短編 | ナノ
「名前ちゃんも飲む?」

作業終わりに集まった十数人で晩御飯を食べていた時、カセキがそんな提案をしながらお酒の入ったカップを見せてきたのは、わたしがじっと見ているのに気付いたからだ。肉体労働で疲れた大人があおるお酒に興味があったのは間違いないけどわたしはまだ未成年、ありがたいんだけれど飲むわけには……。

「いや、飲めるわ」
「あ、これワシのだから違うの貰ってこようね」
「ありがとう!」

誰かも知らない相手の悪意か善意かもわからない全人類石化攻撃に巻き込まれてウン千年。元・現代法律とか守る必要ないのでは? まだ未成年だったとはいえ二十歳も間近だったし、石にされて過ごした期間足したら余裕で飲める歳なのでは。
お酒を飲むという考えがなかったせいでどこから貰ってくればいいかわからなくて人を使ってしまった。あーあの壺から汲むのね。なんだか申し訳なくなってカセキのところに歩いていき、もともと座っていたところに戻っていく背中にお礼を言って、受け取ったカップを立ったまま覗き込む。人の集まる中心部からちょっと離れたせいで明かりが遠い。辺りが暗くてよく見えないけど色は無色透明、匂いは……おおアルコールくさい。ちゃんと決まりを守ってお酒もタバコもやってなかった、けど今なら誰も咎めまい! 千空くんの手伝いで飲用以外の使い方ばかりしていたアルコール! その味を知る時がついに来た!
初飲酒がスーパーに並んでいる缶じゃなくて情緒味溢れる酒壺からいただく一杯になるなんてちょっとワクワクする。カセキお手製、本人が言っていた通りちょっぴりいびつなガラスのコップに口をつけてゆっくり傾け、舐めるように一口。

「貴様には早いだろう」

しようとしたところを、わたしより大きな手が掴んで止める。後ろから肩を抱くように腕を回されたせいで背中が人の体温で包まれた。いや距離が近い! 第一声からこんなアホ近距離感で絡んでくる男は現代原始現代合わせても一人しか知らない。

「……ダメ?」
「ダメだ! あと数ヶ月も待てないか。せっかちは損だぜ」

いいじゃん別に、を声に込めたけれど、耳元でそんなにスパッと切り捨てられると決まりを破ることへの罪悪感が大きくなってきて素直にカップを手放した。龍水の手に収まったそれはそのまま彼の口元に運ばれる。わたしには止めたのに自分は飲むんかい。

「誤差でしょ」
「原始に還っても決まりは守るものだと言っていたのは貴様だな」
「い、言ったっけ」

あー言った気がする。誰かが羽目を外しそうになって……言ったな……クソォあの時余計なこと言ってなければ! 本当はわたしの口に入るはずだったお酒をよりによって龍水に飲まれることもなかったのに! ていうか真横で飲むな音がおいしそうなんだよ!
恨めしさを隠さず「おいしい?」と訊けば「これも悪くない」と迷いなく返してくる。そりゃ良うござんしたね! 何しにきたの龍水はご飯食べに来たんじゃないの? それはそうといい加減半抱きみたいなこの体勢やめて欲しい。そろそろ心臓がもたない。

「が、名前の初めて飲む酒は俺が出す」
「はい?」
「これとは違うものをな。そしてその場で、貴様に最も近い席に俺がつく」

見てはいけないとわかっていたのに、驚きで思わず振り返ってしまった。間近にある龍水の顔はやっぱりわたしに向いていて、急に変なことを言い出した口もその上に嵌っている深い瞳も大真面目にこちらへ穂先を揺らしている。

