短編 | ナノ
あの子真面目そうなのに意外ね、いやぁ分からないよ意外とああいう子ほど。
顔も名前も知らない、同じ学校に通っているのであろう女子生徒達の噂話はちょくちょく耳に入っていた。銀魂高校三年Z組苗字名前。服装も素行も目立つほど悪くなく真面目なだけが取り柄の人間であると自分でわかっている彼女は、事実問題児だらけのZ組の良心と言われるほどの常識人でありモラルもマナーも心得ていた。そのせいで面倒ごとを押し付けられることも多々あったがそれを断らない、信号無視もできないほどの小心者なだけだが。呆れながらも自分にできることならと他人の騒動のため手を焼くさまは担任の銀八も評価している。アイツ将来厄介ごとに巻き込まれて死ななきゃいーけどなァ。
こんなスキャンダラスな話を影でされてしまうような要素は名前自身には無い。ではなぜなのかと問われれば、原因は同じクラスの不良にあるのだろう。

「ぬし、下手でござるなァ」

はじめて話したのは三年生になってから。銀魂高校の音楽授業にはリコーダーの実技がある。自宅では防音設備もないし、高校生になってアルトリコーダーを必死でぴいぷう練習する姿を見られるのは恥ずかしいと思って、放課後に音楽室で練習していたところをなんの偶然か見つかってしまった。河上万斉。学校に来るというのにサングラスにヘッドホンというパンクな格好はもう注意されなくなった。なんの理由か眼帯してたり教師へストーカーしている生徒なんてのもいるんだから授業を聞いているならいいという境地にまで至っているのだろうかあの教師。いやただ何も考えていないだけか。
話しかけられたと思ったら笑われて、初めてだからうんぬんと焦ってリコーダーをしまおうとした名前を止めたのも万斉だった。それは悪かった、と本当に思っているのかいないのか分からないポーカーフェイスになった万斉にリコーダーの譜面を見せると黙って名前のそばに寄り、しばらく練習に付き合ってくれた。格段にしっかりと吹けるようになったのを感じ礼を言えば「なに、いいものを聴かせてもらった」と言い帰っていく。初対面での印象が上がったり下がったりでうまく掴めない人だなというのが正直なところ、同じ学校に通うとはいえカーストが違うのだからもう話すこともないと思っていたのだが。

「名前殿、例のものだ」
「あのう、違法取引みたいに渡すのやめてくんないかな」

紙袋で中身が見えないものだからますます怪しい。いやもちろん怪しいものでは無い、万斉おすすめのCDだ。世話になったのに目も合わせないのでは礼に欠けると、顔を合わせれば挨拶をしていたらヘッドホンを見ているのがばれた。頭に着けているだけでどこから音を流しているのか聞くとワイヤレスヘッドホンだという。高いんだろうなあと庶民丸出しで考えていたらミュージックプレイヤーの一覧を見せられ、なにか知っているかと聞かれたので素直にこのアーティストは有名だよねと答えると次の日にはアルバムを手渡された。よくわからないまま受け取り、家で再生して、その翌日に返す。知っているとはいえせいぜいテレビで見た程度、通しで聞いたことはなかったので面白かったと素直に伝えれば満足そうにしていた。……ような気がする。だいたい無表情なうえにサングラスをかけているので感情が分かりづらいが、きっと。

