短編 | ナノ
立花くんは鼻がいい。どんな匂いでも嗅ぎ分けられちゃうからちょっと恥ずかしい時もある。
そしてこれはわたしも付き合うまで知らなかったんだけど、立花くんは嗅ぐのがすきらしい。何でもかんでもってわけじゃなく、わたしの匂いが好きみたいだ。……うぬぼれてるわけじゃなくて!
そんな彼が風邪をひいた。熱もあるから学校は休むと。……心配だろ……心配だよ! 放課後コンビニに寄ってゼリーやらポカリやらを買い込む。
いやでももし設楽さんが家に居なくて立花くん一人だったら、鍵開けてもらうために立花くんを起こすことになっちゃうのかな? そもそも熱が出て辛いときに他人がうちに来るって、逆に邪魔じゃないかな? どうなんだろ……。
……メールだけすることにした。もし寝てて見てなかったらそれはそれで大丈夫だからね、ゆっくり寝てね、と最後に添えて、ドキドキしながら送信する。たぶん、わたしも立花くんに会いたいんだ。彼が体調悪いのを無視しようとするくらいに。

着信が来てびっくりする。表示された名前は立花くんで、えっはやっ、しかもメールで返信じゃないんだ? と思いながら応答をタップしてスマホを耳に当てる。

「あ、あの、もしもし!」
「……苗字さん」
「立花くんっ」

うわあああ立花くんだああああ! 大きくなる声を小さく抑えて、なんて言おうかと口を開けたら、

「お見舞いに来るの?」
「! うっうん、……いや! 立花くんがいらないっていうなら、行かないよ。熱あるんだよね? 他の人いないほうがいいよね?」
「うん。邪魔だからいらない」

……!!! ぐっ……うううううー! 分かってはいたけどはっきり言われるとショックだー! おちおち落ち着けわたし、立花くんに気をつかわせるな、スマートに返事するんだ!

「なーんちゃって」
「え!? た……立花くん!!」
「来て。鍵はポストのとこに入ってるから、ちょっと手入れて取って」

なんて冗談を言うんだきみは! 乙女の心がな…心がなぁあ! いろいろ混ざった感情は立花くんの言葉ですっと鎮火する。鍵の場所教えてもらえるとか、なんだろう…なんだか…嬉しい。

「……うん。すぐ行くからね」

ほくほく顔で返事したあと、通話を切ったスマホを大事に握り締めて立花くんの家へ向かう。いざ!




「いらっしゃい」

一応言っておかなきゃと思って玄関で「お邪魔しまーす……」と言うと、立花くんが部屋から出てきてくれた。口元の布はマスクに変わっているけれど、顔の赤みも目のうるみなんかもないし、あれ、思ったより元気そう? と靴を脱いで立花くんに近付くと、

「わっあっ、立花くん?」

急に目の焦点が合わなくなったと思ったら、立花くんはわたしの肩に手を置いて寄りかかってきた。驚いてわたしも立花くんの肩に手を添えると、ひゃっと声をあげたくなるほど熱かった。

「たっ……! 立花くん、熱って何度くらいあったの?」
「忘れた……」

大声を出しちゃいけない、と精一杯焦りを抑えて言ったのにこの返事。立花くん! もう!!

「と……とにかく横になろう。体温計ってどこにあるかな……」
「そこのタンスの一番上…俺が取ってくるから苗字さんは部屋で待ってて」
「だめ、部屋に行かなきゃなのは立花くん、え、あっ」

ずるずるともたれかかってくる立花くんの重さによろめいて壁に背中がついてしまう。不謹慎にもドキドキしながら力を込めて立花くんに肩を貸し、二人でよろよろしながら部屋に入って、彼を寝かせて、言われた場所から体温計を取ってくる。設楽さんはまだ帰ってきてないみたい。

「さ、三十八度超えてる……立花くん、お医者さんにかかったほうがいいよ……行った?」
「行ってない」

行ってない……じゃないよ! 完全にわたしが買ってきたもので治る範疇超えてるよね!? なんでこう変なところでずぼらなのかなー!

