2. 航の変わらないところ [ 126/163 ]

【 航の変わらないところ 】


それは、ある日の夜のことだった。

夕飯のカレーを作るために野菜と肉を炒めていたら、俺の視界の端っこでカサカサと動く黒いものを見てしまった。


「げっ、今かよ。」


どうやら換気扇から入ってきてしまったらしいそいつは、りとの唯一の弱点であるゴキブリだ。あいつがこの場にいるならギャーギャーとうるさく騒いでいるだろうが、幸い俺はどちらかと言えば平気な方で、煩わしいものが1匹居るな、っていう程度である。

そして航も。
あいつなら、難なく奴を倒すことができる。

しかし今は火を使っているから厄介だった。


「航ー、ちょっとこっち来て。」

「ん?」


いちいち手を止めるのも面倒だったので、野菜を炒めながらソファーでゴロゴロしていた航を呼ぶ。


「なに?」

「ゴキブリ出た。」

「なぬ!?」


航は素早く周囲を見渡し、咄嗟にテレビのリモコンを手に取る。


「おい、それで叩くなよ。」


無いとは思うけど一応注意したらリモコンをテーブルの上に戻す航。


「殺虫剤も使うの禁止な。」

「いやとりあえず火止めろって!!」

「えぇ、いちいちあいつの所為で手止めたくねえよ。」


ある程度野菜に火が通ったところで、鍋の中に水を入れる。その間ゴキブリは、カサカサ…と冷蔵庫の上らへんの壁を歩いていた。


「うわ、動いた。ほうきほうき!!」


ゴキブリが動いたと同時に、航も家の中を動き回り、玄関にあったほうきとちりとりを手に取り戻ってくる。一体それでどうやってゴキ退治するんだろう、と水が沸騰するのを待ちながら航のことを観察していたら、冷蔵庫の近くに椅子を寄せ、椅子の上に立ちながらちりとりを胸元で構えて、ほうきでゴキブリに物理攻撃を開始した。


「お前つえーな。」

「ああっ!隙間に入りやがった!」

「…くくっ…」


ゴキブリと戦っている航を見るのが地味に楽しくて、笑っていたら水が沸騰してきたので、弱火にしてタイマーをセットする。

ゴキブリは冷蔵庫の隙間に入ってしまったらしく、航は隙間に向かって「フー!フー!」と息を吹きかけたり壁を叩いたりしている。


「おい!殺虫剤使わせろって!!」

「今煮込んでるからダメ。」

「お前はなに呑気に傍観してんだよ!」

「だって今カレー作ってるもん。」

「もお!!ゴキめ出てこいや!!!」


航はやけくそのように冷蔵庫の隙間にほうきの棒を差し込んでガサガサと動かした。


「あっ!出てきた!!!」


そして再び姿を現したゴキブリは、航から逃げるようにささっとすばしっこく壁の上を移動している。


「クソが!クソが!このやろっ!!!」


バン!バン!と相変わらず航はちりとりを構えながらほうきで物理攻撃を与えているから、そんなやり方で奴がくたばるのだろうか?と思っていたらピピピッとセットしていたタイマーが鳴ったので火を止めた。


カレールーを割りながら航のことを観察していたら、どうやら航から逃げていたゴキブリが床に落ちたらしい。


必死に床の上を逃げ惑っているゴキブリだが、この時俺は懐かしい記憶を思い出していた。


……それは、俺が高校2年の頃の話だ。

生徒会室の誰かさんによって割られた窓ガラスの下には、ゴキブリの死骸が落ちていた。

その時は生徒会室の窓ガラスを攻撃した友岡航の方がインパクトがありすぎて、ゴキブリの死骸など何とも思わなかったけど、後々会長から『窓ガラスを叩いたのはゴキブリを殺すためだったそうだ。』と聞き、生徒会役員一同呆れたように笑っていた。


「ふふっ…航くんはバカだなぁ。」


懐かしい記憶に一人笑いながら、鍋の中にカレールーを入れ、かき混ぜていると、『バシン!!』と大きな音が部屋に鳴り響く。


「ふぅ。」


そして一息吐いている航の足元に落ちている、一冊の雑誌。


「あっ!!!!!」


それは、最近俺が買ったばかりのレシピ本だった。


「お前っ!もしかして!!!」

「ん?」


俺は慌ててレシピ本の元へ駆け寄り、ひっくり返せば、そこにはぐしゃっと潰れたゴキブリが引っ付いていた。


「ちょっとぉ!!!なんで本で叩くんだよ!?」

「あ、ごめん。そこにあったから咄嗟に。」

「そういうとこお前の悪いとこだぞ!?ゴキさえ倒せればあとは何だっていいのかよ!?」

「ごめんって。」

「これがお前の大事な本でやられたらどうする!?ゴキの死骸べっとりついたら嫌だろ!?」

「うん、ごめんって。同じのまた買うから。」


航はあっけらかんとした顔で謝りながら、ティッシュでゴキブリの死骸を摘んでゴミ箱に捨てている。


「でもるいがさっさと殺虫剤使わせてくれたらこうはならなかったんだからな?」

「…ちりとりで叩けば良かったのに。」

「威力足んねえだろ?」

「はぁ…。航くんはやっぱり、航くんのまんまだな。」

「ん?」


最近はちょっと大人になったと思ってたけど、たまにチラッと顔を出す航くんの悪い部分も、今の俺は笑って許してしまうのだった。


航の変わらないところ おわり


[*prev] [next#]

bookmarktop

- ナノ -