短編 | ナノ
「いいからさっさと寄越せってんだよ! オラァ!」

同じ中学校に通う男子生徒が上級生に絡まれている。そんな場面を見て何とも思わずにいられる人間はどれくらいいるだろうか。

「中山くん、樋口くん! やめなさい!」

名前は通り過ぎることができない女だった。柄の悪い男子が同じクラスの生徒だったことを引いても気が立っている体格の良い男二人に女子中学生一人では分が悪い。先生に言いつけるぞが通じる相手なら良いがその後のことを考えればここは立ち向かうのではなく誰か呼んでくるべきだった。被害者の男子生徒、細っこい彼の顔にもう何発ぶんか痕ができてしまったとしても。
威嚇するように振り向いた不良二人は、しかし名前を見て固まった。

「苗字名前!」
「ひ、雲雀恭弥の……!」

うろたえる二人を見てほっとする自分と、それがイヤな自分が反発し合う。表情だけは強気にじっと睨むだけで、足を迷わせながら小走りで去っていった不良達に息をついて、地べたに尻餅をついている下級生に手を差し伸べた。

「大丈夫?」




「ええッ。ヒバリさんの!?」

雲雀恭弥の許婚。それが苗字名前の二つ名だった。勉強も運動も人並み、容姿に華があるわけでも飛び抜けてスタイルがいいわけでもない名前の顔は、しかしその肩書きだけで知れ渡っていた。中学生になってからは本名でなく許婚と呼ばれることの方が多くなり、バックに雲雀恭弥がいると知った者はよほどの命知らずでなければ名前に従う。至って普通の女子中学生なので本人の意識と周りのギャップに慣れるのに時間がかかった。

「うん。災難だったね」
「い、いえ! ありがとうございました……ハハ……」

名前の貸した濡れハンカチを頬に当てた男子生徒は慌てた様子で顔を逸らす。名前が唇をきゅうと引き結ぶ。自分に逆らう者を雲雀恭弥の名を借りて平伏させたりだとかしたことはない。そもそも雲雀は名前が言ったくらいで並森の生徒をしばき倒しに出向くような人ではないし、虎の威を借りて威張り散らせるほどの度胸は名前には無い。つい先ほど不良を追い払ったように、他人が関わる時に止むを得ず雲雀の名を口にすることはあるが──まあ雲雀がその場にいたら「並森の生徒に何をする」と並森の生徒をバチボコにしていたので彼らはむしろ出会ったのが名前で命拾いしている──どんなことであれ雲雀の威光を使ってしまっている時点で、本来同じ立場の学生や目上の教師陣にまで数歩引かれた付き合いをされるのが悲しいなんて言う資格はない。
この男子生徒もそうだろう。雲雀の名前を出したら挙動不審になった。寂しいけれど彼のためを思うなら自分はさっさと消えたほうがいい。

「じゃあこれで、お大事に」

少年が座ったままのベンチから立ち上がり軽くお辞儀をして立ち去る。我ながらスマートだ。叶うならこれで少しでも名前は恐れるような人間ではないとわかってくれると嬉しい──。





「あっ、あのっ苗字さん!」

翌々日、耳慣れない声に呼ばれて振り返った昼休み。名前を好機の目で見ない数少ない友人達と昼食をとったあと、トイレに立った名前の後ろを小走りで追うのは先日の彼だった。

「あれ、この間の……」
「い……一年の沢田綱吉です! こっこの間はその、ありがとうございました!」
「いいんだよ、怪我は大丈夫だった?」
「ハイ、おかげさまで」

また話しかけてきてくれたことが嬉しい。女子慣れしていないのかきょろきょろ目線の定まらない綱吉とは違って真っ直ぐ名前の顔を見てくる後ろの彼はちょっと輩っぽい風体で怖いけど。銀髪だし腰からはチェーンがじゃらじゃら伸びているし、今ポケットから覗いたのはもしかしてタバコの箱ではないだろうか。先生に怒られるどころか警察に捕まるぞ、と他人ながら心配になる。こんな時ひと目見ただけの非行少年に心を砕いてしまうところが名前の美点であり短所だ。

