※奇跡 番外編



空が朱に染まり始めた頃にあの家を出た。固い地面の上を歩きながらバス停を目指す。この時代のスニーカーとやらは履き慣れてしまえば随分と歩き易かった。目的の場所にあるベンチに腰を下ろす。二、三台立て続けに来たバスにはアイツは乗っていなかった。それから少し間を置いて到着したものから降りてきた彼女。何気なく俺を捉えた目が見開かれる。驚く様子が予想通りで思わず笑ってしまったのだった。


「も、元親?」
「おう。お疲れ」
「ああ、お疲れ……って、え? なんで元親がここに……」
「アンタを迎えに来たんだ」
「まだ明るいよ?」
「買い物、行くんだろ? 一緒に行くよ」
「え! で待っててくれて良かったのに」
「こっちの方が早いし、アンタも一旦帰る手間省けるじゃねえか」
「まあ、確かに」
「俺が来たくて来たんだ。行こうぜ」


名前の片手にぶら下がっていた薄い布地の袋を取る。少しぽかんとしていた顔を緩めて礼を言ってきた名前に、俺も笑い返した。いつもと違う道を歩きながらスーパーを目指す。この時間帯だからか、すれ違う人々には制服姿の学生が目立った。あれは中学生というやつだろうか。高校生に比べまだまだ幼さが残っている。


「あ、わたしの中学の制服だ」
「名前もあれ着てたのか」
「そうだよ」
「スカート長いな」
「わたしあれぐらい長かったよ」
「そうなのか!? じゃあ今もあれぐらいにしたらいいじゃねえか」
「高校生は短くていいの」


名前のスカートが頼りなさげにひらひらと揺れる。先ほどすれ違った中学生とやらと比べると、それはかなり短かった。


「そういえばこの前、中学のときの友達にあったんだけどね、その子にわたしが彼氏と歩いてるの見たって言われて」
「は……?」
「それで、」
「おい待て! な、何だよ彼氏って」
「だからわたしも言ったよ。いないけどって」
「驚かせんなよ……」
「そしたら厳ついイケメンと歩いてたって言われてさ。誰のことだと思ってたら、眼帯してて髪が白っぽい人って」
「……俺か?」
「わたしもそれ聞いて元親だなと思った」


可笑しそうに名前が笑う。夕日に照らされて白い肌は朱に染まっていた。


「その子は自分以外にもわたしが元親と歩いてるの見た子がいるって言ってた。だから違うって言っても、照れんなとか言って信じてもらえなくてさあ」
「他の野郎共とも出かけてんのに、なんで俺なんだ?」
「たまたま見られてたのが元親と出かけてるときだったんだろうね。でもいつも違う男と歩いてるって思われてなくて良かった」


そう言って名前は苦笑する。買い物によく行きたがる奴とそうでない奴で俺たちの中で多少差はあるが、名前は特別誰かとだけ出かけたりはしない。彼女と出かけることは、自然と順番のように回ってくるのだ。だから見られているのが常に同じ奴といるところとは限らない。名前が言ったように、いつも他の男と歩いてると思われる可能性のほうが高いのだ。それなのに名前の友人たちに見られていたのは俺といるときで、更に俺を彼氏だと思ったらしい。なんとなく気分が良いのは、間違いなくこのせいだ。


「じゃあ俺をアンタの彼氏だってことにしとけよ」
「え?」
「嫌か?」
「嫌じゃないけど……なんで?」


不思議そうに眉を寄せる名前。純粋に疑問に思ったらしい。


「その方が俺が嬉しい」
「? へえ」


大して興味のなさそうな返事が返ってくる。何故嬉しいか、と尋ねる気はないらしい。その対応は若干不満だが、コイツらしいし仕方ないかと思った。



ちらりと右斜め下を盗み見れば、前を向いて歩く名前。細い自然な茶色の髪も、肉の薄い華奢な身体も、一つ一つがコイツのものだと思うと特別好く目に写る。肉付きのいい女の方が好みだったはずなのだが、所詮は理想だったらしい。名前が歩くのと同時に前後に動く手を握る。見上げてきた目は、円くなっていた。


「手、繋ごうぜ」
「いいけど……」
「なんでってか?」
「う、うん」
「俺が繋ぎたいからじゃダメか?」


二つの目を見つめ返した。俺の掌の中に収まる名前の手は頼りなくて、やっぱり女だなと実感させられる。名前は睫毛を揺らして瞬きを繰り返した。


「私と?」
「アンタとじゃなきゃ繋がねえし」
「どうしたの? 急に」
「そういう気分なんだ」
「ええ、変なの」


笑う名前を見ながら思った、アンタとそうしたい奴は他にもいると思うけどな、という言葉は心の中でのみ言うことにする。少ししてから、一方的に握っていた手に緩く力が籠められた。改めて名前に目を向ければ、前を向いたまま先ほどと変わらぬ様子の彼女がいる。どうやらこのことに意識しているのは俺だけのようだ。まあいつものことかと思うと苦笑が漏れた。


「なんかどきどきしちゃうなあ」


前を見ながら名前はそう呟いた。どきどきという言葉が彼女の口から出たことが意外だった。思わず笑った俺を見て名前は釣られたように笑ったあと、顔の向きをまた正面に戻した。名前の腕と共に前後に緩やかに揺れる俺の手。俺と名前が恋仲に見えていたらいいのに、と思いながら手を握る力を少しだけ強めた。



夕暮れとスロウダンス


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