「名前殿は多少ひねた曲が好きなのでござるな」
「え!? 何、ひねたって」
「夢、希望、何かを掴む、未来へなど。明るい言葉だけの歌ではないものだ」
「あ……あぁ」

返すだけでは申し訳ないのでこの曲がよかった、特に好きだ、なんてどうでもいい話のつもりで喋ったら彼はなんとそれを覚えているらしい。ではこれは、と渡されるものは名前の好みに合うものが多く、最初は戸惑っていたが今では受け取るたびに少し期待してしまう。いい友好関係を築けたと思ったらこんな噂が立つとは予想外だった。
受け取ったCDを鞄にしまって、どうせ同じく駐輪場に向かうのだからと隣だって歩き出す。
今でも不思議に思うのはなぜこんな関係になったのかということだ。見るからにクール系不良の彼とスカートをひと巻き短くするのも緊張する女子では話が合わないと思っていたのに、万斉は音楽の話題か関係なく名前の話を聞いてくれる。相槌もうつ。他人と関わる彼を見る限り、ややマイペースで興味のないものには見向きもしない性格だと思っていたが。
そんな人も楽しめる話術を持っているわけでない、内容だってどこにでもある「ちょっと面白かったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと」なのに、話の腰を折ることもなく最後まで聞いてくれる。たまに肩を震わせて笑っている様などを見ると謎の達成感でさらに饒舌になってしまうくらいには、万斉と話すことが楽しかった。しかし万斉からの話を聞くに彼のほうが波乱万丈で自分より青春しているのに、なぜ自分なんかとこんなに会話が続くのか。万斉と別れて一人になったときにふと思うのだが何度考えてもわからない。

「性格悪いかな……」
「いいや。拙者もでござるよ。趣味が合う」
「そう? よかった」

結果的に放っておけなくて手を出してしまうだけで、聖母のような女子というわけではない。悪いところに感づかれたか、変に思われたかと緊張したがそんなことはないようだ。
駐輪場に着いた。じゃあまた明日、と言い合う名前と万斉の後ろをキャサリンが正門に向かって全速力で駆けてゆく。万斉と名前が動きを止めそれを見送った後、追うように神楽が飛び出してきて、今鍵をさしたばかりの名前の自転車を引っ張り出す。

「名前! これ借りるヨ!」
「えっ? へっ? いやちょっと待っ」

言うが早いか爆速でペダルを漕ぎ回し、キャサリンの後に続いて正門を抜けて行く。名前の自転車で。「待つアルぅぅぅこンのクソ猫ォォォォ!」という叫びから察するに、追うように、ではなく本当に追っていったのだろう。そしてきっとキャサリンが悪いのだろう、頑張って欲しい。

「ちょっとー!? わたしの自転車ー!!」

とは思うが、なぜ巻き込まれるのか。
手を伸ばすがもう遅い。あっという間に声すら聞こえなくなった女二匹は止められまい。ええぇー……。漏れる声に名前の肩を叩いたのは河上万斉。振り向けば自分の自転車の鍵を見せてくる河上万斉。二、三まばたきをすれば、送るでござると天の助けを寄越す河上万斉。

「え!? い、いいよそんな!」
「気にするな、少し寄り道をしようと考えていたところでな。まっすぐ帰る気分ではござらん」
「は、いや、でも……」
「ついでに茶でもしばくか」
「いやそれはいい……」

話しながらも名前の立つ場所から少し離れたところに停めてある自分の自転車の鍵をあけ、ハンドルをひいてやって来る。河上くんバイク運転してなかったっけ、と聞くとこの時期に長袖は着られぬからなぁと言う。確かに七月も下旬、もうとっくに衣替えが済んだ高校生の、限られた登校着から長袖を探そうとすると冬服になってしまうのだから仕方ない。彼は校則丸無視の青い半袖シャツを着ているし腰にはチェーンを下げているがそれはそれとして。かと言って長袖でないとなにか事故でもあった時いらぬ怪我を負うことになる。バイクなんぞ夏や冬に乗るものでは無いのだ。雪が積もれば乗れなくなるのは自転車も一緒だが置いといて。
前に見かけたバイクは、そういうものに疎い名前から見ても格好がよかった。ああ乗りそう、これで夜に海に行ってそう、という感想を抱くようなイケてるバイクだった。今万斉が持ってきた自転車が前かごと荷台のあるママチャリで、違いに思わず「これ河上くんの?」と聞くがやはり「うん」と返ってくる。もちろんダサいとかカッコ悪いとか言う訳では無い、むしろほっとした。ママチャリ。実用的で素晴らしいじゃないか。でも彼の嗜好からしてまたバリバリのカッコイイ自転車に乗っているものかと……。いやカッコイイ自転車ってなんだ。ロードバイク? 高校生で金を貯めてロードバイクに乗るのはすごいことだがちょっと彼とは違う気がする。……金がかかるのはバイクも一緒か。