「えっと……あった。これ、前に貸してもらったハンカチなんですけど……」
「え! そんな、いいのに」
「いや、一応汚れは落ちたんですけど、オレの顔拭ったヤツだから新しいの買って返そうかって皆と……」
「洗ってくれたの? ありがとう、全然気にしないから大丈夫」
「い、いいですか? スミマセン……」
「ううん、返してくれてよかった。このハンカチはね」
「ねえ」

雲雀恭弥という男は気まぐれで、短気で、こうと決めたらそれを通す。愛したものへの情の表し方も他人とは違う。並森中学に関わるもの全てという、概念めいたそれを守るさまから見ても分かるように。

「名前。何してるの」

場の空気が凍りついたのはその声から不機嫌な低音を聞き取ったから。一番最初に振り向いた名前だけがなんでもない調子で声を出せた。

「恭弥くん」
「ヒッ、ヒバリさん!」

名前と綱吉の口にした人物は同じなのに、その表情は百八十度違う。綱吉は反射的に半歩引いて身構え、名前は手を胸の前に持って来てもう片方の手で前髪を触る。これは単に意中の異性の前で思わずやってしまう女子の可愛い毛繕いなだけだが、雲雀はそれを見て目を細めた。

「浮気?」
「ヘッ!?」
「い、いやいや!」

綱吉の目が白黒する。
この人、彼女にそういう疑惑持つ心持ってたんだー!!
衝撃を受けたのは彼だけではないだろう。風紀委員ならもう慣れているかもしれないが、雲雀恭弥が、あの恐怖の不良風紀委員長が、人間の女の子相手に愛だの恋だの想う気持ちがあったのか。
大体の並森生徒はこの二人の関係より雲雀の圧倒的暴力のほうを先に目にするので気がつかないが、彼には許婚がいる。その許婚というのも幼稚園時代に雲雀から言い出したものであり、名前も幼児の無邪気さと幼い恋心で頷いた記憶は確かにあるが、それが中学生になっても続くとは誰が思うだろうか。家柄も親族も関係ない、ただ二人の間で決めただけの「許婚」だが、雲雀がそうだと言えばそうなるのだ。そんな仰々しい言葉を口にすることを名前は恥ずかしがるがその意味は正しく認めている。「雲雀恭弥の許婚」なのが悲しいのではなく、「雲雀恭弥の許婚に下手なことをしたら殺される」と思われる事が悲しいのだ。まあ名前に何かあればまず間違いなく雲雀の手で入院させられる羽目になるので間違ってはいないのだが。

「ちち違います! オレはただハンカチを! あっそうだ、はい!」
「う、うんうんそう! ありがと……あっ」

慌てて渡されたハンカチを慌てて受け取ったものだから指が触れ合い、綱吉が「うわ!」と手を引っ込める。ちょっと傷ついて綱吉の顔を見るとおでこまで真っ赤にして汗を垂らしていたものだからこちらまで恥ずかしくなり、すこし言葉が止まった。

「名前」
「えっ!? あっ違う違う、ほらハンカチ! 貸してたのを返してもらったの!」
「ハンカチを貸してた。ふぅん」
「えーっなんでトンファー出すんです!? 違うよ沢田くんが怪我してたから濡らして当ててただけ!」
「君が彼に? へぇ」
「もう何言ってもだよ!!」

いよいよ雲雀の剣呑な瞳が綱吉に向いた時、ヒィ! と更に仰け反った彼と入れ替わるように、それまで傍らに控えていた銀髪の少年が口を開く。

「テメーのコレだっつーからどんなヤツかと思ったら結構マトモじゃねーか」
「獄寺くん静かだと思ったらそんなこと考えてたの!?」
「名前を巻き込んで群れないでくれる?」
「い、いや巻き込んでっていうかわたしから巻き込まれにいったっていうか」
「あん? 10代目はちゃんと洗って返しにきたっつってんだろーが。テメーに関係ねえだろ」
「うわああストップ獄寺くんストップ!」
「彼女のことで僕が関係ないことなんてないよ」
「恭弥くん待って! 恥ずかしい!」
「借りたモン返しに来ただけで絡んでくんじゃねーよ。やるか?」
「いややめようってヒバリさんだよ!?」