「これからじゃどこも閉まっちゃうか……。市販薬とかはある?」
「いらない」
「いらないじゃないよ立花くん……」

薬嫌いとかなのかなあ……と思ってても仕方ない。なんとか場所を聞き出してコップと水を拝借、お腹になにか入れないとと買ってきたゼリーをあげてみる。

「食欲ないからいいよ」
「立花くん……」
「………」
「わたし、熱が下がった立花くんと学校で会いたいなあ〜……」

ちょっとふざけて口元に手を持ってきて、なるべく可愛い声を出して言ってみると、「かわいくないよ」と辛辣な言葉が降ってくる。んぐ、いいんだよそれ狙ってやってるんだし! 立花くんにしゃべる元気が戻ってくるならそれで!

「なーんちゃって」

スプーンとカップを受け取って食べ始めた立花くんの言葉に一瞬びっくりして、なんだか恥ずかしくて食べ終わるまで立花くんの顔が見れなかった。




おでこに冷えピタを貼るのも嫌がった立花くんに、「立花く〜ん……」とさっきみたいに言ってみたら何も言わずに貼らせてくれた。
掛け布団の中に浅く手を入れて、立花くんと手を繋ぐ。立花くんはうつるんじゃないのと言ってたけど、熱があるときに一人って心細いよなあと思ってこうしていたら、外が真っ暗になってた。明日は休日だから大丈夫だけども。
寝ている立花くんを見たらなんだか私も眠くなってきて、立花くんの頭の横に頭を置いて目を閉じた。立花くん、寝苦しくないかな。汗かいてたらふいてあげたほうがいいのかな。冷えピタぬるくなってないかな。

「苗字さん」

頭の上で呟くように呼ばれて、ゆっくり頭を起こしながら「なあに?」と聞くと、立花くんはわたしと繋いでいるのとは違う手で起き上がったわたしの頭をまた寝かせた。

「いい匂いがする」
「えっ」

わたしの……頭!? えっえっわたしこんな時間なのにまだお風呂入ってないし! いい匂いかな!? なんだろこれそれとも遠まわしににおうんだよ近付けんなって言われてる!? ご、ごめんなさい立花くんごめん……!
一気に顔が熱くなって手汗が吹き出て、まずい! と思って放そうとした手が、立花くんにぎゅっと握られる。

「ひぇ、立花くん」
「苗字さん」

立花くんの体はもうこっちを向いていた。薄く開いた目はどこか夢を見ているようで、掴まれた手の力が弱々しくて、緊張しながらも拒めない。
わたしの髪の毛の間を縫って耳元を撫でていた立花くんの手が首のあたりに回って、引き寄せるように力を込められたから思わず流されて膝立ちになってしまう。

「たちば」
「こっちに来て」

こっちって、こっちって……布団の中?
体のバランスをとろうとしても片手が立花くんに掴まれてうまく支えられない。唯一自由な腕はわたしの体重を支えきれなくてかくんと折れ、立花くんの顔とわたしの顔が近付いて、マスク越しに……口が、くっついたような……いや勘違いかも……でも……
ぐだぐだ悩んでいる間に立花くんはまるで子供みたいな手つきでわたしを掛け布団の中に引きずり込もうとする。力で抵抗するとひどいことをしているみたいでできないので言葉でがんばって立花くんに呼びかけるけどまるで聞こえてないみたいだ。

「ひっ」

と声が漏れたのは、わたしの首元に立花くんが顔を埋めたから。わたしの膝から上はもう掛け布団に覆われてしまった。背中に腕を回されて胸と胸がくっついて、恥ずかしさで汗がわっとでてくる。

「いい匂いがする」

いつも通りの平坦な声で、見たことのない行動を取る立花くんに、もう何と言っていいやら何をしていいやらで、半分息が止まった。苦しい……二重の意味で、苦しい……。

「ね、あの、立花くん、わたし、あの、帰らないとあの」
「帰らないで」

息が止まった。か、か、か、帰らないでっ、て、たちばなくん、いや、たちばなさん

「だだだっだ駄目だよ、わたし、恥ずかしい、立花くん、汗かくからはなして……」
「設楽さん今日は帰ってこないから」
「!!! だめ! た…立花くん、あのね」

そこで立花くんがごほんと大きな咳をしたから、立花くんの熱を考えて言葉が止まってしまう。設楽さんが帰ってこなかったら、立花くんは一人で夜を過ごすのかな。真っ暗な中で、一人の家で寝るのかな。
そう思うといけないと分かっていても頷いてしまいそうなわたしがいて、だめだめ! こんな時間に男女二人が…とか、そんなふしだらな…とか、理屈をこね回してなんとか言い訳を考えているわたしもいる。

