昨日夕飯の席に毛利さんはいなかった。部屋に呼びに行ったけれど反応はなくて、食事にはラップをかけて置いておくことにした。そして朝になった今もリビングに毛利さんの姿がない。この時間に彼が起きていないということは考え難い。庭や洗面所を見てみたけれどやはり彼の姿はなかった。不意にぐるるとお腹が鳴る。そういえば昨日は痛みで晩ごはんをほとんど食べることができなかったことを思い出す。


「沙季」
「あ、おはよ」


おう、と言って元親はぎこちなく笑う。わたしの頬に貼ってあるガーゼを見て視線を落とす姿から、まだ気にしているのだとわかった。あのあと寝る前にも気にしないでと言ったが、彼はどうしても自分を責めるらしい。


「元親、気にしないでって」
「気にする」
「昨日はわかったって言ってたのに」
「あんなん嘘だ」
「………」
「すまねえ、本当に」


項垂れる元親に思わずため息が溢れた。それを聞いた彼が顔をゆっくりと上げる。


「そんな気にされると、こっちも気にするよ」
「………」
「元親にそんな顔でいられると、なんか申し訳ない気持ちになる」
「……何でアンタが」
「元親のせいじゃない」


少し強めに言うと元親はちょっと黙ったあと頷いた。もしまた元親が気にしたら同じやりとりをすることになるだろうけど、もうないと信じよう。不意に怪我をしていない右頬に手が伸びてきた。指が頬をゆっくりと撫でる。優しい手付きだ。顔を上げると元親がぼんやりとした顔で私を見下ろしていた。


「元親?」
「……ん? あ、わりィ!」


手は勢いよく離れていった。


今日は学校で思っていた以上に皆に驚かれ心配されてしまった。野球少年のボールが横顔に直撃したのだという少し苦しい言い訳を繰り返すこと十数回。先生や一部の子には本当は誰かに殴られたんじゃないのかと真剣に尋ねられた。当たってるけど本当のことは言えるはずもなく。痛みで授業もあまり集中できないし、今日はあまり行った意味がなかったなと思った。

わたしが帰宅したこの時間まで、毛利さんはまだ一度も部屋から出ていないらしい。彼の分の昼食が寂しく置かれたままになっていた。


「毛利さん、夕食できました。食べませんか? 何も食べてないですし、何かお腹に入れたほうがいいと思います」


放っておけという政宗や小十郎さんを押しきり毛利さんの部屋の前に来たわけだが、反応がない……。なにも食べていないのはやっぱり心配だ。そのあとも呼びかけてみたが結局彼は出てこなくて、夕食にはまたラップをかけることになった。


毛利さん以外の皆は風呂を終わらせ就寝した。今日は一度も毛利さんを見なかった。そう思いながらベッドに寝転ぶ。彼は昨日のことをどう思ったのだろうか。自分の前に飛び出してまた良い奴気取りか、と思われているのかもしれない。偽善で彼らを助けたつもりはなかった、と思う。でも毛利さんにはそう見えていたんだろうきっと。もうわたしの顔も見たくないのだろうか。それは結構ショックだ。そんなことを考えているとき、不意に扉が小さくノックされた。声をかけるが返事がない。誰だろう、こんな時間に。そう思いながら開けた扉の先に立っていた人物に、驚きを隠せなかった。


「毛利さん……」


そこにいたのはさっきまでわたしの脳内を占めていた人。わたしの部屋を彼が訪れるのは今までで初めてだ。


「どうかしましたか?」
「………」
「あの、中入りますか?」


そう言うと部屋の中に足を踏み入れた。扉を閉めて彼を見る。綺麗な横顔は無言のまま話さない。


「……昨日は」
「え?」
「昨日は、すまなかった」


わたしを見ずに呟かれた言葉に目を円くする。謝られた、昨日のことを。失礼だが彼がこんな風に来るとは思っていなかった。驚きで何も言えないわたしを一度見たあと、彼は元の位置に顔を戻す。


「偽善者という言葉も訂正する」
「………」
「彼奴に殴られた頬は痛むか」
「……あ、ぜ、全然大丈夫です! 元はと言えば飛び出したわたしが悪いんで」


まだ痛いけど、そうは言えない。彼は少し間を置いたあと、そうか、とだけ言ってまた黙ってしまった。数秒がなんだか長く感じる。わたしの動揺はきっと隠せていないだろう。彼に言われたという実感がない。何も言わないわたしを一瞥したあと彼は扉に向かって歩き出した。扉がゆっくりと開かれる。


「湯浴みをする」
「あ、ど、どうぞ」
「沙季」
「は、はい。……え、名前……」
「あの書物、中々に興味深い内容であった」


そう言い残して部屋から出て行った彼。おやすみなさいと言おうと思ったのに、言えなかった。驚いた、あの本を全部読んでくれていたことにも、名前を呼ばれたことにも。


「結果オーライ、かな」

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