昼休みの騒がしい教室内でため息を吐く男が一人。悩ましげなその表情は男の顔立ちの良さからか随分と様になっていた。だがそれは今の彼にはどうでもいいことであり、彼の脳内はある一つのことに支配されているのである。


「なんだ猿、ため息なんぞ吐きやがって」
「浮かねえ顔だな」
「うるさいな。放っといて」
「なんだよ、まだ彼女とkissできてねえのかよ」
「え、そうなのか!?」
「放っといてって言ったんだけど! 俺様の話聞いてた?」
「今までの女みたいにパパっと済ませちまえばいいだろ。パパパっと」
「そんな簡単にいかないんだよ」


呆れたようにため息を吐く政宗の隣で元親が右目を瞬かせる。不機嫌そうな顔でブリックパックのストローを吸う佐助の悩みは彼の恋人、名前に関してのことであった。


「もう付き合って三カ月だろ? 今までなら行くとこまで行ってるじゃねえか」
「今の彼女とは手ェ繋ぐで止まってるらしいぜ」
「は、おま、本当に猿飛か!? 誰だ!?」
「実は猿の面を被った真田なのであった」
「あーなんだそうか」
「納得だろ?」
「納得だわ」
「全然面白くないんだけど」


二人を見ながら吐き捨てるようにそう言った佐助は、飲み終わったブリックパックをぐしゃりと潰す。頭を掻いて笑う元親と肩を竦める政宗から佐助はふんと顔を逸らした。彼が近頃悩んでいるのは、恋人と未だ接吻ができないということについてであった。二人の仲は良い。佐助の表情や対応から、今までとは違い本気で恋しているのだろうこともわかる。ならば何故接吻がまだなのか。元親はただただ首を傾げた。


「でも本当にどうしたんだよ。マジで好きだって言ってたじゃねえか」
「そうだよ」
「ならなんでだよ」
「……本当に好きだからこそ、軽々しくできないっていうか、今までとは違って変に緊張しちゃうっていうか」
「……コイツ本当に猿飛か?」
「だから猿の面を被った……」
「もういい」
「ちょ、待て待て!」


席を立とうとした佐助を元親は苦笑しながら引き止めた。恋人をとっかえひっかえしていた今までの彼とは別人のようだ。原因がわかった彼は、妙に微笑ましい気持ちになり佐助を見つめる。ただ一人呆れたようなため息を零したのは頬杖をつく政宗だった。


「でもどうすんだよ。kissしたいのはしたいんだろ」
「そりゃしたいよ。だから今悩んでるんじゃん」
「なら思いきってさっさとしろよ。手の早いことで有名なアンタが三カ月でkissもないんじゃ、女の方は自分のこと好きじゃねえのかと思うぞ」
「手早いは余計だよ……」
「いいからさっさとキメてこいよ。あっちも待ってるかもしれねえぜ」


そう言って政宗はニヤリと笑う。佐助はほんの少し頬を染め、少し間を置いて首を縦に振った。どうやらこの悩みに終止符を打つことを決めたらしい。歯を見せて笑う元親も、満足そうに頷くのであった。そんな感じの昼休みと午後の授業を終え、やって来たのは佐助が彼女と帰る放課後。今日キメて来いよ!と眼帯二人に念を押された佐助は、帰り道は一人そわそわと落ち着かなかった。そんな彼に気づかぬまま話をする彼女だったが、暫くしてふと気になったようであった。


「佐助くん?」
「な、なに?」
「なんか今日そわそわしてる。どうかしたの?」


名前に見上げられた佐助は、頬の色を僅かに変える。足を止めたまま視線を泳がしていた佐助だったが、少しして意を決したように名前の目を見据えた。彼女は僅かに首を傾ける。


「名前ちゃん」
「ん?」
「目、閉じてくれないかな」
「うん」


彼女は瞼で目を覆う。佐助はそんな彼女の肩にそっと手を置いた。今までの接吻のときには体験したことのない気持ちが佐助の心を支配した。緊張やら嬉しさやらで騒ぎ出す心臓をそのままに、佐助は名前にゆっくりと顔を近づける。もうすぐで唇が触れ合う、というところで、佐助の耳はいらない雑音を捉えた。


「おい、いよいよするぞ!」
「やっぱり恋はいいよねえ!」
「ななな、なんと破廉恥な……!」
「ばっか、うるせえよ!」


草陰から漏れてくる聞き覚えのある声。佐助の心臓は段々と高鳴りをおさめ始める。


「……ちょっとごめん、名前ちゃん」
「え?」


名前の肩から手を離し、つかつかと草陰に歩みよる。手と足を使い草をよけた佐助の視界に写ったのは、突如現れた彼を見上げて固まる四人の男たち。


「……なにしてんのアンタら」
「や、やっほー佐助! こんなとこで会うなんて奇遇、」
「帰れ……!」


威勢のいい返事をしたあと、彼らは一目散に去っていった。有り得ない、なんて奴らだ。佐助は頭を抱えたくなった。ゆっくりと振り向くと、佐助を見つめ瞬きを繰り返す名前が。今日こそはと意気込んだ接吻も、彼はやり直す気にはなれなかった。佐助は泣きたい気持ちになる。


「ごめん……」
「ううん、面白い友達だね」
「はは……そうだね」
「どうかした?」
「ううん、帰ろっか」
「え?」
「ん?」
「さっきの続きはもうなし?」
「……ん?」
「キス、ちょっと期待したんだけどな」


悪戯っぽく笑う彼女を見て頬を染めて固まる佐助。彼の目標がこの後達成されたと友人たちの耳に入るのは、翌日の朝のことである。



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