「……」

もう何も言わなくなった立花くんが、わたしと体をくっつけるように腕に力を込めてくる。大きく息を吸ってわたしの匂いを嗅いでいるとわかって、きゅんとしたわたしは、変な女なのかな。

「……立花くん、じゃあ、立花くんが寝るまで一緒にいるから」

なんだか胸がぎゅっとなって、立花くんの髪の毛をすきながら言うと、「じゃあ寝ない」なんて言ってきよる。ちょっと!

「風呂はあっちにあるから。着替えは俺のやつ着て」
「ま、まって、えーっと…その、とても言いづらいんですがあの、……し、したぎ……とかはほら……ないし……」
「つけなくていい。やっぱり風呂にも行かないで、ここでこうしてて」

む、無茶言うなー! すごいこと言ってきよるなー!!
熱が出て設楽さんもいなくて一人きりで、本当はいっぱいいっぱいだったのかもしれない。そうなると強く断れない日本人の性……。……言い訳しました。わたしが立花くんに弱いだけです……。

「分かったよ」

しばらくの無言のあと、根負けした。いや負けてない。ちょっと罪悪感に襲われるけど、立花くんが寝たらこっそり帰ろうと思って、こう言った。すると立花くんのまぶたがくっついて、腕の力が緩む。
立花くんの腕をさすりながら、改めてドキドキして寝顔を眺める。寝苦しいだろうとマスクを外してあげて、少しのいたずら心で頬にキスをした。違います、これは早く良くなあれっていうおまじないです。決して我慢できなくてとか、そういうんじゃありません!

立花くんから離れて布団から出ようとすると音もなく起きてまた引き寄せられ、トイレに行くのも一苦労……なんてことになるとは、この時は思ってもいなかった。




「立花くん、お見舞い来てくれたの?」
「うん」

ちゃんと風邪を治した立花くんが、わたしのいる女子寮を訪ねてきてくれたと聞いて慌てて来たかいがあった。なんとなく目をそらされているのはまあいいとして、手に下げているビニール袋はもしかしてお見舞いの品とかですかね!? わ〜嬉しい嬉しい! と少し飛び跳ねながら駆け寄ると、「熱は?」と立花くんに聞かれた。

「大丈夫、微熱だよ。でも食品を扱ってるんだから、体調悪いのに出席するわけにもいかないよねー」
「そう」

……なんだろう。立花くんがわたしと目を合わせたがらない。女子寮の前だからかな? 恥ずかしいのかな。

「これ」
「えっあ、わーありが……えっ」

袋の中に入っていたのは、有名なケーキ店の箱だった……。えええっなにこれどうしたの、なんで!? と聞くと立花くんはやっとわたしと目を合わせて、

「あの日、うつるって分かっててああしたから」

悪いと思ってるのかと分かるまでぽかんとしてしまった。立花くんと入れ替わるように学校を休んだから気にしてくれたのかな。幸い立花くんほど熱は高くないから大丈夫だよ、これ高かったでしょ…と聞くといや、とまた目を逸らす立花くん。う、嬉しいけど申し訳ない……!

「大丈夫だよ、うつるのなんてわたしも覚悟してたから」
「うつるって分かってて一緒に寝たの。馬鹿だね」

「いいんだよ、好きだから」というわたしの言葉にかぶって、「なーんちゃって」という立花くんの言葉は消えていった。
あっと思って立花くんの目を見るより先に頬に手を当てられて、逆側の頬に顔を近づけられる。

息を吸う、聞き逃しそうな音。頬に触れる手の指先が耳に触れてくすぐったくて、受け取ったビニール袋を掴む手の力が強まった。

「じゃあね」

スッと離れた立花くんの顔を見る暇もなく、歩き出した彼の背中をぽーっと見送った。頬が熱い。……熱い。……熱い!!

「立花くん! もう! 熱上がっちゃうよ!」




「うわッ! た、立花くん何それ?」
「うお!なんだその大量の箱!? ケーキか?」
「苗字さんにあげる」
「え、それ全部あげるの……?」
「おい……どうする守屋」
「って、僕に言われても……」
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