雲雀と獄寺を名前と綱吉が止めるというおかしな光景だが、廊下を行く生徒達は巻き込まれてはたまらないとばかりにさっさと過ぎていく。どちらのペアも見るからに弱そうな方が必死に止めているが時間の問題だろうという考えは正しい。綱吉でも自分がこんなところを見たら駆け足で教室に戻る。
雲雀がトンファーを握った腕を僅かに持ち上げ、獄寺が後ろ手に少し身を屈めて、いよいよ戦闘開始かと思われたその時。

「恭弥くん!」

それまでの声よりも一際大きく叫んだ名前が雲雀に抱きつく。獄寺と綱吉がぎょっと動きを止めた。
ほんの数歩で相手の懐に潜り込める距離、目の前で獄寺が吹き飛ばされるところは見たくないという一心での咄嗟の行動だった。名前本人はがっぷり四つで雲雀の胸に飛び込みしっかり抑えているつもりだが、側から見たらただ抱きついただけにしか見えない。

「だめ! 話! 聞いて!」

平静を失っているせいで子供に言い聞かせるような言葉遣いになってしまった、その様子と止まったままの雲雀を見て草食動物的本能で思考を取り戻したのは綱吉だった。「失礼しますーっ」と獄寺の背中を押して廊下の向こうに消えていく。足音が聞こえなくなりほっと息をついて雲雀の背中に回していた手を放して恐る恐る見上げると、雲雀はその目を閉じて何かを待つように止まっていた。
まずい、怒りを収めるためにこうしているのか、そこまで怒らせてしまったのか、とどう言葉をかけるか思考を巡らせた名前の目に、雲雀の綺麗な唇が開くところが映る。

「しないの?」
「へ?」

何を、と返すのは簡単だが名前はまた考え込む。これはそれほど時間をかけずに気付けた。キスだ。

「しないよ!? この状況でいきなりそんな、ビックリするわ!」
「僕は驚かない」
「驚いてよ! そ、そんな雰囲気ないことしません!」

体を離して初めて、自分が男子を抱きしめてしまったのだと意識して、開いた涼しい目で見つめられるとドギマギしてしまう。色々説明しようと思っていた言葉が頭の中で散っていく。

「これ、沢田くんが殴られて怪我してたから濡らして当てて、そのまま貸してたの。並森中の生徒のためなんだよ」
「そう。じゃ、これもう使わないでくれる」

ほら、と見せていたハンカチに手を伸ばされ、無警戒だった名前の指に力がこもる。

「え? ……なんで?」
「君が誰かの頬に手を当てたなんて不愉快だから」
「んなな、なに言っ……」

雲雀がハンカチを掴んでも名前が放さない。その双眸が不機嫌に細まる。雲雀を知るものなら震え上がるような顔だ。
名前が雲雀を拒むことは全くと言っていいほど無かった。急に髪に花を一輪挿されても、呼び出されたかと思えば膝枕をさせられても、どこかまんざらでもない表情で聞いていた。それなのにあの小動物の頬を拭ったハンカチを渡すことを拒否している。彼に何か特別な思い入れがあるのか。
そんな雲雀の心境に気付かず、名前はハンカチを引く。雲雀の指が放さない。困って見上げる顔は未だ不機嫌を顕にしていて、心の中で唸った。雲雀恭弥は何がなんでも我を通す。なにがなんでもハンカチを取り上げて処分しようとするだろう。
雲雀と名前のトラブルというのは風紀委員が聞けばひと騒ぎ起きるであろう事件だ。恭弥くんが不機嫌だと皆大変だろうしなあ、と名前はぼんやり思っているが、事実はそれ以上のおおごとだ。