「貴様の未経験が欲しい」

うぐ!
大昔、それこそ三千七百年前にも言われた台詞を繰り返された。七海龍水で良かったなおまえ! 普通の人だったら犯罪だぞ! というツッコミも顔を見てしまっては出てこない。龍水の「欲しい!」が適当に出す言葉でないとよ〜く思い知らされているから。
せめてもっと余裕たっぷりに言って。どうせ龍水の思った通りになるんだから、わたしの返事なんかいらないくらい言い切ってくれればいいのに。
遠くに揺れる火でお互いの輪郭もぼんやりしているのに、龍水の眼に反射した光は水面みたいにチラチラ細かく光っているのがはっきり見える。

「……はい」

三千七百年前にも言わされた肯定の言葉はどうあっても引きずりだされる運命だった。どんなにイメトレしてもだめだ勝てない。一般庶民の初体験なんて御曹司の彼が掻っ攫うくらいなんてことない。初めて船を操縦したのも、周りを水平線に囲まれて星空を見たのも、初対面の人とした船上パーティも。他にもたくさんの初挑戦があったけれど全部龍水に引っ張られて済ませている。あんなに楽しくて興奮すること、わたし一人でできるわけない。何もかも龍水がわたしに流し込んで、隣で心底満足そうに、得意げに笑っている。バカそんなの知るかあっち行けと言うことができない。その顔で見つめられると、もう、ああ。

「そう切ない顔をするな。待たされるのは俺も同じだ!」
「してないよ。せっかくのお酒横取りされて残念って顔だよ」
「仕方のない奴だ。味まではわからないだろうが、香りだけならくれてやろう」

え? 声を出す前に龍水が腕を離した、と思ったら肩を引かれて爪先で半回転、わたしよりふた回り以上大きい体と対面させられる。あれ今フランソワにコップ渡さなかった? フランソワ一瞬でどっか行かなかった?
腰に手を回されて、耳を包むように反対の手を添えられて、よくわからないままお人形のように動かされていた体がはっと固まる。いやに精悍な面構えを徐々に寄せてきているけど、香りだけならってそういうことかよ!
「いい! いい!」暗がりにいるとはいえあんた、すぐそこに皆いるってのに! 嫌がる猫みたいに腕を突っ張って上半身を逸らす。ああよかったこれを拒否するくらいの理性はまだあった! もうちょっと見つめ合ってたら危なかった!

「アホ! 自由か! 人がいるでしょ!」
「フゥン。人払いをしていればいいということか? では貴様の飲酒解禁日はこの俺が独占するぞ!」

首が……首が締まっていく……! バッシーン! と指を鳴らした龍水への反論が思いつかない。龍水が言うんだから何一つ冗談ではないんだろう。フランソワまでいるんだから間違いない。もう何も言わずまた流されるままになっておいたほうが、いやわたしのためにやってくれるのにそれもどうか。

「えー……うーん……何か、わたしにできることあったら言って」

このストーンワールドじゃできることは限られている。選択肢を増やすための努力を日夜たくさんの人がしているというのに、個人的な楽しみのために龍水の手間を増やすだけっていうのも悪い気がする。
けれど目をカッと開いてニーッと笑う龍水を見て気付いた。これ全部こいつが勝手に言い出したことじゃないか! わーわたしのために何かやってくれるんだ嬉し〜! ってちょっと嬉しくなってた!? なってた!

「はっはー! いいだろう、その期待を超えてやる! 絶対にな!」
「期待してない! してないから、普通ので嬉しいから!」
「貴様がこの先も思い出す一杯にしてやるぜ。待っていろ」

片手で引き寄せられてこめかみに唇を押し当てられ、龍水の中に流れていったアルコールが香る。今度は止める暇がなかった。もうこの時点でだいぶ衝撃的なことは言われまくっているんだけど……。
これ以上の否定はしないでおこう。恥ずかしいと申し訳ないの向こう、膨れ上がる期待は龍水に見抜かれている。
せめて来たるその日、照れ隠しで素直な気持ちを隠そうとしてしまわないよう努めよう。龍水の欲しがる、わたしの初体験を思ったまま伝えられるように。
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