「敷くものを持っていない。痛いだろうが少しの辛抱でござる、このまま跨いでくれ」
「えっ、あ、本当に乗るの!?」
「歩くよりいいでござろう」

それはその通りなのだが、今ただでさえ変な噂が流れてるみたいなのにこんな所でそんなことしたら噂がまた変な方向に流れていってしまうモニョゴニョ。こんなことをそのまま伝えるわけにいかず、かと言って彼の好意を無下にできず、躊躇いながらゆっくりと荷台に跨る。もう尻がちょっと痛い。あ、カバン預かるでござるよと言うので渡せば前カゴにストンと入れた。

「行くぞ」
「う……はい」

二人乗りの経験すらあまりない名前は万斉の漕ぎ出しに合わせて足を地面からゆっくりと離す。スカートで跨っているせいで開いた足の間に風が入り込んでめくれそうになる裾を片手で押さえ、もう片手で目の前にある万斉のシャツを遠慮がちに掴んだ。

「あら河上くん、名前ちゃん。熱いのねぇ」

校門を通過しようかというとき、生徒玄関から出てきた妙と九兵衛の二人に見つかった。この二人だけでなく下校しようとする沢山の生徒達に見られているのだが。

「おい、二人乗りは……」
「いいじゃない九ちゃん。青春よね。気をつけてねー」

ああやっぱり、誤解されている!
「違うよー!」続けて言い訳しようとすると側溝の蓋の段差で体が揺れる。驚いて万斉に身を寄せてしまった。

「ごめん!」
「掴まっていないと危ないでござるよ」

怒ってはいないようだ。確かに落ちては危ないので両手で万斉のシャツを掴む。もういい、高校生にもなってそんな噂で恥ずかしい照れくさいなんて言ってる場合か。だいたい実際は彼と自分、何でもないのだから堂々としていればいい。

「スーパーかコンビニか」
「え? 何が?」
「こう暑くては何か涼しくなるものが食べたいと思わぬか」
「い、行かない行かない! 帰ろうよこのまま!」
「つれないな。せっかくの機会でござる。もう少し話がしたい」
「話なら学校でできるじゃん!? えっ……あーっまた明日! また今度! そしたら一緒に行けるから今日はダメ! ごめん!」

髪を抜ける風の音で声が聞き取りづらい。逃げることしか考えていない名前はとにかく「今日はだめ」で押し通すことにした。明日以降は明日以降の自分がなんとかするだろう。同じクラスだということくらいしか接点がない相手と自転車を相乗りしていることだけで既に名前のキャパシティを超えているのだ、許せ明日の自分。大丈夫だよ今は偶然こうなってるけどもうこんなことないと思うし河上くんならわたし以外にも友達いるだろうし金髪で可愛い後輩の女の子と話してるの見たことあるし多分一人でもアイスくらい買って食べて帰るだろうしもう誘われたりなんかしないよきっと。この人女子と噂になることの面倒臭さ知らないのかやたらグイグイくるけどもしかして話聞いてくれる人はあんまりいないのかしら。くだんの気が強そうな美人後輩ちゃんには喧嘩腰で話されてたし。いやぁまさかね。河上くん聞き上手話し上手だしゆったりして落ち着く声してるし見た目だってこんなにパーリーピーポーにばかうけしそうなかっこよさなのにそんな。校内だけじゃなくて校外にも友達いるんだろうな。そういう人とは会いづらいのかな。
学校前の通りを抜けて大通り、逸れて路地に入る。

「そういえばわたしの家知ってるの?」
「大体は。案内を頼む」
「うん」

なにかの流れで話したことがあっただろうか。まだ照りつける陽に汗の滲んだ肌が、自転車の隙間を通る風で冷やされる。雲は多いがいい天気だ。
歩道の舗装が剥がれ大きめの段差になっているところで車輪が跳ねる。揺れで思わず万斉の腹にまで両腕を伸ばししっかと掴む。また謝って距離を取ろうとすれば言葉で止められた。