雲雀恭弥に武力で敵う相手はまずいないが、たとえ押し負けたとしてもあっさり引くような男ではない。実力が拮抗したなら意地になって決着をつける。相手が自分より弱くても徹底的に叩き潰す。興が削がれたなどの珍事がなければまず間違いなくこうと決めた雲雀は止められない。言葉でうまく丸め込めば気を逸らすくらいはできるかもしれないがそれも分の悪い賭けで、負ければやっぱりボコボコにされる。雲雀の前に立てば無傷ではいられない──という数多の前例の中、唯一雲雀を止められるのが何を隠そうこの苗字名前だった。
「僕の前で群れないで」という学生生活において理不尽にも程がある雲雀の怒りを、名前はその呼び声で逸らして冷ますことができる。トンファーを振り上げた先に名前が飛び出してくれば雲雀は必ず止まる。彼が名前に弱いのではなく、名前が雲雀に強いのだ。態度という意味ではなく、相性で。本人もうっすら自覚はあるようだが雲雀から誰かを庇う時勢い余って殴られるかもという覚悟はしている。だが彼が雲雀恭弥である限り、名前に手を上げることは無い。それを分かっているから風紀委員などに対雲雀最終兵器として引っ張ってこられることも多いのだ(そして連れて来た生徒は「群れるな」という理不尽暴力で流れ弾的に吹き飛ばされる)。
あの暴君・ヒバリがここまで庇護するからには、と「許婚」というぶっ飛んだ肩書も受け入れられ恐れられている。あの子に何かあれば風紀委員長が黙っていないぞ……と。

自分のことをそこまで重要視していない名前は、それでも他者のために暴君の心を鎮めようとする。

「どうして嫌なのか、言って」
「どうしてって……」

浮気、という言葉が脳にこびりついて離れない。絡まれ殴られ怪我をした哀れな下級生に応急手当をすることがそこまで言われるような不貞だろうか。いやしかしもし雲雀が女子生徒に優しく声をかけて持っていたハンカチを貸したらちょっぴり妬いてしまうかもしれない。自らの感じ方が第一の雲雀が怒るのも分かるかもしれない、けれど。

「……忘れちゃった? これ、恭弥くんとお揃いのだよ」
「忘れてない。だから嫌なんだけれど」
「それは、ごめん。でも大事だからずっと使いたい」

中学校に入学した時、雲雀と一緒に買ったハンカチなのだ。そこまで高価なものでもない、子供の入学祝いに親にねだれるような普通の品。それでも大事に使ってきた。雲雀と同じものを持っているということに照れを感じた事もある、今雲雀のポケットにもこの柄のハンカチが入っているのだと嬉しく思う事なんてしょっちゅうある。
いくら雲雀でも譲れない、例え同じ柄で同じ素材のハンカチをまたお揃いで買ったとしても、このハンカチはこれでないと駄目なのだ。あんまり固すぎずかといって可愛らしすぎず、気軽に使えるものを二人で探して回ったあの記憶と共にある。……実際あれかこれかと見回っているのは名前一人で雲雀は見ていただけだった気もするが、今大事なのは好きな人と同じ物を持っていて、それを取り上げられそうになっているということ。
彼の気持ちも分かるのだが、分かってしまうのだが。どう伝えればいいか悩んで雲雀の手、指先をハンカチごと握る。

「ずっと持ってたい」

俯いた。ああどうしよう、嫌だけど、ここで「ダメ」と言われたらもう手を放すしかない。力の強さで負けるからではなく、雲雀を思いやるあまりに。雲雀が過剰な暴力を撒き散らしている時、つまり大体の場合名前は彼と対等に話して「いけません!」と詰めることができるが、筋の通っていた時──この場合はその感情を理解できてしまったばかりに強く出られない。人間的な心の機微を悟ると甘い。自分の意思を後回しにするこの優しさが名前の弱みである。
雲雀は名前のそんなところが好きであり嫌いだった。彼女が甘いのはこの自分に対してだけでいい。その慈悲も思いやりも笑顔も指も安売りするものではない。通常、怪我をしている人間に処置を施すことを浮気とは言わないが、キィキィ鳴くあの男子生徒に名前が特別な優しさを見せたと思うと心臓の底が焼けるようであった。

