法は、今回止むを得ず行った治療行為だ。法外な薬物を飲まされ両目の焦点が合わなくなる頃まで連れ出せなかった。少しでも吐かせて薬の影響を薄めたい。名前の喉奥に指を突き込む際、爪が口内を刺してしまって、昨日切っとくんだったと後悔した。常ならば沖田とも渡り合う剛拳は命の危機に瀕しても弱々しく山崎の腕を掴むばかりで、薬の効果がどれだけのものかが伺える。涙ながらに抵抗する女に乱暴する趣味は無い。ましてや常々目をかけているバカ強い後輩、しかもクソ地味な自分を慕ってくれているときた。その罪悪感でこちらまで吐きそうなところを堪えて淡々と処置を施すことに集中した。捕縛した攘夷志士に行われる拷問には、監察という仕事柄参加することは少ないが、どんな責め苦を見ようとここまで臓腑をかき回されることは無かった。かわいそうなのは抜けない。穏やかな寝顔のほうが手を伸ばしたくなる。いやそういうことじゃなくて。

「今日は風呂は我慢してよ。動けないの分かるだろうけど」
「……う……」

痺れでまともに動かない体を無理くり操り起き上がろうとする様を見て目を細めた。そうだった、負けず嫌いだったなーこの人、上司に負けず劣らず。スマブラ何度やっても沖田隊長に勝てなくて悔し泣きしてたっけ。覗き見た訳じゃなくてたまたま通りがかっただけなのにめちゃくちゃシバかれたっけな。手を貸してやると両手でそれを掴みやっとのことで上半身を起こす。尚放せないほど不安定な体は痺れの所為か震えており、寒くもないのに身を縮めて息をついた後、うぷ、と不穏な音を漏らした。

「ちょ、待って洗面器あるから! 待って放して吐かないでェェェェ!!」
「ふ、ふふ何を今更、あ、あんだけ吐かせといて、ぉぇ」
「だからあれは薬出すために仕方なく!」
「ふふっ……ふふひひ!」

冗談ですよ、と上げた顔は月夜の所為か青白い。手を放せば途端に揺れ出す自分の体に、慌てて山崎の腕を捕まえ、目を見合わせてエヘッと笑う。気絶から復帰したばかりの人間には酷だが今回の失敗点は早めに伝えておくに限る。本人も分かっているとは思うが、後腐れなく気後れなく再び任務に戻るには立ち直りは速やかに。

「で、反省会だけど」
「はい」
「まず動きがないからって仕掛けちゃダメ。ジッと耐えて成果を見出すのが名前ちゃんの仕事でしょ。行動するなら上の、今回なら俺の了承を得てからじゃないと。フォローが遅れるから」
「……ハイ」
「相手に取り入るにしても、最初は大人しくしてないと。混ざって溶け込んで、近くに居ても相手に存在を感じられないくらいにならなきゃ。名前ちゃん女の子なんだから、男相手ならもっといい手があったはずだろ」
「ハイ……」
「可愛いんだから野郎相手に溶け込もうと思うのは不正解だ。その可愛さを活かして一晩で情報を……って、君には出来ないだろうしそこまでさせる気ないけど……」

返事もしなくなった名前の顔を覗き込むと、唇を尖らせて眉間に皺を寄せ顔を背けた。あれ、言いすぎた? 慌てて「いやでも、その行動力は流石だよ。土壇場で動けない奴っているし」と褒めを入れるが、名前は自分で手を放し背中から布団に倒れた後、もそもそと下手くそな手つきで掛け布団をぐちゃぐちゃ引き寄せた後「すいませんでした」と顔を隠してしまった。

「そもそも、何で監察方に行きたいなんて言ったの」

白湯冷めちゃうな。そんな邪念が、障子越しでも薄ら明るく室内を照らす月に払われる。返ってこなくともいい独り言だったが、布団の盛り上がりがほんの僅か身じろぐ。返事を待ち自分も畳に横になるかと畳に手をついたその時、ぽそぽそと恥ずかしげな呟きが耳に入った。