「掴まってもらえるほうが拙者も走りやすい」

……そうか。
そう言われては仕方ない。ほぼ抱きつくかたちになるがこちらのほうが安定する。後ろに乗っている人間が落ちれば運転者も大変だろうし、本人がいいと言うなら拒む理由もない。暑さのせいとは違う変な汗が出てきたせいで気は遣うが。
いま自転車のハンドルを握る腕にはなかなかどうしていい筋肉がついている。頬に触れそうな広い背中も、マラソン大会を余裕の表情で中間位ゴールする健脚も、一瞬見惚れるほどの体つきをしているが楽器をやっていると鍛えられるのだろうか。立っている時少しS字になる姿勢や変わった話し方、たまにつけてくるシルバーのリングなど、その肉体も相まって威圧感がありそうに見えるがいざ話してみるとなんてことはなかった。しかも不意のハプニングで自転車を失った知り合いを送ってくれる優しさもある。名前のことを話のネタにする女子たちの中には彼のことが好きな子もいたりするんじゃなかろうか。あの銀八先生にも隠れファンがいるという話だしもしかしたら嫉妬されてたりするかも。話しかけてみればいいのに。きっと名前より意気投合できる女の子がいるだろうし。
……なにを考えてるんだろう。なんとなく言葉が途切れ、なんとなく万斉の背中から頭を見上げる。跳ねた襟足に耳の裏に見えるサングラスのつる。この髪型、寝癖ということはないだろうし毎朝セットしているのだろうか。その割にはふわふわで自然な形だ。ワックスなどを使う人たちはもっとカッチリ固めてしんなりぺったりしているイメージがあったが彼は上手いということなんだろうか。ここまで近付いたことがなかったから気付かなかったけれど汗の中になにか違ういい匂いがする。香水か、夏だから制汗剤かもしれない。名前も汗拭きシートを持ってはいるがもしかして臭かったりしているだろうか。いやこの向かい風が全部飛ばしてくれているはず。きっと。大丈夫なはず……。

「……河上くん。ここ、ここで大丈夫」
「うん?」

まさか後ろから前にニオイがいくとは思わないが、ここまでの道のりで遊びに走る小学生たちにキャッキャ言われたり、道の端にたむろしていた風紀委員のうち最も厄介な沖田総悟と目があったりしてしまっている。それに家の真ん前まで送ってもらうのは気がひける、原因が名前ではないにしてもだ。
ゆっくりブレーキをかける万斉に合わせてそっと地に足をつける。そういえば一度も信号にひっかからなかった。今は一段とありがたい運の良さだ。ちゃんと止まるまで言われた通りしっかりつかまったまま、路肩に止まった自転車の車体を横に傾けてくれた万斉に礼を言って降りる。

「ここか」
「ううん、でももうすぐそこだからここでいいよ。ありがとう」

カバンも受け取って万斉に向き直る。しばらく背面ばかり見ていたので正面から顔を見ると少し恥ずかしい。感謝の言葉だけ伝えて帰ろうとそそくさ背を向ける名前に万斉が「また明日」と声を投げる。同じ言葉を返して家の前まで小走りで行き、振り返ると万斉はまだ自転車に跨りこちらを見ていた。あ、律儀だ……。小さく手を振ると彼も肩のあたりで手を振る。
変な日だった。変な日だった。イヤではなかったけれど。少し体が熱い気がする。気温のせいか人と密着していたせいか汗もすごい。変に思われてなければいいけどどうか。

「はぁ……」

風呂に入って今日は早く寝よう。起きていると余計なことばかり考えて眠れなくなりそうだ。あ、そういえばまた新しいCDを彼から借りたんだった。聞いて寝よう。

広い背中、二人乗りに慣れているのかしっかりとした手つき、ハンドルの機微で張る筋肉、呼吸のたびに膨らんだ胸。
アルバムに収録されているどの曲を聴いても雑念が消えず、結局悶々と夜を過ごすはめになったのはまた別の話だ。
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