高温に焦がされる指先があたたかい手に包まれて雲雀は瞳を閉じた。痛いほどの炎が、それより低い名前の体温に流されて恢復する。
理由はどうあれ一度振り上げた拳を収めるなんて泣く子も黙る並森中学風紀委員長的に耐え難いが、彼女の弱りきった顔と手の柔らかさで九割型どうでもよくなったので、残りの一割を埋めてくれればそれで良いことにした。
急に黙り込んだ雲雀に戸惑う名前に、一言分の空気を口から吸い込む。

「しないの?」

ンッ、と言葉に詰まる音がした。しかし「なんで」でも「しないよ」でもなく周りを見渡す動きをしていることを触れ合った手だけで察して動かないままでいる雲雀に、名前の顔が躊躇いながら近付く。

「……する」





忘れようにも忘れられない、恐怖と尊敬と慈愛の混ざった複雑な感情を抱く先輩を見かけて、沢田綱吉は話しかけようかほんの少し迷った。放課後の帰り道、一人で道を行く名前はこちらに気付いていない。この間のお礼、謝罪、するべきかを考える前に後ろから「10代目ー!」と大きな声で呼ばれて体が跳ねる。なにか言う前に名前が振り向いて、目が合った。

「こ、こんにちは。こないだはスイマセンでした……」
「ううん、折角来てくれたのにこっちこそごめんね」
「いえ! その……大丈夫でしたか、ヒバリさんと」
「え?」

口元に手をやって黙った名前に綱吉が焦る。どうしようヒバリさんにヒドイ目にあわされていたら、いやいくらヒバリさんでもこんな女の子に手は出さない、いや出しそうやりそう、そんな不安で出てくる汗に名前が気付いた。

「うん、大丈夫だった。わかってくれたよ」
「ホントですか!? 良かった〜……」
「沢田くんもどうだった? えっと、そっちの……」

綱吉と同じ心配をしていたのか、そばに駆け寄って来て名前を見ていた獄寺が視線を向けられて少し顔を引く。年上に噛み付きやすい彼が戸惑っている、珍しさに二人を見つめていると、名前が獄寺をじっと見た後手を伸ばす。

「うお、なっなんだよ!?」
「あ、ごめん。葉っぱついてたよ」
「お!? おぉ……」
「一緒に帰るんでしょ? えーと、10代目? 仲良しだね」

あだ名かなにかだと思っているのだろう名前の、微笑ましげな表情が羞恥心に刺さる。獄寺の頭から名前の手に移った葉っぱ一枚がひらりと指をすり抜けて地面に落ちる。獄寺も一瞬緊張したみたいだが、この距離は男子中学生の心臓に悪い。雲雀がああいう態度になるのもまあ少しは分かる。
ふと名前の頭を見た。前に見た時と何か違う気がする。目を凝らす前に聞こえて来た慌ただしい足音に反射で身を固くした。この沢田綱吉という少年、ある日突然やって来た家庭教師のせいで色々なゴタゴタに巻き込まれており、騒ぎを聞きつけるとすわ自分の関係あることかと考えてしまうのだ。
しかし走り寄って来た風紀委員と思しき並森生が息を切らしながら話しかけたのは名前だった。

「名前さん! ひ、ヒバリさんがボクシング部を相手に戦っていて、このままでは部室が!」
「えー!? ああー部長さんも強い人だから被害がすごいのね、今行きます!」

ごめんね、それじゃ! と身を翻した名前の頭が小さく光る。だんだんと小さくなっていく背中が道を曲がる時までずっと見守ってわかった。ヘアピンだ。見えたのは一瞬だったが、校則に触れない地味な色のものだった。女子が身につけるものを変えるなんてよくあることだしそこまで気に留めることもないのだが、次に話すことがあれば似合っていると……言えたらいいのだが、この沢田にそんなことが言えるのか、果たして。

名前の向かった先でヘアピンの送り主がどんな表情をするのか、あの雲雀恭弥が少女の照れ笑いひとつでその場を引き上げる気になるとは、綱吉だけでなく誰だって想像もつかないのだろうが──。
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