「わたしのこと、可愛いとか言うの山崎さんぐらいですよ」
「え。いや、バカにしてるんじゃないよ。ホントに可愛いからだよ、ホラ舐めてるとかじゃなくて女の子として」
「知ってます。だーれも言わないのに、山崎さんはそういうこと言うから」

褒め言葉のつもりだった。しかし刀持つ身としては侮辱されたと感じていただろうか。幼稚だとか未熟だとかでなく、女性として魅力的だということを言っているつもりだったのだ。よく笑い他人の分まで怒り痛くとも意地で弱音は吐かない。血気盛んな男所帯で暮らせる胆力と面倒事でも断れないお人好しが同居した、可愛いひと。ここでなければ普通の男と所帯を持ち普通の幸せを手にしていただろうに。

「だから好きなんです。だから、手伝いたいと思ったから」

一拍置いて「は」と間抜けな声が出た。未だ布団に隠れたままの頭が、隙間から漏れる髪が、いやに煌めいて見える。

「……なんちゃって。どうですか今の、今度こそ監察やれそうですか?」
「ふざけんな……」
「あ、いけそうですね。ふふふん」

ほんの数秒。止まった心臓が取り戻すように動き出す。胡座に肘をついて手のひらで顔を覆い、名前を見れば嬉しそうな目元がこちらを覗いている。ほんとふざけんな。別に女日照りで爆発しそうなほど若くはないし、相手がいなかったわけでもない。女の抱き心地なら人並み程度には知っている。潜入でストリップショーや遊郭に行くこともあるが慣れたもので、視界の暴力で収まらず離席して厠に駆け込み目標を見逃す……なんてことも無い。つまり年齢の分それなりに色事の経験はある。あるはずだが、このいたずらな笑い声だけでたまらなくなるのは何故だ。

「あーなんかお腹空いた。山崎さんおにぎり食べたい」
「ああん!? もう腹減ったのかよ元気か!」
「お陰様で、わりと。味噌汁とお新香もほしーい」
「ワガママ言うなァ! ったく! 買って来ますよ!」

色づいた頬を見られる前に頭を冷やすいい口実が出来た。財布を持って身一つでコンビニに向かう。もう物食べられるなんて本当に元気なやつだ。さすが出る杭として打たれれば倍返しで打ち返す跳ねっ返りの苗字。それでもたまにヘコんだりしょげたりして、更にそれを上手いこと隠そうとするのが可愛い。ああ、こういうことを言わないほうがいいんだっけか。これからは控えるようにしよう。自分のためにも。

自分の弱みをあえて見せ相手を懐柔するという方法がある。近藤なんかはこのタイプだろう。無意識で相手を懐に招き入れ、共に飲み食いしてケツまで見せて馬鹿笑いをしている内に絆される。何かあれば個人と向き合い涙を流し怒り謝り手を握る。この人だと思わせるカリスマとこの人ではと思う程の人の好さ、幕府の犬でなく寺子屋の師匠のほうが似合っている。
その人を信じすぎる悪癖をカバーするのが土方や沖田といった性悪だ。相手を疑い一手先を行こうとする、組織には必ず必要な人材。下っ端が暴れられるのも彼ら上層部の作戦あってこそ。しかし本質的には彼らも近藤と変わりない。誰かの命より大切なものを己の命を賭け守ってやる、面倒を見る範囲と態度がひねくれすぎているだけで。
山崎もどちらかと言えば後者なので気持ちはわかる。猫が最期を見られたくないと思うのと同じだ。全てを抱えて守りたいなんて、人の身では到底叶わない願いは持たない。せめて自分の大切なもの、大切な人の大切なものは、失えばこの魂を見失うも同然だから。
名前は、きっとどちらについても上手くいかない。そう簡単に信用してはいけない人間がいると知っている。無理だと分かっていても最良の結果を求めてしまう。その場にいる全員を守りたい、正して生きて欲しい。その願いは酷く傲慢だ。彼女の腕二本が落ちるほど努力しようがそんなことは叶わないのに、それができたらと祈る。世界事情のほんの端っこを知って世界平和を願う中学生のような甘ったれた感情だ。誰かのために、何かのためになんて思うだけ億劫になる。自分のしたいことをしているだけだというスタンスで生きればいいのに。
しかし彼女はその性根を表に出さない。攘夷志士との戦いで死んだ隊士を最初に見つけた名前は、山崎が来るまで彼の手を握って泣いていた。ごめんなさい、ごめんなさいと誰にも届かない謝罪をしながら。彼女のせいではない。あの建物にいた敵すべてを、無傷で殲滅などできっこない。理解していたから表情を崩さず討ち入りに臨んだはずだろうに、まるで自分のせいだと言わんばかりに泣いていた。
思うに、まだ慣れていないだけなのだ。一気に親しい人間が増え、その人たちが刀を持ちいつ死ぬかわからない場所へ行かなければならないことに。自分の斬った者、目の前で斬られた者の怨念を背負うことに。知らぬ者が見れば世間知らずのお嬢ちゃんだと言うだろうが、まあ見てろよ、と山崎は言うだろう。すぐに追い抜かれるよ、俺たちなんか。
だから悔し涙は見て見ぬふりをしてやろう。今だけだ、後で惜しむなよ。

ぐす、ずび。
おかしな音が聞こえた気がした。ビニール袋片手に見上げると、貸家の二階、開いた障子にもたれかかる見慣れた頭。

「ちょちょちょっとぉぉ!」

急いで階段を駆け上がり、音を立てないよう部屋へ飛び込み名前の前へ滑り出て障子を閉める。誰かに見られたらどうすんの、体冷えるでしょ外寒いんだから、ていうかよく動けたね回復早いなホント、様々なツッコミを入れる前に顔を手で覆った名前に「山崎さんティッシュどこ」と聞かれ側にあった箱ティッシュを渡せば何枚かを取り鼻をかんだ。その後また何枚か取って乱暴に顔を拭う。ああ泣いていたのかと察せばそれを感じ取ったのかぶすくれた顔で山崎を睨む。

「はい、おにぎりと漬物。味噌汁用のお湯は今沸かすから」
「……ありがとございます」

コンビニおにぎりをひとつ手にとって真ん中を引き左右を引けばパリパリの海苔が楽しめる。やかんに水を入れコンロにかけて戻ると、名前はまた泣いていた。もう隠す気も失せたのかそのままモリモリおにぎりを食べている。

「強気のくせに泣き虫だよなァ」
「うる、さい、です」
「いや嫌いじゃないよ」
「うるさい、ですって。見ないで」
「千と千尋みたいだね」
「あー! ほんと! 変なところでデリカシーないですよね山崎さん!」
「あっちょ待って、それ俺のおにぎり! 俺の! 食べないで!!」





無事真選組に復帰した名前は一旦監察から外されもとの一番隊に戻った。失敗はしっかり伝わってしまっているので沖田に散々からかわれた朝の会議後、朝食も終えていつも通り市内の見回りに向かうところで山崎に会った。心臓が捻挫した。半分やけになっていたとは言えこの男には恥ずかしいところをよっぱら見られている。だからと言って初動でぎくしゃくしてはしばらくそれを引きずる。ここはいつも通りに。

「おはよう名前ちゃん。ちゃんと治ってよかったね」
「ハハハ。いやぁお陰様で、口内炎くらいですよ」
「ああ。ちゃんと爪切ります」

見透かされている。
監察という仕事柄か、彼は人の機微を悟るのに長けていた。そのために相手の目をじっと見る。無遠慮な人だなと思うだけだったが事実それだけでなく、名前のつく大きい嘘は大体バレる。ずるいずるいやり方教えて下さいとせがんで瞳孔や瞳の動きの見方を教えてもらい実践してみたがさっぱりだった。山崎曰く、名前ちゃんは割とわかりやすいほう、らしい。悔しいので今も練習はしているが、熱心に見られすぎて落ち着かんと副長からチョップをもらう。それだけならまだしも沖田なんか頬を掴んで頭を揺さぶるというわけのわからないことをするので一向に掴めない。
が、名前には監察方につきたい事情があった。
──手伝いたいと思ったから。
監察の仕事は過酷だ。斬り合いでの命のやりとりでなく、地道な観察と記録で相手の情報を収集する。堪え性のない隊士にはできない芸当だ。百戦錬磨の山崎でもこの間あんぱんに狂って目標を逃しかけたらしい。意味がわからないが、あんぱんに取り憑かれ気を失ったとか。意味がわからなすぎて怖いが。
だから自分も協力したい。そう思って動いたけれど、正直この仕事を甘く見ていた。そのつもりはないがこうして失敗してしまったのだから心のどこかで侮っていたのだろう。恥ずかしい、策にはめるつもりがはめられて、危機一髪で助けられるなんて。
名前は自覚がなかったが、山崎に好意を抱いている。ならば好いた男を助けたいと思うことになんの理由が要ろうか。せめて死に目に会えるようにと願うことを誰が咎めようか。たとえ恋仲になれずともその生き様をこの目で見届けられるなら、自分の人生をほんのひとかけでも目に映してもらえるのなら、こんな気持ち一生届かないままでもいい。

「あ、監察方所属の話だけど、一旦流れることになったから」
「えええええ!!」

問題は、名前は諜報が下手くそだという事実か。刀を振り回してがむしゃらに生きてきた芋娘に隠密行動なんて無理な話だった。子供の頃NARUTO読んで真似してたとか、そのレベルでは到底追いつけない程の差が山崎と名前にはあるのだ。
なんで、なんて聞かずともわかりきっている。今更追い恥晒すことはない。しかし聞かずにはいられない、ここさえ改善すればもう一度チャンスがあるという道しるべが。

「なんでですかぁ!」
「いやそりゃそうでしょ。向いてないよ監察、剣うまいんだから沖田隊長の下にいるのが合ってるって」
「ちがっ……わ、わたしは山崎さんを……死んでほしくなくて……」
「そんな簡単に死なないって。それに、俺も名前ちゃんに死んでほしくないからさ。監察がしっかりしてればその分危険は減るでしょ」
「……ん、う、まあ……」

ここのひねくれた人間に囲まれてとんと縁遠くなった、素直な好意が反論の口を封じる。可愛い、とかたまに言うけど、本当に思ってるんだろうか。口閉じさせるためにとりあえず言ってるんじゃなかろうか。それかわりと女を見る目がないのか。自分で言うのも悲しくなるが決していい女ではない自覚はある。思ったから言っただけと弁明していたけど、ちょっと待て、じゃあ思ったら誰にでも言うのかこの男。末恐ろしい。いつか刺されますよ。

「俺も名前ちゃんのこと好きだから」

声ですらない、間抜けな音が口から出た。癖で山崎の目を見ると、打ち合うように視線があったあと、へへ、と笑われ細められた目が本意を隠してなにもわからない。

「ほら。向いてない」
「……っはっ! ちょ! ふざけっ……!」

名前の声から逃れるように小走りで玄関に向かう山崎を追いかけない。追って捕まえれば逆に自分が追い詰められることになる。
そうか。こないだの、意趣返しか。
納得してもやはり強烈でしばらく振り切れそうにない。ああ余計なこと言うんじゃなかった、更に鍛錬を積んで山崎さんの近くに、ひいてはクソ隊長から遠くにと思っていたのに。山崎どころか誰の目も見られそうにない。才能、ない。

全てを例のクソ隊長に見られ、面白おかしく屯所内に拡散され、鎮火に右往左往しているうちに真選組公認の仲になってしまったのはこの数週間後の話だ。
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